2012年11月29日木曜日

犬狼星を見上げ

 スカイツリーのクリスマス仕様の電飾を後ろにして、北に向かうと、月の陰った空にはオリオンとシリウスが上がってきているのです。天駆ける白狼に、家路を導かれます。
 迷うことなく信じていける。自分の道が見えるのです。ゆるぎない確信が持てるものがあるのです。
「組合員さんに教えてもらった」幾たび、そのことばを聞いたことでしょう。くらしの願いを具現化していく時の苦しさや課題を、乗り越えていける力。どこまで、苦しんだのか、課題と直面したのか。伝わってきました。そしてともに創ってきたのか。ともに創る。
 今こそ、くらしを語ることが求められている事を夜空に読み取ります。私もまた天駆けていくのです。

2012年11月23日金曜日

果たして・・続き

 どうも、くだらないと思ういい夫婦の日などに捉われて書きだした昨日のものでは不満足だった部分があります。この数日ぐーたらな文庫番を脇目に連れ合いはさっさと、喪中欠礼の葉書を出してます。母 大仏照子とあるのですが、複雑な思いでその文面を一緒に作りました。一番簡潔な儀礼的な消息例を使っていますが、お祭りは、私は関われず一年一ヶ月の服喪の中に居るのに、連れ合いは別個のものとして役割を務めています。ですが、この葉書は連名の差出人で先に主としてあるのは連れ合い。釈然としないような、いたって現実対応のできる考え方が羨ましいやら。今の一般的な扱いは配偶者の親も含んでいると、さっさと印刷して連れ合いのお付き合いの分は出してあるのです。
 私は、死亡通知の葉書を出した後にパソコンが変わったこともあって、自分の方の出すべき住所録もソフトがなかなか対応しないままに格闘中。そのうちに11月も終わるよ。なんて声かけられても腹立たしいままです。例年、年賀状だって松が取れたくらいになっていたものですから、時間が配分できません。
 その進まない中で、また、互いの関係を、別な視点で考えてしまっているのです。夫婦と個というもの。家と個、国と個というものを、卑近なところから普遍化して考えているトライだったのが、昨日の一期一会なのですから、ちんぷんかんぷんです。
 もう一歩踏み込んだものはきっと日月記になるのでしょう。ともかく急いで私も宛名書きをしないと。 

2012年11月22日木曜日

果たして

 一期一会とありました。歩数もまだまだ。矢筈を構えて軸をかけます。
今年は短い秋だけど、風炉と炉の間に、少しお盆手前や、香を聞くのも入れましょう。と先生が考えてくれて、軸物の扱いや、略式のお稽古なのですけれど、一昨年の記憶でまたすっかり頭の中が白くなって、手も足もちぐはぐです。先輩たちと、すっかり忘れてと笑いながら、楽しんでいる11月です。
 その一期一会という書も、大徳寺のゆかりの何某のと先生はお話してくれるのですけれど、今朝あたりからうるさく目に付くいい夫婦の日。一並びの文字が似ていると可笑しく集中しないので、また軸の扱いが解らなくなります。紐を左にやったり持ち替えたり。忍術の虎の巻がこんなだったら、忍者は役にも立ちません。だいたい、もてはやされる記日なんて、本質からは意味ないです。
 所詮、いい夫婦なんて、何年一緒だって外から見た限りでは無いし、本人自身も意識できることのないものですね。愚痴ばっかりで過ごすようなのがいい夫婦とも見えることもあるのではないでしょうか。物事の実体なんて言葉ではないですね。
 私の父と母は対等な関係であろうとしていたことは、その互いの名前に敬称で呼び合う事にも表れていました。そして主人、家内とは言ってなかったし、もしかしたら、力関係も姉さん女房であった母の方が、大きかったようにも思い出されます。それはまた、あの時代の先駆け夫婦だったのでしょう。そして、個人とは主体とは何だろうと悩む子供二人を置いて行ったのです。そもそもが父は出家の身であった訳ですから、家内を置くのは自己矛盾となったのでしょう。
 家内と呼ぶ言い方を、おのこ共がする時。それはかなりの覚悟を要するのだと、この頃解りました。今、家に居る連れ合いは私をどう他に紹介するのか、興味深いのです。
 私の論理でいえば、政りごとは、国政と家政とは対峙するほどのものである。家とはアジールであるか、国と対抗できるほどの力であるものです。くらしの主体者とはどこに居るのか。考え続けていかなければなりません。家内を山の神と崇めるのを単に冗談の口だとしてはいけませんよ。天照とまた違う、根ざした姫神が居るわけです。ますらおであるおのこ共は、だからこそ家の内を、外で守っていなければならなかったのでしょう。その時に、在り方を対等に認め合う事ができる妹背となったのでしょう。
 果たして、こんな事を考えている私の連れ合いは、また何を考えているのか、聞かないことにしておきましょう。
 だからお稽古に集中できない。一期一会。
 
 

2012年11月15日木曜日

はちや柿

 
 東京スカイツリーと一緒に物干し竿にぶら下がっています。剥いたのは私。間延びして紐でくくったのは連れ合い。良い歳して二人ともはじめての干し柿つくりの朝でした。
 昨晩のスカイツリー下塾。考えながら柿を剥きます。食べてくれる人のことを思い浮かべながら生産者はものをつくる。忘れていないか、交流のはじめを。
 そんな思いです。啜っていたウーロン茶は、この柿の実と一緒に届きました。食べてくれる人の背景。作ってくれる人の背景。それを伝えてきたのが、協同であったのです。
 あの薬の時も、まだ見ぬ人達との協同。他の地域の人達との協同と言ってみたのですが。提案の中身が、主体からは遠かったという事でしょう。
 確かに、その組織を形作るのは主体者なのです。では、どういう形を創りたいのか。明確にしながらでなければならないのです。それが主体者であるものの責任。その事を、柔軟に、空に向かうように、太陽を浴びるように、力を中に溜めながら、自らを干すようで甘味を増して、他者への喜びとなるために生まれてきたのだと、この空を彩りたいものです。

2012年11月14日水曜日

資料整理

 

心太のように、資料がわが社の中に我が家の中に所狭しと、歴史的遺物と現在の生活がひしめいてあります。やっと今年の父の蔵書類の保管料は払い込みましたが、できればマハラバの資料整理が今後の仕事と思っているのに、事務所予定のところには、母の趣味のビデオやカセットテープ。そして支援資料が押し入れを占めています。今、その押入れは二間続きで使いたいために抜こうと思うと、また仕舞ったものを出さなければなりません。わが社の仕事は資料の整理が第一に定款にあるのです。
 そちらへまで持って行ったにしても、この約20年近くの議案書は文庫番には使用する機会もないことと区切って、担当の部署に送り返します。自宅での処分でもいいのかもしれません。総代会議案書自体は公開性のものであるのだし、個人情報でもないものです。でも、いつの間にか貴重な古文書となったのもあるようで、この際にとある意味返却です。
合わせて在籍していた時代前後の連合会の議案書もまた入れ込んでます。
 

 それなのに、減っていかない。集約されたものが議案書であれば、地域で活動してきた、個人の資料であるものが、持ち主のように減量したといっても、すっきりとしていないのです。こだわりの元。当時の気付きの糸口。いただいた相手。やはり石けんは運動だったのだと考えるのです。
 運動は、一人ではじめても、人と繋がるから、そこに居た自分も資料の中でまた発見して。
これでは片付きません。雨水の、海外派遣の、牛乳の、それら古い資料は個人のもの。
 この機会を逃さずに、気持ちの整理に、思いっきりと考えても自己への愛着にすぎない紙の束が残るのです。
 そして、自社のこの5年間の資料もまた、出版公開されているものの下準備のものが、捨てないままです。「米は実りて」「きなり歳時記2007-2008」「山仕事讃歌」「明日へ帰る」それらの資料はわが社責任になります。
 
 さらには、別な組織のプロジェクトを一つ継続中です。これも未整理にしておいたら、わけが解らなくなるのが見えます。断捨離なんて簡単にはいかないものです。
 それを考えると、経てきた組織の議案書の年数に対しての責任というものは、組織へ委ねられる。一組合員に過ぎない範囲だったのです。また、退任したものが、いつまでもあの時のあの判断はなどと個人の語りで言い出すのも、いかがかという事です。
 送り出せばまた、新しいものが注ぎ込まれる心太。

 地域・協同・主体と組織。

2012年11月11日日曜日

浜仕事讃歌 産稿

 本日は雨降り。それでも、幾本かの苗木を持って庭に行きました。松に桜に楓だったところが、桃栗柿に、大豆を来年植えるところ。そして苺や竜胆。笹も植えてみました。
茗荷、紫蘇。茗荷の歌は、湧いています。
 そして、庭に繋がる小さな畑となるべき場所。麦は芽生えませんけれど、菜種は揃ってきました。大豆は、今年の枝豆を終えて今は種もしくは味噌用の分が採れるのだろうかと、貧弱な実りを待っています。そこに麦穂が天に向かう姿を夢見ます。
 義父は、麦踏みは、草鞋でするものだと言いました。靴ではない。そうなのか、それだけ足に近い感覚で麦の育ちを知っていたのか。そして、飴を作る話を、この食べ物の事なら取りつきそうな嫁に教えるのです。麦を水に浸しておいて、アッつく釜で煮て、飴にするという。80年前の郷里への懐かしみを込めたことばで語ります。
 飴も作っていたのですね。浜で塩を作っていた話も良くしてくれます。そして、にがりで豆腐を作って藁で縛って歩いた事。味噌も醤油も、酢も、鰯が取れたら、釜で茹でて茶畑のたい肥にした事。
 あと何回、この話を聞けるでしょう。
 庭から帰った今夜。新しい話を聞きました。浜岡の家は、舟を持っていたから、サボウが回ってきて、え?お義父さん鯖が来るの?静岡でもサバ?。困った顔をして、砂を防ぐと教えてくれました。砂防。おやおや、砂防会館とはそうだったのか!。
そうではなくて、麦わらをさしてね。へ?麦を一本ずつ挿すのかしら。いや、言っても解らないだろうけれど、鍬で埋めて立てていくんだ。だそうです。
 わざわざ紙を折って、麦藁を鍬で立てていく形を見せてくれました。麦が砂防になるんですか!と訊く私に、しかたないと言う面白がる表情で、そして藁で蓑を編んだんだけど、俺は編めない。そこは私の得意分野。会津では、ミヤマカンスゲだし、和歌山では棕櫚のもあるし、形は国内でほとんど共通だけど、材料はその土地土地なんだね。と。すごいね、蓑も作ったんだ。ああ、そして桑も。
昔はテレビが無かったから、時間があったんだね。砂防は暮らしの中にあったんだ。浜仕事讃歌。唄いださなければ。そうだ、あの北に面したところでは、明浜でも、アマモを大事に植えていたのです。私たちが防ぐのは、くらしを損なうものからだったのだ。そこにクニがある。郷里の仕事が守るもの。ああ、私は唄えるのです。そして今、霞ヶ浦が防ぐもの。小さな庭の仕事は、忘れていない。そう思える雨の夜の食卓での会話だったのです。

2012年11月5日月曜日

繰り返す過ちに

 取り返しのつかない過ち。そういう認識ができない組織。個人・・・・自分を省みてしまいますが、被害者の発生する場合があるという事。
 人間の生きるという事は、罪深いことだと思うのです。生老病死 その生きる中に背負わされる苦しみ。自ら背負ってしまう事。
 なぜエレベーターまた?旅行が暗転?同じ会社が繰り返す。失敗から学ぶという事ができない。そして、今日も指摘される自分の間違いに、平気な振りをしますが、実際には、情けなさに陥るのです。
  自分の場合には、見えるのです。良く言われる根本的な欠陥が。直さなきゃ!それなのに日々過ぎてまた同じような過ちがやってきて、デジャヴと思ってしまう事もあるけれど、実際には再現です。この組織には、改善ができなかったのでしょう。何が、阻んだのかを考えています。解決できない事だったから、起こった再事故なのでしょう。言い訳も謝罪も、間に合わないけれど、他山の石としていては仕方ない。まず我が失敗からも学ぶ姿勢を持ちたいものです。
 失敗する原因。ただただ、事態にあたっての余裕がない中、見切りでスタートしていることがままあります。目視・・・それ以外に試運転とか何故?予備実踏はどのように?そして、大切なのは人のための事をしているという認識を持つかどうか。あまりにも自己満足で、自分だけの納得で行って、相手に迷惑をかけ自分もまた苦しんで。そこに人の生死があることを忘れてしまう。
私はことば。皆が喜びを持って生きられる言葉を使わないと。