2013年10月29日火曜日

さすがだ

 義母は明日退院です。本日は、いわゆる三様メンテナンスの一部、私の検診結果を聞きに予約時間に行きました。どこも敢えて言うほど悪くはないですよ。断層図も観ながら医師がいいます。そうね、肉が薄いところがあって、、え!!。筋肉が無いですよ。。、、、ああ、そうです。昔から弱かった部分で、。いや筋肉が無いのは運動不足ですよ。もう少し運動されると楽になります。・・・・・。
 そんな会話があって、午前中は一旦病院を出て、所要を済ませ、義母の入院生活も万端整えられたと考えて時間調整をして午後病室に入りました。なんと!もういつでも退院していいって言われた。とのことでナースステーションへ。あたふたと。めまぐるしい展開に理解の追いつかない私に執刀医が来てくれて術後の状況説明と帰宅後について説明を受けました。これからは緩やかにゆったりと時間が過ぎていくのです。
 明日への体制も整えなきゃ。

2013年10月25日金曜日

グランドデザイン

 義母は手術後の回復は良好。めきめきと!リハビリにも励んで、流動食はおいしくないと言って粒食になりました。経過を見守る緩やかな体制をどう作れるのかが今後になります。そして今回の入院に併せて、私たち夫婦もおざなりだった、身体のメンテナンスでそれぞれ気になる科を受診。
 総合病院での待ち時間を使い、どちらかと言えば、介護、老後を迎えるという事で湿った話題になりがちなのかと思われるのですが、先をつくれる点検としています。
 入れ替わり立ち代わり孫も、休みを利用して山梨まで来てくれているので、義母もある意味寂しくないのでしょうし、安心を一つずつ数えているようです。
 文庫番も、病院食とこれまでの自分の調理を見較べながら、さらに食べやすい献立も思案中。あまり今までのものと変わりはなくできそうですが、より一層台所時間が長くなるかもしれないです。
 先日は、薪ストーブの試し焚きでお芋や栗を楽しみました。熱源と調理器具が一体であるのは楽しみですが、しばらくは失敗もするでしょう。それもそれとして薪をどう調達するか、そのために自分たちの可能な体力とスペースをどう考えるか。地域で取り組める里山再生に、いつの間にか入っていて、そこからまた教わることも多くあるのです。通院見守りの間には薪運びに薪割り(こっそりと)、それはまた、山の中でどう暖を取るのか食を得るのか兄の姿もよぎり。たとえ昔薪割りもしたからと言って、今もやれるとは限らない文庫番なのに、先々を考えるとこれもお稽古。いえ身体を動かす楽しみ。またまた「山仕事讃歌」。
 地域の中の協同をどう表現するのか。ひとの在り方は。それらをことばとして表現するのが文庫番の仕事です。
 そうですね。文庫番は家の手直しが一段落したあたりから幾つかの預かった原稿に目を通したり、調べたりはしています。そして、企画に、その他。自分の文章力は向上しているのでしょうか。まだまだですね。今後・・・・。できる事、できない事の勘案。誰とどう時間を使って。
 そして、食べると言う繋がり、里山、庭、畑。傾斜や水はけ、風向き。適地適作をもう一度ですね。これも老いの体力でできることを考えないとなりません。だから、グラウンド・デザイン。。いえグランドデザインを、更新しながらです。え?脱原発、、、国の方向、、、いえ単に自分のくらしの必要です。

2013年10月21日月曜日

明日は義父母の結婚記念日

昨年、二人揃っていたのに、今年義父が亡くなって、そして今義母も入院中。
ステージ4の大腸の腫瘍。肝臓にも大小の転移。本日手術となりました。すでに延命のためのものと理解しています。より良い状況で過ごすには今塞がっている部分を取り除かなければなりません。でもすべては難しい。いつから?かなり以前から。。
 9月に東京にやっと出ていけたけれど、その後さまざまな病院を受診。即刻を争っていた状況でした。文庫番も夏バテしていた時には、むしろいつも臥せっている義母の方が健やかにみえたのに。思い合わせれば、2011年の3月の骨折以前からも整体に通ってだるさや痺れを緩和してたけれど、骨折以降はその治療とリハビリに移って、身体全体についてのケアをおろそかにしていたかもしれません。そして義父の死、引っ越し移住。良く頑張ってくれています。
 孫たちも励ましに来てくれて、本日の手術無事に進むように、願っています。

2013年10月19日土曜日

雨音の中で

 夜明け前の雨の音に、もう少し寝ていられると布団に顔を埋め、そして考えるのです。庭の葉っぱに着いた青虫は、葉裏に回って、雨を逃れるのだろうかと、キャベツに着いた青虫は深くもぐっているのでしょうか。大豆畑の周縁にある茂みの中ではイノシシが、頭を低くして、息を凝らして台風の行くのをやり過ごすのでしょうか。その獣の思念。
 生き物たちが、雨風、寒暖をしのぐ夜明け前、屋根の下で布団に温もり安穏としながらいる文庫番。その兄は、茂みの中のイノシシと、どう違う生き方ができるのだろうかと。
 未熟な理論、社会への不適応、家族との疎遠、血縁という裏切り。互いに自分の理屈に引き寄せている傲慢。生きるという事。
 そんな事を思いながら、日の短くなった明けるようでなかなか朝を迎えない時間に、自分のだらしなさを思います。
 自他の間。兄と私との間になんの違いがあるのだろう。立ち行かなくなったようだ。何回も無心に来られて困る。そういう連絡が幾つか来ました。文庫番は兄との直接の連絡は途絶えているのにです。何通出しても、着いたのかどうかもはっきりしない葉書。
 
 
 悠々自適に農住憩い。朽ち落ちた小屋に信者もない無心僧。
少人数には食べきれないほどのやりとり。一人の口も糊することのできない埒外。
 幼いころから知っている、兄の世界は、自分だけの理屈で組み立ててあり、それを寺に生まれた、もといマハラバとは社会に抗うことと、身につけてきて。それは、文庫番も相似同根。
 ああ、何を被り雨をしのぐのだろう、何を食して日々をつなぐのだろう。
だからと言って、一切構うな、関わるなという連れ合いと兄のお互い。そしてすでに我が家は年金暮らし。文庫自体もやりきれていないのに。
 2011年の1月に土浦駅頭で逮捕された時から、母には、もうお母さんが私のために責任を感じなくて良いのだから、すでに、文庫番と兄との間のことになっていくのだからと、母の背負っていたものを解いたつもりだったのだけれど、あれから三年近く、大豆畑のイノシシは、閑居山に居たものなのでしょうか。いつまで潜んでいるのでしょう。いつ飛び出してくるのでしょう。・・雨音の中。
 

2013年10月9日水曜日

手帳もカレンダーもなく

 家に時計って本当は無いものじゃなかったのか。なんて、話をして、最低限…一応マハラバ事務所と義母の部屋には掛け時計をかけてあります。カレンダーは予約米のが2013年はあって、連れ合いの机横にはネパールの手漉き紙のネパール暦が下げて有りますが、手帳はもたなくなって2年目。もうそろそろカレンダーや手帳を新年の分など揃えはじめる頃なのでしょう。
 そうそう我が社だってお得意様にお配りすれば、いいのに。でも、予定はないです。
そう、予定はない暮らしです。最低限のスケジュールは町会が配る市の広報の当月のカレンダーに書きこんでいます。義母のデイサービスと、ゴミ収集日が優先。
 テレビ・・頂いたものがあります。インターネットに代わってきましたね。新聞も取りません。
日の出、夕日、月星。そんな空を見上げるようになりました。雲が行き、月日の傾きを身体で四季と合わせる。庭の実り、隣近所でのやりとりでの食卓。よりくらしの歳時記に近づいたのです。
 
 何かに捉われて生きてきたのだけれど、それって生きるという事の本質だったのかと問い直します。家にカーテンも、スリッパも要らない。そう考えると、時計が不思議なものに見えました。
でも、気を付けます。パソコンやモバイルにばかり向かっているとそれは、また何かに誘導されている生き方になります。
 今は、ただ一日一日、場当たりにも思えます。明日は何をする?そんなことが夕食の会話です。それぞれの、予定を確かめて庭の木々や畑の様子を思い浮かべ、そうそうテレビの天気予報は少し足して、今年は何をやっても失敗だけど、何が向き不向きな土地柄なのか、いろいろ試すことができたのです。秋は、今在るものを確かめて、そして次を考えられるのです。
義母の部屋で時計だけが時を刻んでします。

2013年10月6日日曜日

金曜日のずんだだだだ


ずんだだだだだだずんだだだだずんだもち

あずきだだだだあずきもち

じゅうねんだだだじゅうねんもち

 

今年の畑でつくったの、何にもないけどけってらっしゃい

ずんだにあんころ、エゴマ餅 ぎゅうぎゅう並んだ食卓は

仮設住宅、狭いけど 今はここがわが住い

二年経ったら、だんだんに、一人びとりが外に出て

畑を借りて鍬を持ち、大豆も、小豆も育てただす

青菜も絶やさず作ってる蔓紫にアスパラ菜、きゅうりの漬物美味しいよ

喜びは、自分で育てた成り物を皆で囲む御膳です

 

ここにくらしがあるならば

周りの畑を無駄にせず、一苗一苗育てれば

野菜は買わずに食べられる

土地の恵みで生きてきた、お金じゃ買えないものだった

地団駄踏んで涙した あの日の事を忘れずに

五体の張り裂けそうな嘆きの中に

農婦の我らを苦しめる、母のいのちも縮めたか

 

豆をより分け、茹でたてを

ふっふうあちっちと冷ましたら

莢から出して、皮を取り、すり鉢に擂り粉木あてて

粒を擂り、滑らかに、豆の緑も鮮やかな

これが飛天と言う豆で、ずんだ餅ならこの豆で

ほっと口に入れて味見をし

豆の甘味と味付けに、今年の工夫を足してみて

 

そうそう、今日は味噌談義

今年もやっぱり収穫祭、皆でいのちを繋いでく

大豆に麹に塩なのに、材料それぞれ奥深く

智慧と経験熟成し、男の人たち手伝って

これから、味噌をつくるなら、浄化の願いも込められて

どうすべこうすべ、味噌談義 打ち合わせも満腹の味噌の里親、お母さん 

 

一人だけではつまらない

二人だけでは、まだできぬ

三人寄れば何だって、できないことはないのです

栄子さんに、よし子さん、とし子さんも来てくれて

ずんだだだだだだずんだもち

あずきだだだだあずきもち

じゅうねんもちもたっぷりと

 

届けてあげるよ金曜日、官邸前でもずんだだだ

くらしの中で、立ち止まり

原子力に依存せず暮らしていける社会へと

未来をつくって、ずんだだだ

大勢さんがより集い、声に出してずんだだだ