麓を通りクラクションを一鳴。
山の中腹は、春の柔らかい新芽と盛りの桜の花で霞がかって見えました。
誰に知らせる車鳴であるのか、誰も確とは知らず、それぞれに想った事でしょう。
座席後ろは柩の置かれている、霊柩車の窓から私も今年の花を見ます。
斎場の庭にある桜は満開でした。
焼かれた匂いの残る骨箱を抱え、一緒の花見です。
骨を拾うまでを、ともにしてくれた人達が、これからは満開の桜を見ると
奥さんの事を想うな。和尚の葬式の大荒れの天気とはまた違う。そんなことを言います。
文庫番は、母とともに今年の花見をします。
常磐高速沿いを、隅田堤を、千鳥ヶ淵を、錦糸公園を
これからは、文庫番なりに、一つ一つを考えるのです。
今までの、対話の中から学び、諭されてきたことは
こなせているとは言えませんが、どこかで、もう自立しなさいと
相談するのではなく、自分の考えで決めるようになっていきなさいと。
育てたられたことを、これからは育てることにしていきなさいと
と潔く母は逝ったのだと思います。
嘆くことではなく、そのように、委ねられた安心を感じるのです。
もう充分に生きてきたと、四月七日、桜の季節、満月の明けた朝
誰を煩わせることなく、見事な散華であったのです。
充分に生きてきた、満足した笑みを浮かべたままの安らかな穏やかな顔でした。
父の時もまた、死に目には会えずとも、納得し覚悟しての対面でした。
母もまた、一人で逝かせてしまったけれど、それが望みだと話していた通りに
願いが通じて天に召されたのだと考えます。
心臓肥大に負担がかかったのだろうと、医師は言いました。自然死。
生きざま、死にざま、まことに素晴らしい母であったのです。
山の麓を通り、そこに父が建てたプレハブの中で、障害を持つ人々とともに
公教要理を母から学んだ事を思い出します。小学生であったでしょうか。
主の祈りの中での 「我らが人にゆるすごとく、我らの罪をゆるしたまえ。」
のことばを思い出します。そうだったのかと、いまさらながらです。
悪人正機そのものです。どれほど、自分の罪を知るということが難しいのか
今になって、少しだけ解るのかもしれないのです。
少しだけです。
だから、母のことばを探しつつ、文庫の整理をしなければならないと文庫番は思います。