2011年9月29日木曜日

煌めきはここに

 私の虹は、そう言えば今年の雨の降り方に、昨年あれほど観る事ができた虹をみなかった。いやみる事をしなかったのかも知れないと、今朝、思ったのは、軽米のリンドウを活けてあるガラスの花器を通した、朝の光がプリズムとなって、水仕事をしている流しに虹の七色を映した一瞬があったからです。
 この一瞬は、私だけの喜びです。台所に立ち、花入れを洗い窓辺に置く。そんな暮らしの中に、この不思議な偏光の投影ができる。毎日の暮らしを見つめる事で、光を発見できるのでした。
 爽やかな秋の空となり、一年中で、今しかないという大気も、義父にはエアコンの数字で調節したものが、自分の世界になって、体感を忘れているようですが、義母に追い立てられ、リモコンを手放し、外に出かけます。家の中で言う事を聞くのはリモコンだけなのかしらと、ふっと可笑しくなってしまいます。
 

2011年9月23日金曜日

何か変わった

 花は紅 柳は緑 何を季節はずれなとなりますが、今朝、空気が変化し、季節が移ったのが感じられました。その意味を考えていたら、憑き物が落ちるように、整理されてきたように考え方がまとまってきたのです。
 私の挨拶で、自分で一番覚えているのは「花は紅 柳は緑」でしょうか。東京駅から春の修学旅行で京都へ向かう中学校の生徒たちに話したものです。春の京都であるがままのものを感じていらっしゃいとあなたたちもあなたたち自身なのだからと。中学生という多感な身体も精神も伸びていく年齢の生徒たちへの挨拶から経験したことが、その後の私には、大変役立った真剣なやりとりでした。もちろん東京駅集合に間に合うように急ぎながら、花は緑柳は紅と間違わない様にと、心したのです。その学年の子たちは、秋の文化祭のテーマを、「To be Natural」 として返してくれたのでした。挨拶は一方的に自分を語るのではなくやりとりできる投げかけなのだと知ったのです。
 今朝は、お彼岸の中日。秋分だったのです。そして野分のあと。相対性理論は崩れたのでしょうか。それでも、不可逆である時間と、天文の巡りからの季節の繰り返しに折り合いを付け、その日に縁のあった人を偲ぶ折り目をいれた生き方の智恵。無理のないあるがままの朝の空気を受け止められました。
 玄関先には台風の置き土産の落ち葉の吹きだまりができていました。それを掃きながら、または階段の埃を拭きながら、シュリー・バンドクにお釈迦さまが諭した内容を、また思い出したのです。自分のこころも、繰り返し繰り返し、浄めていくのだと。いくらでも捉われるように、吹きだまりもできるけれど、また、最初からやり直せばいいのだと、お彼岸にやっと思い出せました。生成りはあるがままなのです。きっと新しいことばが生まれる兆しなのです。

2011年9月22日木曜日

氾濫する思いに

二河白道という言葉があります。この場合適切な用い方ではないと思いながら芦屋駅ホームから見た流れの写真です。
 
 台風15号が来ているにも関わらず、新幹線の下りは動いていたので、神戸に日帰りで行けば、夕刻の顔合わせには戻れると考え、小倉修悟さんの告別式に出ました。会議に出ていた中で、一致するところも多かったかと思っていますが、事業を牽引する立場と、組合員のくらしの視点との考えを一致させていく難しさを互いの立場から考えていたのではないかと今は思います。
 なかなかできない事であるのが解ります。
 人間が、絶体絶命で、引く事も、進む事もできない。その中で、どうしたらいいのだと、救われたいのだと思った時に、白い道が顕れるのだそうですけれど、絶体絶命の連続でもあったのではないでしょうか。
中国北部からの引き上げ体験からその人生は始まるのです。そして、この冊子の最後には般若心経の大事な言葉がありました。 心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想 心が安らかに、安らかにお休みください。
 
 壮絶なスキルス型の胃癌の闘病。生協への思い。家族・・。私は連れ合いの最後を看とるよりは看とられたいのが願いですけど、そうもままならないのだろうと考えます。
 一年にも満たない闘病で逝かれたのです。ご家族を残しながら、自分の余命を数えながら、痛みと恐怖の中。3月の震災・津波に襲われるのと、理不尽な病魔に押し寄せられるのと。重ね合わせてというくだりを、台風の影響で新幹線の止まった新大阪の駅の待合で読むのでした。関西はそれて、東海・関東に上陸となり、大阪での宿と食事を探す事になります。上りの新幹線は、朝にならないと動かないのでした。
 
 溢れ出る思い。滂沱の涙。そして、道筋を付けていこうとする人の知恵ともいう煩悩。
 この台風の最中の葬儀の取り仕切り、案内誘導は、風雨に飛ばされそうになりながら、白いビニール合羽でご当家のホール案内を示してくれていました。コープこうべの多くの職員さんたちの涙もこの雨になっていたのでしょう。そして・・。 
 二河白道。私などはまだまだ、本当に前へも後ろへも行けないほどの苦しみは味わっていないのだろうと、だから迷いながらしか、日々を暮らしていないのかもしれません。

2011年9月17日土曜日

分かち合うと言う事

 産直と言う事を、産地から消費地へのものの流れと単純には言えない。
以前、そこに持たざる者同士が協同する意思を持つ事と、一つの解答を持てたのですけれど、藪川の開拓組合の歴史を聞き、墨田の皮革産業を受け止め、いのちの在り方を考えると、その大切な産物をどう分かち合えるのかを産直と表現するのだと、いまさらながら自分のことばとする事ができました。その事を、狭山で報告できた事。私のこころにひっかかっていた痛みだった事の一つをお話できました。
 消費する側として、どう分かち合いの形。仕組みを作れるのか。それは争いもいさかいもない世界を目指す事になるのです。産直とは、戦争と飢餓の無い思考を人類が手に入れる道なのです。先輩方が創ってきてくれた道です。

2011年9月13日火曜日

諸行無常

祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響き有り
沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理を顕す
奢れる者久しからず 唯春の夜の夢の如し
猛き人も終には亡びぬ 偏に風の前の塵に同じ

 本日から、平家物語の講義となりました。全四回。昨年までの伊勢物語とはがらっと変わって、二時間半。みっちり、中世の無常感と政治の権謀術数について、祇園精舎のところと殿上闇討のところを、学んでいます。
 8月半ば過ぎに保護観察官から兄の今後の身元引受ができるかと一通の封書が来ましたが、義父母、そして母の様子を伝えると、同居が前提だからと、役人らしく判断され、私一人であれば、兄との理解もあろうと思うのに、ままならない。そのまま。この在り方を抱えて、マハラバはあるのです。たった一人の同胞でさえ、棄てるのかと。一体いままでしている事は何なのだろうと。

2011年9月11日日曜日

あの日から

あの日からと言う時に、どうして震災から半年。9.11から10年としか言わないのだろう。9月10日は国内でのBSE発生からの重要な日であったのに。その時もっと深く国際経済・金融の動きを消費者として、食べるものとして感知していれば、この巨大電力の構造とも正対できていたのに。

2011年9月9日金曜日

重陽

 菊のりがあったので、日本酒と思っていたのですが、さすがに蒸し暑い昼夜。今日はノンアルコールになったようです。一年中で一番陽気が集まるのです。なんとなくやり残して秋になっていた事も、順々に済ませて、身の回りの変化が季節の移りを表すようになった感じです。繰り返す事の無い時間の流れ。その中に折々に刻みを入れていた古人のゆかしさを辿ります。
昨日からお茶も九月のお稽古。床の掛けものは「清光」。

2011年9月5日月曜日

山仕事讃歌です



 見本ができてきました。発売は9月15日ですが、書店に予約していただけると幸いです。
一冊の本になるまでの、岩手県盛岡市玉山区藪川とのイーハトブ農場を通じた交流。そして「茨城を愛する会」を含めた各地域への訪問。岩手県軽米町、茨城県常陸大宮市、福島県大沼郡三島町を中心に、山梨県上野原市西原、福島県南会津郡布沢、福島県南相馬郡飯館村佐須などから得た、ものづくり、地域興し。食と分かち合いの思想。そして外山開拓の歴史、3月11日以降のこれからの社会と経済のしくみはどこにあるかをまとめる事ができました。ほっと一息つく事ができます。
 
「山仕事讃歌」一冊1200円+税 著者 増田レア(増田・大仏・レア) マハラバ文庫 図書新聞社刊