2015年4月22日水曜日

木賊



 木賊って読むことできますか?トクサ。先日立ち寄った土湯温泉こけし祭りのお片付けぎりぎりに見る事が出来た早坂さんのブースは足踏み轆轤(ろくろ)があって、そして道具として何気に置いてあったのが、木賊の束ともっと細い束。さあ、束子(たわし)も売る文庫番は長らくトクサで木地を磨く事を知りたかったのです。
 実家で竃(かまど)でご飯を炊いてお櫃(ひつ)に移して、台所から食事の場へ運んでご飯になったのですけど、そのお櫃の銅(あかがね)の箍(たが)を磨くのに、本当はトクサの束が良いのよ。と母には教わっていました。実物を見ることができました。
 こけしの仕上げに、このトクサとそして稲の苗の束を使うのだそうです。稲藁(いなわら)の束じゃないのですよ。稲の苗の束!珪酸分が植物の表面にあるのを利用すると聞いていました。
知ってはいてもなかなか実物に遭遇(そうぐう)する機会がないことってありますね。
とても嬉しかった数分の立ち寄りでした。そうです。足踏み轆轤でつくられたものでしょうか、優しい表情のこけし雛。電力だけに頼らない、仕事を語り合っているお顔です。
 福島県での味噌仕込みは皆、優しいお顔であったのでした。

今日はアースディ、葉書を出しました。


2015年4月17日金曜日

今年も麦は実り


 引っ越ししてきて二年経って。
引っ越し前に大豆を植えた庭に、大豆と麦はいい回転ができると聞いて、麦の種をいただいて植えてみて、麦の実りはこんなに力付けられます。
 決して、ウィスキーをつくる訳じゃないけれど、この伸びやかさに気持ちが空に向かって。
麦が地に落ちて、また芽生えて行くように、富良野の国の子寮の記念誌は「一粒の麦地に落ちて」
それもこれも、何も私は事業にも信仰にも打ち込んでいないけれど、ただ春のこの勢いを、自分にもとり込めます。そういえば、茨城では通学途中の麦畑は、畝の間を赤いランドセルで駆け抜けて来て。墨田に居た時は春の荒川河川敷に行って、葦の芽生えに力を貰っていたのでした。
 
引っ越しして二年。
山梨のここに私は居る。
 今日は、在所の山の神神社の祭礼で、ご近所さんからお寿司を御裾分けいただいて、山椒も煮てみたり。
 小石拾いはこの数日続いていて、冬の霜柱でぬかるんだ道路に向かった庭へ足していきます。川原近くで石を拾っている自分に「地蔵和讃」を思いだし、一つ積んでは母の為、二つ積んでは父の為、三つ積んでは故郷の同胞我が身と廻向して、南無阿弥陀仏、阿弥陀仏。
 まったく、ごちゃまぜでここに生きて行くのです。

2015年4月7日火曜日

花の名前は母に聞き


 北海道にも鈴蘭が沢山咲いていたところがあってね、春になるとそれは綺麗で香りがしてきて。
山梨の庭にも咲いているのですよ。下向きで純白の花が、今朝開いていました。
お茶と、お香を供えて、庭に出て見に行ったのです。
 もうこの庭のは、もとからのものも母の所からのも、混ざって育って分からなくなっています。
やっと、母の純白な在り方を追いかけて、そうじゃないのよ。とたしなめられた思いがします。
実の親の姿を知らない人も多いのだから、いつまでも、母と言う存在を独り占めしていないで、人間としての存在を損なわないためにどうあるべきなのかを、語りはじめなさい。
 
 花の名前は母に聞き、星の名前は父に聞いて育つと言う、そういう時間が書けたのなら。
昨夕は、富良野の国の子寮の名取さんとも電話することができました。
何もないところから、始められるのだということを、もっと多くの人と一緒にしなければ。
 本日、ちいさなあっこの物語は、形をはっきりとすることができました。あとは、年表・脚注などになります。いつか北海道にこの物語が戻るようにと。

2015年4月5日日曜日

夢小路



 覗いてみたいなと思っていた甲府駅の北口にある、モール。お客様迎えの前にぶらついてみて、楽しみました。今は具体的に買いたいものがなかったのですが、こういうぶらつく時間を表現するなら夢小路ですね。でもその横の広場で、開催されていたフリーマーケットでどんぐり牧場さんの卵を買いました。この三日間は甲府市内の信玄公祭り。お客様は甲冑武者行列と桜の様子が観たかったということだったのです。現代・近代・そして武者の時代。同じ場で繰り広げられます。
 ご復活の今朝は、紅茶で彩った・・・はずの茹で玉子。なかなか母が作ってくれたもののようにできませんでしたが、二人で向い合せて、食べています。
なんとかあと三日で今書いているものを、納得できる形にしたいと思うのですが、その後の忙しい予定が目白押しにやってきます。相変わらず、畑だ庭だという連れ合いの、その日にああしよう、こうしようはいきなりの予定で、当然私も一緒の事を組んできます。
 遅れているおくれていると、気持ちが焦る作文なのに、息抜きに庭に出るとそのまま半日。身体を使えば、それなりに気持ちも持っていかれています。そうなんですよね。気持ち、心持ち。持ち運びするもののようです。これを欧米的に訳せるのかしら?
 だから、互いの時間割を融通して、より良い一日を過ごしたい復活祭です。