2020年3月28日土曜日

南風に


 蕎麦畑のはじめての裏作の麦。麦踏をして寝かせた茎の間に土入れをすると、分結を促すと教えられ、またまた私たちは人力でそういう作業をします。
 広大な畑だったら何らかの機械力が工夫されている作業だとは思いますが、自分たちの足腰と腕の力。もう少し早い時期に同じ作業をした新潟でもらった麦はもう緑の茎が立っています。南風も吹き荒れるような天候でしたから、目に埃が入らないように風に背を向けて、一歩づつ進めます。
 なんとなく、マッサンの麦の唄が浮かんできます。見知らぬ土地に来て事業をなしていく。。そんな大それたことはしません。
 これは鶏の餌用の麦が実るはず。
 そして今朝のNHKは、スカーレットの最終回。自分がどのように次女を看取ったか、家族のそれぞれの思いはなど振り返る一週間でもあったのですが、月・火は薪の作業と畑、水・木が甲州小梅の剪定枝を軽トラックに乗せて運び、畑で焼きました。金曜日は麦踏をして、強風になって戻ったのでした。今日は、すこし曇りがち、暖かい気候。人の生死の重さを考える一週間でもありました。無一物で生まれ、無一物で死んでいく条理の中に、人それぞれの不条理がどれほどあるのでしょう。今を生きているというかけがえのないこと。
 意図していなかったはずの父の遺した書籍。先日確認したのはやはり全量ではなく、記憶の中でいくつかの棚のものが、箱に入っていなかったのです。それは仕方のないこと。時間がある時に自分の記憶の書名を辿って、検索しています。限界もあることです。
 

2020年3月13日金曜日

薄緑の柔らかさに


 蕗の薹に、地球の鼓動を感じたのは2007年のきなり歳時記だったと思います。それは3月10日を悼む詩でした。それは山川草木国土悉皆成仏を柔らかく言いたい拙さでした。
 今年は、3月10日も3月11日も重く一言では表せられない辛さを感じていました。多くの人たちに、僅かでも信じるという、草木の芽吹き大地の甦りを伝えたいのに、忘れないだけではない忘れることができない様々が沸き起こってしまうのでした。
 人間のつくりだした放射能で冒された、この地上に、草木は芽吹いてくるのです。花も咲くのです。それなのに私たちは復興などという驕ったことばしか持ち合わせていない。そう、父の蔵書の中に「人間の復興」もあったのですけれど、それは何を読み取ろうとしていたのでしょう。在ったという事実しか文庫番には記せない。
 放射能というものも、戦争というものも、人間が生み出した忌まわしいものであるとしたら、今年の新型ウィルスという、力の及ばないものは同じ様に忌避すべきものなのでしょうか。
 私たちが繰り返してはならないことを、抱えながら、なお自然をいたぶっている事への警告ではないのでしょうか。
 まだ、大地の恵みを信じたい。自然というものの懐の奥行きに安心したいと思います。

2020年3月6日金曜日

倉庫作業


 文庫番は、父のしてきたことを書き纏められるのだろうか。あの時の山から運び出してもらった書籍の類がいったい何だったのか、どれくらいの量を占めるのか。
 30数年を預けっぱなしにしてあったその価値はあるのだろうか。
年度替わりの前に、4日をかけて出向いて行って、自分ではわからない判断も手伝ってもらいながら中身点検ができました。全然知的労働ではない、肉体作業であったといささかの疲れた体が言っています。