2013年7月31日水曜日

茗荷に寄せて


 

酒の席で、死ぬ前に最期に食べたいものは

茗荷の塩揉みだ と言った漢(やつ)がいたのです

虚を突かれた座の一同は

店の主人に頼んで試してみたものです

それぞれ自分が最後に食べたいものは、と語り出し

でも、茗荷とな

 

サンフランシスコ講和会議の席で

私たちの国に対して賠償を求めなかった国があったのです

実にこの世においては、怨みに報いるに怨みをもってしたならば、

ついに怨みのやむことがない

怨みをすててこそやむ これは永遠の真理である。と

 

その国に行ってみたのです

仏歯寺の門のところで、箒で掃除をしている男がいました

周利槃得よ、そこに居るのは来る日も来る日も掃き清め

そして通る人がまた汚しの繰り返し

毎日の事を続けなさい、それが師の教え

 

許しましょう、けれど忘れません

あの日のことも忘れてはいけない

あの日からの事が許されるのだろうか

それ恕かと!

 

食べると物忘れをするという茗荷は

周利槃得の墓に生えるとも伝えられ

覚えられないという事が悟りであるならば

許しましょう、けれど忘れませんという事の厳しさを

最期に食べる人が居る

 

庭に出てきた茗荷の子、お隣さんにお福分け

お福は胡瓜になって帰ってきたのです

私たちは、互いの自由と独立を目ざしていく

その爽やかなアジアの香りに

 

                         2013年7月31日 マハラバ文庫 増田・大仏・レア

2013年7月30日火曜日

七度の総代会

 先日、都内での会議に出向いた帰りに、あらかじめお見舞いに伺いたいと伝えた方にお会いしました。お見舞いと言ったのに手術前の元気さで改札の向こうで出迎えていただき、ホテルのロビーでのティータイムを過ごしました。もう一人の同行と、ともかくよもやま話。美味しいと言われたモンブランですっかり和んでしまいました。
 お疲れだったのではと思うのですが、お話できて却って励まされてきました。
その人の素晴らしさが解ったのは、私も現役を退いてから。尊敬される先達の姿。暮らしの中にある重み。差し戻しを七回繰り返したという今では伝説。
 大事な決定を導く力。必ず会議によって合意を取っていき、蒸し返しはさせない。肝心なところでの発言。あとになってとか、場を外してではない、論議による解決はこうできるのだと、すれ違った在任期間だったのに、お会いするとその伝説が事実として納得できるのです。
 そして、なお私たちを見守り、気配りをし育成を忘れなかった姿は、帰りの電車の方向を間違えないまで、改札の向こうで声かけてくださったのです。きっとまた秋には回復しさらにお元気になっていると思っています。

2013年7月26日金曜日

巡り合えた

 
 物干し場と屋根にあった蜂の巣です。河川敷の方のは砕けてしまって、形が無いのですが、この写真の一番大きいのくらいのが、河川敷に降りる鉄梯子の下の段にありました。それで連れ合いと棟梁がちくちくと刺されたわけです。先日車の残骸を取り除いた後にも雑草や、庭から流れていて残骸にとどめられていた土があったので、そのままにしておくのも、川に流れるので朝から取り除くと言いだしました。
 午前中は時間のあった文庫番も、一緒にすることになり、かなり身体を動かした気分。このところ暑さ負けというか、早朝作業と朝仕事が終わると、ぐたっと、ぐたっと。。いつの間にか眠り込んでいたのですが、本日は活動日。
 炎天下、蜂の巣の写真にあるようにカラッカラの地面を相手に、その梯子段を昇り降りして、バケツに掬った土をもともとの崖の上の庭に運び上げました。大きな日本カタツムリが、河原沿いに積もった土の中には数匹いて、それも一緒です。環境が変わっても大丈夫でしょうか。
 そして、中州の雑草を刈り払いしていた連れ合いが、来てごらんというので行ってみると、懐かしい野イチゴがありました。熊イチゴ?まだもう少し熟するとより甘くなるのでしょう。コップに挿してテーブルに置きました。岩手県の軽米に行った時も摘んで口に入れたのですが、何より、閑居山の下にもあって、学校帰りの道草を食う。そのことばのままに、日向くさい、微かな甘味を、寺に戻る前の一時の楽しみにしたものでした。
 ここに来て、また逢うことになるなんて、思ってもいなかった巡りくる人生。川の畔(ほとり)。

2013年7月25日木曜日

信じるということ



 昨日は神棚式。写真で見るとまさにごちゃごちゃしたまま、宮司さんが脚立で上がって、しめ縄とお札を整えてくれたままです。台所との間の仕切りを外したので、机の隣の本棚(もと食器棚)の上に神棚が移って、そこにこの地の神様をお迎えしました。まるでマハラバ文庫の神棚みたいだね商売繁盛するかなと連れ合いはいいますが、この家にお迎えするという式です。祝詞の中には、わけてもくるまのうんてんのやすらけく。。。。
 山神社さまの大山津見命。その式をするという一種厳かな、緊張した朝でしたが、、、瓦屋根の漆喰が落ちた補修なのか、屋根の直しになるのか屋根の職人さんたちが、まずは様子見と来たのともかちあってしまいます。見ればあちこち直さなければと言います。入母屋の屋根なので重くって補修が必要だと言います。おまけに蜂の巣があちこち。
 蜂の巣は庭の前の河川敷に向かった崖にも幾つか。蟻退治蜂退治もしなければなりません。殺虫剤を使って駆除になります。少し心外ですが、仕方ない。
 縁側も抜けそうなところを張り替えます。落ち着いたら手を入れようという部分が、漆喰が落ちてきたことで、すぐ大工さんの仕事が入ることになって、また慌ただしくなりそうな夏です。雨樋も外れているし。
 家内の安らかであることは、とても大変な事なのですね。うかうかとしてはいられないし、せっかくの事だから、商売も繁盛するのかと願わなければなりません。父の描いた荊冠のイエスの絵と、母の生涯を見ていた無原罪のマリア像をどこかに置かなけりゃとも思っています。さて・・。午前中は神妙な気持ちで過ごしました。
 私が企てた集まりがあり午後から出かけるという時間に、庭の前の河川敷に、家の前の主がおいていった廃車の一部残骸を始末しに、大工さん親子が来ました。それもいきなりです。雨の様子を見ながら、その日に空いた時間で、頼んであったことが進んでいくのです。まずは決まった時間があってというのとは別なのが面白い。同じ時間の流れが、使い方の違いは都市と地方の差なのでしょうか。出かける用意も慌ただしく、また駅まで送ってもらいますが、義母が散歩に出たのを途中で拾い上げ、ドライブを兼ねます。私は都内へ、連れ合いと義母は急いで家に引き返すとすでに、それらは引き上げてあったという事でした。
 夜遅くなっての戻りになって、それでも早朝のカラスとの根競べには自然と目が覚めるので、今朝畑に行こうと出てみると、その崖の上に今年の朝顔が一輪咲いていました。新潟のささかみの直売所にあった、難病の女の子の手術を支援するという趣旨であった朝顔が、墨田のベランダを経て、今の庭にも咲いたのを見て、信じられるものを見つけたような気がします。
 
 
 
 


2013年7月19日金曜日

穀つぶしを考える

 
はじめての梅干しづくりは、大麦や菜種をどうするか、大豆畑は誰が?という最中に取り掛からざるを得ませんでした。庭の梅の木は、毛虫やら、いつが採り時なのかもわからず、それを見ているだけでも頭がパンクしそうだったのに、この地域で、もう農業はやめたけれど梅の木があるから、実をもぎに行こうと誘われ、ご遠慮したら、どっさりと段ボールに採ってきて玄関まで運んでくれたのです。だから、、、まだ梅干しはうちの木の実で・・・。もう大混乱。大豆はどうする、芽が出ない。菜種はどう採る土交じり、大麦ノギだらけ、そんなすべてが一度にある季節だったのですね。
 役割は減ったからなんて全然感じられないほど、じたばたしていた5月6月。
ご近所づきあいの深さ、浅さが計れない新住民だし、台所には義母が居着いたわけで、そこが文庫番事務所でもあるのに、葉書もださなけりゃ。と母の住所録も照らし合わせたり。もしかしたらこのまま僅かにはある神経が衰弱しきってしまうのではないかとまで鬱屈していたのかもしれません。
 そんな私を知ってかしらずか、梅を漬け込んだ甕からは塩が滲み出してきました。もしかしたら重石にした庭に転がっていたコンクリート円柱が反応したのかしら?梅酢の濃度を間違えたのかしら?この甕が不良品だったんじゃないとか、それでも一ヶ月、梅雨明けしたら土用干し。
 それなのに味噌の天地返しが終わったら、二泊三日の熊野行きに続いて、横浜での法事。家に居着かない家刀自。それでも梅は香ってきます。
 ちょうど、前の主が置いていった庭のビール箱に乗せて干しています。母のところにいつも梅干しを届けてくれたいた天海さんに、電話で問い合わせ。もう赤紫蘇入れても間に合わないかしら?
 まぁったく、レアちゃん。葉書も着てないよ。どこに引っ越した・・・・。
 上手く仕上がったら送るからね。食べてみて。そんな消息便りもありました。
 
 さて、大豆の追加の種蒔きは7月上旬だったのですが、芽を出してくれました。その前に蒔いたのも順調。私が居ない間は、連れ合いは大豆のところには行かず薪伐りをしていたというので、では草刈に。気持ちよく出てきた豆の芽を褒めて一夜明けて、また早朝草刈りと、昨日の畝を見てみると。またまたカラスについばまれ、せっかく伸びた緑の葉は、情けない破れ葉になっています。
 智慧はカラスにはかなわない。仕方がないから草刈りだけは朝食前の一時間。家に戻って義母に話すと、カラスもがんばっているね。そうなのですね。
 ついばまれた大豆の畝の脇で草を刈りながら、なんとなく楽しいのです。やはり全部が全部自分の分とはならない種まきだったのです。長い間の農耕の歴史で、分け合ってきたのが当たり前なのでしょう。今に限った事じゃないですが、今の経済は無理無理取り分を人間が多くしようと、いつごろからか人類の道としてきている。全然、知識も経験もない最初の大豆。お百姓やっても食べていけない。そういう多くの農民の声は、この営々とした智慧較べ。学ぶべきは、都会の学校じゃなくって、畑の先輩たちです。多くを収穫して市場に出して、そんな農耕じゃない、自分と空の鳥との分ができるようになるのにも、まだまだ掛かるでしょう。穀つぶしとは、誰が誰に向けた言葉なのでしょう。
先日の法要の前に、マハラバの写真を見なおして、閑居山のランプの下での共同体を考えると、あの頃の農村のくらし、周りの集落の人たちは、気持ちにまだゆとりがあったのじゃないだろうかという事。鶏を飼ったり、籐椅子を編んだり、鍬も持って、そういう脳性まひ者が写っている写真の幾葉。家族から自由に生きたいと集まってきた障害者たち。それは奇異に感じながらも容認してくれた地域があって、当時の日本の社会は、まだそういう身体性を持っていて、だからこそ青い芝の運動が、強く広まったのではないだろうかという事です。文庫番自身でいえば障害をもった人たちが居るのが当たり前の世界。今のこの参院選挙前の閉塞感は、あの頃のおおらかさが感じられない異常さです。
 くれぐれも言われていた健全者幻想に捉われるなと。3.11以降。私たちはその幻想が幻想だと見えたはずです。無益な競争社会、金融と扇情に作られた、平均の幸せ。
 だからって、すっかり諦めてはいけないし。カラスと分け合うにしては、この大豆。これはこれで、今の福島への別なメッセージなのです。

 
 

2013年7月9日火曜日

絶望的に暑く

梅雨明けしたら、暑いのは当たり前なのですけれど、例年より早く、乾燥している感じ。今日は最後の大豆蒔き。大丈夫かしらって夕立も来ない。マルチ張りをした日に東京に向かい、翌日からの味噌の里親プロジェクトの天地返しツアーでは、行程がぎっしりあって、タイミングを逃した大豆。畑に植えたのは、水に浸漬しない方が良かった。。。のだそうで発芽も良くなかったのです。昨年の庭畑のとは豆が違いますしね。さらに、足りない分はやっとぱるとも会総会で、山梨県人先輩の北杜市住人の五辻さんに分けてもらうとなり、行ってきた午後に、大豆畑になる予定のところに行けば、見るも無残に?人間からすればです!!。大豆の苗も鳥に完璧に食べてもらってました。
 手で植えれば、手の平で割れるくらいに大豆も乾燥して、北杜と中央市の差ですね。昨日今日の暑さと言ったら、マルチの上は40℃は超えています。7月上旬が限度の大豆。それもまた仕方ない。時季を逸してしまったのは重々解っていながらです。
そもそもは、リスクを取るという思考方法が自分にないのだとしみじみ思うのと、人間より賢いものに学ぶしかない。だって、脱原発って、人間の技術に溺れた事への反省だからって、賢くない文庫番の悔し紛れの言い訳です。伴走の連れ合いは、何が言いたいやら。。。

2013年7月7日日曜日

梅雨明けだというのに

 
 どう見ても、男仕事のような気がします。おまけに梅雨明けの酷暑。義母は家でお・る・す・ば・ん。と決め込んでいるのに、私はどうもしごかれっぱなし。
 手加減ないような。。。パートナーとは思っていずに徒弟じゃないのかと言いたいのです。ところが次第に指示する立場は逆転?
 
 山仕事、知っているかどうかだけで身体の使い方違います。出遅れている我が家、大豆の心配はあっても、薪の用意も今から間に合うかとし始めていた連れ合いは、単純な作業は私に向けて、自分は危険な方を引き受けてくれているようですが、作業というのは一連のものですね。蒸し暑い午後にこんなことするなんて、と音をあげたくなるのです。せっかく声かけてくれて、薪もだいぶ手当してもらえるなら、何も用意の無い私たちは、わずかな時間だけです。きっとこの土日、顔を出さない私たちを待ちながらご近所で里山整備もしているよと、誘ってくれた人たちがやっていてくれたのだと思います。
 昨日の再生エネルギーの学習会の中身もすっ飛んでしまうような、実地体験なのです。
せっせと積み上げて、これは河川敷の払い下げのアカシアの木。幅を刻んで、伐られたものを猫車に乗せて運んで積み上げ。部位別ダイエットできないかと思うくらいの溢れる汗を搾りながら本日の午後は過ぎました。まだまだ始まったばかり。冬越しの全量なんてとんでもない。
 私は文庫番の整理作業をいつすればいいんだろう。


2013年7月5日金曜日

いいとこ取り

夜もチクチクと。用事が早く終わった夜は宵のうちから深夜まで、手で麦の穂を麦藁から外しています。大麦は見事に、少しの稔りなのに、ノギは立派。ノギ将軍。どうしたらいいかわからないことだらけでやっているのですが、梅雨の前期が比較的乾いている感じでしたので、洗濯棹に吊るしてあったら、果菜も育てている連れ合いが敷き藁があると良いな。。と三本の茄子の根本を見ながら言います。昨年一個だけ実った小玉スイカでしょうか。スイカらしい苗も見つけたし、昨冬の北海道のかぼちゃの種からでたものと4月の沖縄かぼちゃも芽が伸びています。敷き藁。
 それでも、連れ合いはいいとこ取り。この麦の穂を手作業で外すのは私。仕方ないですね。大豆の後に麦を撒くと良いと聞いて始めたときには藁の事まで考えてなかったのですから。
 実入りの少ないここから、どうノギを外すのか。そもそもこの少量で脱穀するのかどうするのか。まぐれできちんと穂が揃っているのもあるので、無駄にはできない。来年こそはと思ったり。そう連れ合いは藁以外の事はこちら任せです。
 やっと洗濯棹が空いて、気がふせっていたのが、伸びやかに感じられます。

2013年7月4日木曜日

カンゾウが咲いて

ワスレクサ



出かける前の、ヴァンタスファームのマルチ張
探した一冊
 
味噌の里親の天地返しツアー前後
 
 大豆を育てるしかないか。無農薬で・・。そんな私と、何か土いじり・・・。そういう連れ合いは車で7分のところの、サラダボウルさんとパル山梨さん有志の畑で試していくことにしました。味噌にまでなるには道が遠い。大豆って?育てるって?そのスタートを多くの方が心配してくれています。
ヴァンタスファームについてはこちら
 子供たちが畑に居る様子。そして子供に合わせた、畑での指導を聞いていると、初心者の私たちは、子供たちほどの体験もないことがよくわかります。私はなぜか一人の子供のジャガイモ袋の番をしている事になって、畑の縁で写真を撮っていました。人間の子供にも個性がある。お豆は育つでしょうか。庭なら、すぐ見ることができるけれど、ここは耕作放棄だったところ。その上の藪には、大豆が大好きな虫もいれば、様々な生き物が居るでしょう。空にはゴンベを待っていた鳥たちが。
 そして、その畑から東京に。東中野のカフェでイスラエルの旅の話しを聞いて、墨田泊。早朝新宿発のバスで天地返しツアーでした。番外編にかけるのはいつになるやら。
 
 
 
 帰宅したらカンゾウが咲いていました。これも母の庭から移したもの。山に居た頃春先に新芽を酢味噌で良く食べたもの。花よりその味の記憶ばかりでしたので、初めてしげしげと見ます。
 カンゾウは別名ワスレグサ。忘れたい思いがある時に万葉人は貝や草に託したというのはこの花でしょうか。忘れないでというのではなく、忘れるために。それほどの強い感情を古への人はこころにとらえたのですね。
 
 
 必要に迫られて資料をあたっていたら、この一冊が出てきました。