2014年8月28日木曜日

二色式部


 
 ほとんど、同じところに植えてあるけれど、やはり二株だから、ムラサキシキブとシロシキブが同時に花が咲き、実を付けても色は違います。どうしてこうなったのか。どこで拾った種を蒔いたのかも判然としなかった、墨田のベランダの植木鉢から移植した今の庭の式部たち。
 微やかな、深意に満ちた会話をしているようにも見えます。
 以前にも書いたかもしれないです。文才の出てこない植え主は、彼女たちの会話も聞いてみたいし、早朝畑のカラス大先生の教えも学びたいと欲張っています。
 昨日は、文庫番の父、大仏尊教=晃(空)の生まれた日でした。父もまた、まとまった本とすることはなかったのですけれど、いろいろな他人が語り、表している父の姿。何が正しいとも正しくないとも言わず、距離を置いてきています。そう距離を置くしかない。
 では、兄と私と同じように父母を語る事ができるかと考えると、その間には色の違いがあるのだろうと思います。資料を保管しながら話を語りながら、それでも宗教者としての在り方を語る事ができたらもっと父の姿が明確になるのに、それはくらしを語るだけの文庫番には到達できない部分だろうと控えておきます。
 人別外に生まれ。そうでしょう。寺が人別帳を持っているという事の意味は、寺に生まれるということは人別外であるという事ではないでしょうか。遥か子供のころから、聖職と呼ばれる教師と、他人の身体にあたる医師と、そして人の生涯を書き留める寺の者は、他人の業を背負うものだと考えていました。他人の業を背負うとは、鬼を心のうちに住まわせること。このところ、市民運動ってやはり馴染まないなぁと思うのです。結婚して20歳を過ぎ市民だなんていうびっくりした立場になった時に自分は棄民だろうと考えていたのです。そのように表明したいと。市民運動ってこそばゆいというか、何かさかしらな方々のもので、その日をどう生きるかなどという在り方とは違うのじゃないかと感じたのです。都市に紛れて、連れ合いの稼ぎで食べて、地域で生活ができて、それじゃない。そうじゃないというもどかしさを、いつも胸の内に感じていて、それなのにくらしに根差したことばばかりを紡いできて。見えているその間。あわいに埋めてあるもの。
 埋めておきましょう。いづれ元の色が出るのでしょう。 それでいいのだと思っています。
 

2014年8月17日日曜日

秋色になって


 義母の新盆も終わり、この地の寺に先祖代々の位牌を納めて、今年のお盆は終わりました。
三年続けての迎え火、送り火。送り火を焚いた庭の草の実は、すでに秋の色になっています。
里山畑は台風11号が近づいたあたりから早朝草刈をしていなかったので、まるで耕作放棄。
嘆かわしい。大豆はまあまあの発芽。予定していた蕎麦の実もあるのに、手が回らないという状況。
 マハラバの年表に手が付けられて、そして母の支援していた冤罪事件の多くの資料の行先がしかるべきところへと決まって、資料棚(元の住人の食器棚)の中も少しゆとりができそうです。
 もう少し、集中してマハラバを語る事ができる検証を進められるでしょう。母が多くの活動をしてきた筋道も読み解かなければなりません。その事が父の思想との整合性をもって世に問うことは、今の状況でも少しも後退させることはできないのだと考えています。だから、しがない土いじりも薪運びも、その実践であり、在り方なのだと自分なりに思うのです。
 味噌の熟成も進んできました。まだ台所刀自とはなれない文庫番。秋の学びもしなければなりません。先祖代々、ひとつの地域で行き来していれば密度は濃くなっています。父母の先祖は自分の身体に受け継いで、あらたしきものになるのでしょうか。秋はまた冬を誘い、新年へと続く日なのです。

2014年8月15日金曜日

虹のロゴ


 ロゴを作ってみました!とSNSの友人から送られてきました。自分では発想できないポップな感じ。虹のイメージもあるし、しばらくこれにします。
 本日創業日。そして父大仏晃がフランシスコ・アッシジの洗礼名を頂いた日。

2014年8月11日月曜日

お盆前に


 台風が来て、蒸し暑さを残していきました。お盆用意を午前中に買い出しに行って、そのまま里山畑の台風後の様子を見に行きました。白瓜はごろごろと成っていました。藤棚変じた苦瓜棚のゴーヤも成り時で、瓜だらけの台所。
 倒れたきゅうりの支えも直して、そこには馬用のきゅうりがまだぶら下がっています。茄子も手ごろなのが残してあります。茄子は人数分より本数が多いので、茄子メニュー連続です。
 さて、、瓜子姫でもいるでしょうか。桃もたっぷり食べた後に瓜が採れて、まるで昔話の流れのままに家の前の川があるようです。
 流れは何を運んでいるのでしょう。昨日はまた、合流に向けて激しい勢いの泥水が押し寄せていていつもとは違う川面でした。ズックの片方とか、漬物桶の蓋とか、何も物語を起しそうにはないのですけれど流れ来て、流れ去っていきました。昨秋の台風の時には義母と見た川です。そして赤い夕焼け。
 なんと一日、一瞬が人の生きている間の尊い事なのか。その中から人に伝えられることばが生み出せるとしたら、それがことばを育て文を成りものとする喜びになるのでしょう。
 無事に、8月9日の「マハラバに居て」(マハラバ村に居て替題)の講師を終えました。企画してくださった、コムケアの佐藤さん、櫻井さん、参加と言う形で応援してくださった皆さんに、感謝する気持ちをここに表しておきます。母の誕生日に、そして長崎原爆忌の日に、教会での黙祷からはじめるマハラバの話。それは、東日本大震災以降の社会に問うものであってほしいと話させてもらいました。現代文明を否定する。その在り方を問い始めてからどれほどの時間があったのでしょう。無明の中に光を灯すことができていたのでしょうか。無明のままに今はあるのでしょうか。そんなことはない。集まった人たちが、不条理に対して叫ぶという事を失くしてはならないと少しでも思えたら、それは万灯会となっていくのでしょう。

まだまだ、灯りを点ける、そのことばを発していかなければ。

2014年8月7日木曜日

星祭りのお誘い



 いろいろ、ご近所のお助けで暮らしています。それでもお互い様を気を付けながら。引っ越し前後から誘われていた夏の星祭りは明日の夜から三日あるそうです。お天気は持つでしょうか。
 私には夜空は撮れないから、干し祭り。
冬の薪は乾燥中。でも共同で作業をしているところが新しい住宅の建つ予定が決まったという事で、我が家の分を早く移動させなくっちゃならないと、連日薪運びの往復。プレマシーに積み込んで、運んでまたおろして積み上げる。太目の枝のままのものは割る作業もしながら、この酷暑に。。でも昨夏に比較すると気温は低いから、疲れを貯めないように全体の調整です。
 ようやく、これから文庫の資料整理の道筋になる年表の元ができました。今回頼まれたお話の資料作成なのですけれど、基礎的な年代の整合が自分の体験に沿ってできたので、長年の懸案に対して取り組みやすくなります。その資料作成といきなりはじまった薪運び。そして補植をしても旱天に芽のでない大豆の様子見や里山畑の草刈りもばてない程度に組み合わせ。私だけじゃないです。連れ合いは意地っ張りに疲れを見せないから、声掛けて休ませないと。
 そして、台所の楽しみもあれこれして日が暮れて。瓜の類もいろいろ採れてきました。味噌の献立も幾つか入れると、なんだか秘蔵の味噌も使い切ってしまって、今年仕込みの味噌の口開けまで持つのでしょうか。毎食微調整です。秋の一番味噌はパル山梨オリジナルだった麦味噌セット。あと半月。そんな事を思案しながら、干しているのはこれが四日目になるデラウェア3房分。まだ粒の形はあるけれど、皮に皺が寄ってきています。あと半日このお天気ならば初めての干し葡萄は成功かもしれないです。干しゴーヤは二日ですでに出来上がり近いのが不思議。あとから干したのにと、悔しいので、葡萄の網は物干し下からトマトの棚へ移動させます。…薄曇り。
今回の資料作成で筋道が少しできたので、屋根裏や資料棚に入れっぱなしの文章類も虫干ししないとなりません。
 今夜は花火大会。雨も降ってほしいし。星は観たいし。