2015年5月30日土曜日

ナンテン


 南天の蕾が膨らんできました。冬の間、氷に縁どられても真っ赤な葉っぱで、彩りの少なかった庭を彩っていた木にこんなに白い蕾が沢山。そして花が開いて、赤い実が成って、土に落ちて、新しい芽生えを持って来る。
 人生の困難を、転じてくれるというこの木を、多くの庭で愛でているのですね。
それだけ、人はそれぞれの困難に立ち向かって、乗り越えて、幸運に転じていこうと願っているのでしょう。
 その困難の多寡も、深浅も、言えないものです。人はそれぞれの受け止めなければならないことがあって、なのでしょう。
 私のこの一ヶ月、そしてこれから、人生最大の危機ではと思いながらしっかりと受け止めていこうと蕾を見ながら思うのです。凍結注意

2015年5月26日火曜日

お奨めセット


 僕のお顔も洗わなくっちゃ。久々に智恵子さんや美和子さんが遊びに来るかもしれない。
あの頃は(〇十年前)センターとは言わず支所だったけど、倉庫に在ったサンプルで委員会のメンバーでお奨めセットを作ったり、中に入れる文章を書いたり、直接メーカーに問い合わせをしたり、毎日が石けんまみれ、白いお粉を詰めて・・・いたんだ。職員でもないのにみんな熱心だったよ。
 どうしたら伝えられるか、毎日毎日楽しかった。自分なりの工夫でともかくやってみたから。
 これはね。三代目?パルっ子が新規加入でいただいたんだそうだけど、ボディソープのミニボトルも入っているし、あの頃の手づくり感を受け継いでいるのも感じるしいいんじゃないかな。
 色々利用してほしい。まずは子供の喜ぶ縫いぐるみをふわっと洗う講習会なんかいいかもね。
 

2015年5月22日金曜日

二つの旅で



 先週は、南三陸&石巻被災地応援ツアーと葛巻の植樹祭と立て続けに出ていました。気持ちは東京に残しながらも、決まった旅でした。

 この美しい海が、海が嫌いになって、と。。。でも、4年目になって、幾人もの口から、あの時助けることができなかった、その状況が語られるようになっていました。人は極限でも、助けたいという思いがあるのだけれど、なすすべのない苦しみ悲しみを抱えるのだと言う事。人類の記憶にそれは堆積して、祈りになったり、助け合いという呼びかけになっていたりしているのだという気づきがありました。支援というのは一方的ではないはずといつも思っているのは、その記憶が現れるからなのかもしれない。
 目の前で苦しむ人が居て、たとえ、親子兄弟でも助けられないという場合があって、それは、その場に居合わせない遠くだったとしても、その自責を抱えるから、自らの痛みでもあり今できる事を探すのだと言う事ではないでしょうか。
 人は、人の苦しみを助けたいと思い、その事が万人で可能な社会を創っていければと願うはずなのです。それなのに、諍いや争いを繰り返してきている権力。人の願いとは別な力なのだと言う事です。
 葛巻の、薪の学校の下には、冷涼な気候の中での水田、棚田を守っている女性が居ました。葛巻でも米の作れるところは少ないはずです。うちの田んぼは蛇穴や鼠穴ができてしまうので、と棚田の一番下の畔から、水を張る前に、土塗りをして数えて15枚の田んぼを丁寧に整えて、田植えになるという。人の暮らしと生き物の在り方と、季節の巡りの中での作業をしていました。
 この畔をつくる作業もできない多くの地域を思うと、ただ懐かしい風景だというだけではない大切さを考えます。
 人の暮らしと、自然の力と、折り合いをつけながら、日々は続いていくのです。
 

2015年5月5日火曜日

対の物


 端午の節句にはと、数日兜飾りの後ろに鐘馗様の軸物を下げました。
桃の節句の立雛の額と同じ小林恒岳画伯に画いていただいたもの。
長男が生まれた初節句に、父が揃えておいてくれたものです。
どうも、画伯も、和尚の顔にも似ていると言ったとか、渡される時に言われましたが、髭面になっての父が居るのかもしれません。
 母の生涯のあらましを書いた今、書き足りなかったところ、調べたりなかったところが続々でてきてしまっています。最終までに入れ込むかどうか。
 全体に考えれば、父の短かった生涯をあらためて書くべきなのだと解ったのです。起しあぐねているテープを書き留めるのを、どのようにすればいいか、その技巧として、あくまでも文庫番の知っている像を綴っていく事が肝要なのだと、そうでないと、母の生涯だけを浮かび上がらせても意味がない事なのだと、考えられます。
 あらたな一冊を始めなければなりませんね。
父の姿を厳めしい大きな声の和尚と言われるだけから、世の中の邪からの守護の姿になるように。