2021年3月28日日曜日

蓬摘み


  ヨモギを摘みました。お彼岸に煮てあった餡子で草大福をこしらえました。

茹でたヨモギを刻んで、擂鉢で擂るのです。だんだん流しの調理台から台所の床におろして、膝頭で押さえながらすりこ木を回すのです。腰も疲れないし、力が安定して腕も楽。
そういえば今の季節に母が作ってくれた酢味噌和えや、木の芽竹の子などは、マハラバ村の食事は、そもそもが寺の庫裏で作ったので床が配膳台でもあったのでした。そこで盛り付けお盆に乗せて、皆の待っている部屋に運んで。そういう事を思い出します。
 台所改善運動の前の釜戸から、流しと台所。そういう流れだったのだと改めて思います。そこには、様々な女性たちが手伝ってくれていて、傍らで、食事を待ちながらの人もいて、時々、母の指示を無視して父が先立って何かを作るにしても目線はみなと同じ位置で。
 何もユニバーサルフリーだとか、段差がどうだとかではなかったのだと今更ながら思いました。
 それは、福島原発事故避難の伊達東の仮設住宅で榮子さんたちと、料理をした時もそうでした。なーにレアさん味噌の擂り方もできないの。はい。かしてみな。そんな会話もついこの間。ようやく私も擂鉢が扱えるようになっての草大福作り。春の芽生えの真っ先に、雑草と化して戦う相手ではなく、柔らかい香りを楽しめるために。

2021年3月11日木曜日

白い花のオオイヌノフグリ



 白っぽいオオイヌノフグリがありました。畑際の数本です。というか畑の畝全部の草を見るほど熟練していません。
 二日にわたって麦の株へ土入れ。これは蕎麦の裏作に作っているところです。石っころだらけの硬い土。そこに咲いていました。そしてのっぷいと言われる柔らかい八ヶ岳の噴火土壌の畑の麦も同じように本日土入れの作業。ひたすら、鶏の餌用、おこぼれを私たちが粉にして楽しむ小麦です。
 その作業が終わったのが午後2時46分。サイレンが鳴ります。
10年前のその日。9年前のその日、8年前。。順に記憶を手繰ります。
 そして純白の野の花。

 

2021年3月4日木曜日

同じ釜の飯



 嫁ぐ私に、その時一緒に暮らしていた女性が持たせてくれた折雛を今年も出してみました。だから、40年以上なのですね。
 彼女も保育士さんだったとか。色々な事情の人たちが身を寄せていた山寺の庫裏。今でも時々電話をかけてきてくれます。もう、その頃の人たちもそれぞれに老いに向かっていて、ポツンポツンと様子がわかると、ほっとする中継点なのかなと思ったりしながら、何ともつかない話をしています。何か書いているのだったら読みたいと伝えると、今いるところの様子を書いたのがあるのと2冊ものノートを送ってきてくれました。
 みな、頑張って生きているんだなぁと思います。
そう、中継点なんて言いすぎてますね。同じ釜の飯という意味を考えます。
共食って、ただ一緒にテーブルに着くようなことじゃなく、その共同体での賄いもわかっていて、お互いにお腹を満たせるというこころ配りのできる間柄になるという事。そういう体験の共有。食べるというのは実に、個人的、自分の世界であるのに、共に居る人と一緒に食べてこそ、伝わる事がある。そういう言葉でしょう。
 そういう身を寄せ合える場を、増やせないかと毎晩思うのです。