2020年2月5日水曜日

ありがとう



 世の中の不思議というべきなのか、山形の准ちゃんから来た連絡は、2月1日に金子和弘さんが喉に食べ物が詰まって亡くなったという知らせがあったというものでした。
 ご自宅にも、入院した時にも会いに行っていたので、体力の変化を嘆きながらも、あれもしたい、こうしなきゃという話を聞いていたのでした。
 最近まで、兄との関係の間に入ってくれていたこともありがたかったです。
 ちょうど、次女の友人からお供えの花が贈られてきていた我が家。祥月命日が、金子さんも亡くなった日となりました。思いを深くします。
 考えると二人とも、人を愛することを大切にしていた人たちです。自分を諦めない。そういう人たちが居る、居たということ。皆に知ってもらいたいと思い、金子さんの娘さんが書かれたご挨拶をアップしておきます。
 マハラバから生まれ出でた人たち皆のことばなのかもしれない。母の写真の前に開き置きました。「だれもが皆同じように暮らせる社会」をめざして運動を続ける人たちは続いていくのです。
 斎場で金子さんのご親族から大変お世話になりました。と言われて文庫番は大慌て、いつも自分が励ましてもらっていたことを思うのです。現在進めている新解放理論研究会も承諾してくれていて、横塚さんたちとのことももっと同じ脳性麻痺者として運動の方向性を語らったということを聞いておけばよかった。盛花には全国青い芝の会からのものもありました。良かった。
 彼らは人柄自体が、前向きで明るさをもって人生を生きてきていたのです。そうでなければ続いてこないことです。そして何より、この感謝の挨拶が、どこにも挫けるようなことばがないのです。また文庫番は励まされました。