2017年8月10日木曜日

あゆみに・・


 ピースウォークの絵葉書。虹の旗の9は、亡き母の誕生日の8月9日の9?届きましたが、枇杷の成った父の電話のお話が書かれていて、どなたからなのか推量中。
 そして、深夜になって、二つのテレビ番組を観るのです。
 「満蒙開拓団の女性たち」「原爆の絵”は語る~ヒロシマ 被爆直後の3日間~」
次世代と、ともに考えたい事なのですね。
 ただ、語り始めたのではない、ただ記録を辿るのではない、それは、次の時代には繰り返すことがないようにという願いがあって、語るのですね。
 あゆみは、続くのです。

2017年8月6日日曜日

芝が伸びて


 鋏を置いてあるあたりの芝は神立の母のアパートの窓の外から持ってきたものです。ここでもともと生えていた芝も、砂利と選り分け雑草を抜く年月がもう5年目。
 芝生の拡がった庭になりました。写真展の合間に、お客様のお迎えができるように、刈り揃えて、また雑草を抜いて、母の芝ともともとの芝はすっかり混じっているようです。
 青い芝を思いながら、閑居山から移した芝を守ってきた母。もう数日でその誕生日になります。
 このところ、数人、閑居山に居た人達の不調を聞いています。また周辺で助けてくれていた知人も、年をとって来て不調なようです。もちろん自分もまた年をとっているのですけれど。。
 芝生も手を入れると、それなりに伸びます。父の写真に原爆ドームと写っているのがあったのも、資料の整理の中で分かった事でした。関西での障害者と健全者の大交流会。と横幕のある写真。その年度が知りたいと問い合わせていますが、お返事待ち。
 その交流の日程で考えると、何年前かの8月6日。父はあの頃の同志たちと、仲間たちと、行っているのです。
 不調の伝わってくる人たちの、今の社会を、そして運動を歯がゆく思っている気持ちをまた、私は記録していかないと。