2014年12月30日火曜日

お飾りは無し!?


 今年も、清沈した感覚で大晦日を迎えます。連れ合いには年番仲間から春には山梨に行くと電話がありました。私は元日の来客予定の若い家族のお迎え準備。年が明ければ喪も明けるのですけれど、追いかけるように年忌明けの法事の準備がやってきます。来年は正月花も鏡餅も供えられるかもしれないです。これは薪伐りのついでの竹林整備のものを並べてあるだけです。手前のは酒器になるかしら。
 次のお正月。無事に迎えたいです。もう身体も心も無理はできないと解った年末です。まだこの年齢になって初めての驚きや、悲しみや憤りが、積もって小さな不調があらわになって、そうなれば、気になる診療機関の休日。ご近所のご不幸もあって、この一年を拭い去っての年明けは、身体も心も、すっきりとしたいです。
 弱音を吐けば、親たちに恥ずかしい。そう、私が親たちを見てきたところは、あらすじまでは描けました。その後が、一番母を描かなければならないのだと考えています。が、一旦。筆を止め、2014年から2015年への移行を過ごします。
 お飾りは必要なのよと、下町の御姐さんに励まされた日々も懐かしい。神輿に鳳が乗らなくっちゃ私たちは担げないは、だったかしら。今は、私がそのことばで励まさなくっちゃ。

2014年12月25日木曜日

マニュアル


 マニュアル取れないの。え!!
どうなのでしょう。やっとの運転をオートマでしているのに、何という事を言い出すのでしょう。
物事はそんなに簡単にすっぱりとはできないものですよ。
 薪割りは二年目を迎え、作業自体は、全体量の見通しができるようになったので、楽になりました。慣れということでしょうか。刃物の扱いに慣れは怖いですね。先日買った名入りの二挺。
 手斧の方が鉞より怖いと言われるのですが、焚き付け用の青竹作業の補助にはとても使いやすいのです。両手を使う丸型の竹割にははまらない太いものなど、私に任せて!
 竹林は11月か2月に刈るのがいいとかで、伐ってあったものを共同作業場で割って束ねる竹取の翁、媼の会話です。
 やっぱり軽トラックは必要だよね。中古でいいんだ。だって私たちは農業は・・あと5畝かな、一反はどうかと。え!!!
 セカンドカーは私用の小回りの利く小ぎれいなのが・・・。。軽トラックだって、今はマニュアル少ないのに、出物はマニュアルだからって、新しい免許って取れるの?。
 そもそも、何事もマニュアルがって、あのナッツ姫みたいじゃないですか。規約・定款順守の在り方の通じない会話。

2014年12月22日月曜日

キリコ展


 土曜日は、子供達と汐留で開かれているキリコ展を観に行きました。美術の教科書に出ていたキリコ。独特な素材と鋭角的な対象。影の存在。興味を惹かれていましたし、生前の父の評価も高い画家だったのです。
 絵画なのだというのが、何よりの印象です。どこか、教科書の中,、テレビの画像の中にあるグラフィック的な印象があったのですが、一点ずつの肉筆性に、人間性を感じたのです。
繰り返し取り上げられる主題、形而上的室内、それは何をさしているのか。やまとことばに直した場合どうなるかとか、しばし日常を離れた時間でした。
dépaysement(デペイズマン)異空間に現れる物の配置。この手法はシュールレアリズム絵画だけじゃやあないなと、今書きあぐねている文章にも引き付けて、考えています。
土砂降りになってしまいましたが、大騒ぎだったと後で聞いた東京駅には向かわず、浅草に行って藪川の蕎麦のお祝いの食事でした。
 

2014年12月17日水曜日

礼文の海から


 荒巻鮭が届きました。近頃は荒縄で顎から吊るされているのではなく調理も保存もしやすいようにおろしてパックされているのだと、感心します。二人暮らしでも何とかします。
 礼文で獲れたと書かれていました。北海道の大雪の様子があちこちから届く日。あの厳しい北海道の雪に、高齢のあの人、縁者はどうしているだろうと、鮭を見ながらも今書き綴っているものを反芻します。それは北海道生まれの母の事。
 私には、母のように、人のためになるという生き方ができないのです。この贅沢な味も本当に食べるものが無い者とも分かち合おうともしない。閑居山で母が石油ストーブの上で拵えてくれていた三平汁。小学校からの帰りに山の下から、嗅ぎ分けていたあの頃。大勢の障害者や関わる人達、どの人数になっても、口を満たしていたあの鍋を、つくる事も出来ず、ひたすら自分を肥やしていくだけなのかと、感謝するまえに不甲斐なさを言いそうです。母を慕う人達にどれほど今の私が助けられているのか、改めて思うのです。どうお返しができるのか。
 お母さんのように人のために生きて下さい。というのはプレッシャー。ただただ、ああ食べたこう食べたと書き散らし、喰い散らし、涙散らし。
 自分の暮らしを綴るのは、暮らしというものは個に基づくものだから、全体でどうこうしろという考えじゃあないからだと、何遍でも称えるのですけれど、その考えだけじゃあ、御託を述べるだけ。
 まかり間違えば、羨ましがらせるようとしてと言われて、あまりにも書き手と読み手では意識が違うものだと情報の限界に落ち込んでしまったこともありました。
 かといって、茶化すしかない、極貧とも言う中にいまだに兄は居て。(多分)切られた縁にも、納得もせず、書く事で繋がるかとパソコンに向かえばエピキュリアン話にしかならず、文章は進まず、やっと茨城の山にまで母が来たところ。私が生まれたところ。
 
 

2014年12月7日日曜日

マハラバ三昧


 朝起きると庭の落ち葉は霜がついて、陽があたるとチリチリになって、それを繰り返しては崩れて土に還るのです。
 陽が昇る前の庭に出て霜柱探検だけでなく、このようなものも見つけることができました。
ちょうど、何かのやりとりで何故紅葉はあんなに美しく彩られるのでしょう。という問いもありました。
散ってゆく覚悟かと思っていますが、地面に落ちてからの大地と大気の間の水のめぐりに、少しの間居るのですね。
 資料を写しながら、今、いろいろと仕掛けられることがあっても焦らないようにしようと、強く思います。もちろん、この作業が遅れて始まったことに、間に合わなかったのかとも思っているのですけれど、いつかは、大きな流れの中で意味を成すのだろうと、30年以上前の往還を、面白く、マントラ、タントラ、サマーディなど言い出しそうです。
 これは、何にとって意味があるかと思っても、あくまでも文庫番にしかない仕事なのでしょう。
それでもいい。

2014年12月4日木曜日

村の工場!


 檜原村には、郷土芸能祭があるんだ、工場の上の酒屋さんに貼ってあったポスターに思います。毎年の村の人たちの楽しみがあるのを、同じ東京に住んでいた時は知らなかったことです。そうは言っても、武蔵五日市の駅からバスで小一時間。
まさに秘境、山村の中に井上食品さんの蒟蒻工場、畑、冷凍庫、洗い場があって村の人たちも働いていました。
バスで上がってくる途中には生木の匂いのしそうな製材所がありました。林業が成り立っているのですね。蒟蒻の木枠もバッタ式の練り機の蓋も、村の檜を、腕のいい村の職人さんが造ってくれるという話です。見ても新しい清潔な感じの木枠です。その保温性。ステンレスではでない部分へのこだわりを、村の中の様々な温もりが集まって来て私たちの食品製造を支えているのです。
 生芋を茹でて摩り下ろして、それを、練ってカルシウムを混ぜて、練って練って型に入れて、冷やしてパック、湯気と水に満ちている工場内を見ながら、この豊富な秋川の地の水が育てている味を、どう守れるのか、伝えられるのか考えます。
 最初の商品展示会が錦糸町と品川であった時以来、行きたかった井上食品さんの訪問は、結局マハラバ文庫の企画になってしまいました。長い年月がこの生いも蒟蒻の美味しさになじんでいます。
 山仕事讃歌の隠れた座回しは軽米の椎茸原木会議や檜原村の隣?上野原の中川さんの雑穀を見に連れて行ってくれた小川さんなのですが、わさび田を見た折だったでしょうか、檜原村にも行けるのでは?という気軽な考えで一回企画したのに、日程がとれなかったのでした。今回小川さんは福島の飯舘村の除染に行っているので、文庫番が、組んでみました。企画としての読みが浅くて参加者の方々、受け入れ先にとっては、申し訳ない事だったのではと反省点も幾つも。
 未熟なままに暴走している企画もする会社です。結果、美味しい味を知るだけかもしれません。
ここの地域は、じゃが芋や蒟蒻芋のような芋に適した土地だからと、振舞ってもらった煮物。適地の味というのは、どのような調味料にも勝るのですね。
 

 檜原村も、人口は半分になって、井上さんの通った小学校も統廃合で一つになっているそうです。働いている方々も、若い人はもちろん、村のおばあちゃんおじいちゃんも。この間、そこの道をウリン坊が二匹連れ立って歩いていたよ。熊もいるよと言います。むやみに工場を拡げても雇用は大変ですね。私が長く食べている味を守りたいと思ったら、・・課題はどっさり。
 そして、バス・電車を乗り継いで甲府の町に戻ると夜です。車で駅から私の村に!戻ります。
駅前・地方都市の役割が、変わってきていることに、どう転換の姿が作れるのか。日本の各地を助手席で語ります。その晩の居酒屋で出た食べ物は、業務用仕入れのどこでも同じような食品でした。課題はどっさり。

2014年12月2日火曜日


 この表紙のとれてしまった一冊が、遺されていて、その意味が中に父の文字で書き込まれていた歎異抄の引用とともに、一時代の閑居山マハラバ村を、私に伝えます。
 それを、伝えている手紙のやりとりを文字起こししながら、人生とは正義だけではないと、また思うのです。この、作業は、してはいけないのではないか。と。
 それでも、纏めておかないとならないと思いながら、非才非力な文庫番です。