2011年9月22日木曜日

氾濫する思いに

二河白道という言葉があります。この場合適切な用い方ではないと思いながら芦屋駅ホームから見た流れの写真です。
 
 台風15号が来ているにも関わらず、新幹線の下りは動いていたので、神戸に日帰りで行けば、夕刻の顔合わせには戻れると考え、小倉修悟さんの告別式に出ました。会議に出ていた中で、一致するところも多かったかと思っていますが、事業を牽引する立場と、組合員のくらしの視点との考えを一致させていく難しさを互いの立場から考えていたのではないかと今は思います。
 なかなかできない事であるのが解ります。
 人間が、絶体絶命で、引く事も、進む事もできない。その中で、どうしたらいいのだと、救われたいのだと思った時に、白い道が顕れるのだそうですけれど、絶体絶命の連続でもあったのではないでしょうか。
中国北部からの引き上げ体験からその人生は始まるのです。そして、この冊子の最後には般若心経の大事な言葉がありました。 心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想 心が安らかに、安らかにお休みください。
 
 壮絶なスキルス型の胃癌の闘病。生協への思い。家族・・。私は連れ合いの最後を看とるよりは看とられたいのが願いですけど、そうもままならないのだろうと考えます。
 一年にも満たない闘病で逝かれたのです。ご家族を残しながら、自分の余命を数えながら、痛みと恐怖の中。3月の震災・津波に襲われるのと、理不尽な病魔に押し寄せられるのと。重ね合わせてというくだりを、台風の影響で新幹線の止まった新大阪の駅の待合で読むのでした。関西はそれて、東海・関東に上陸となり、大阪での宿と食事を探す事になります。上りの新幹線は、朝にならないと動かないのでした。
 
 溢れ出る思い。滂沱の涙。そして、道筋を付けていこうとする人の知恵ともいう煩悩。
 この台風の最中の葬儀の取り仕切り、案内誘導は、風雨に飛ばされそうになりながら、白いビニール合羽でご当家のホール案内を示してくれていました。コープこうべの多くの職員さんたちの涙もこの雨になっていたのでしょう。そして・・。 
 二河白道。私などはまだまだ、本当に前へも後ろへも行けないほどの苦しみは味わっていないのだろうと、だから迷いながらしか、日々を暮らしていないのかもしれません。

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