2013年11月25日月曜日

文庫番一刀両断

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                            味噌Cafe→                    





 いちのみやセンター10周年、発酵まつりを覗きに行ってきました。商品展示会ではフラフラしていた義母は元気に試食。連れ合いは、まだ少しゆっくり歩きなので、その二人が会場をあれこれしている間に、いろいろと感激!こんせん君ちくっと痛いかな。何より今回見たかった味噌Cafe、長蛇の列で並ぶのは断念。
そのあとは、会場出ての昼食でした。ぶどうの丘で開催されていたので、連れ合いには懐かしかった社会人最初の頃の話も聞くことができました。

 まだ大学生だった連れ合いと最初に会った頃。。山梨に住むことになるなどとは、まるっきり考えてもいなかった。そういう土地で、ましてや味噌を楽しむくらしをするなんて。
 山育ちは、今のくらしでも、身体から引き出せるリズムがあったのです。普段はあるとも思えない文庫番の集中力。薪割りの斧を持たせたら、感覚が取り戻せられて、直径が17㎝長さ30㎝程度の薪相手になら、持ってる限りの集中力が発揮されるので、中心点にしっかり打ちこめています。
 この頃発信が少ないとも言われてしまったのですけど、パソコン相手に御託を書いていてもぼやけた文章ばかりなのに、すっぱりと文庫番一刀両断。
でも、実際には中心点にしっかり打ち込むという事は、材の固い芯に切りこんでしまうので、振り上げるには、腰も肩も鍛えていないので(もちろん腕っぷしも)重さもかけられず、打ち込んだ刃がくい込んだまま退くも進むもままならず、にっちもさっちもいかなくなって、足で踏みつけてはずして思案です。そうなのです。ここまで重いものになったら、外側から少し割って軽くしてから割ればいいのです。それなのに中心点狙い。見かねて連れ合いが近づこうとしても、妻は髪振り乱して、息も荒く斧を振りかざして、近づかないで!。そうなのです。いつも、私に集中力が欠けるのは、先に回っていろいろ気を使ってくれてしまうから。
 この数日は病み上がりの連れ合いからハンドルと斧を、引き渡されて気分よくいる文庫番。
 これからの年月には、その役割は・・・一人になっても必要なのだから。

 一日中、薪割りをしても疲れてしまうと、パルシステム山梨の発酵まつりを楽しんだのでした。

2013年11月19日火曜日

種綿は・・・・

 昨年は、ただの掛詞のようにあった種綿は、義父と楽しみにしていた誠園で芽を出して、葉を茂らせまた今年の種を宿しています。さらに、数か所にお分けすることがたまたまできました。私には未知の手仕事も誘っているのかもしれません。プロ・・・・になるかしら。

 その前に、庭畑の実りをひたすら選り分ける作業が待っていました。ただ選り分けて風でとばしている微かな欠片たちは、胡麻にしても綿にしても、そうそう麦もまた作業しなきゃ。それらのチリはまさに塵なのです。箕から風で飛ばされていくのはまた土に戻っていきます。その陽だまりの時間。満たされている。過去幾世代ものはるかな祖先たちも、洞窟の入り口でしていたと思う風選別。文庫番はまだまだ、その技を身体に引き出せません。
 伊達東の仮設住宅で一体何の話しをしていたのかといえば、この季節の実りの作業。丹念な女たちの指先が、陽だまりで、生きる喜びを拾い、太陽の輝きを浴びながらしていた作業の断片を、見せててもらったのです。エゴマが瓶にいっぱい入って。それはただ選るしかないのだと。もらった胡麻は蒔くと場所がなかったからね。いいのです。この瓶のエゴマを見ることができて。
 それは、あの唐紙もなくなった寺の庫裡で押し入れの下の段にあった、つくばの胡麻も思い出させるのです。障害をもつ息子をひたすら思い、何かと送ってくれたある母親が居た事を。そうですあの綿入れちゃんちゃんこを縫ってくれた根本かねさんは、そういう手仕事を惜しまなかった。そしてその旦那さんが、“ずるびき”という呼び方のうどんを打っていた話。大晦日か馬の種付けに獣医さんが来た時の特別な料理。きっとかねさんの胡麻も添えられていたのではないかと。陽だまりで胡麻を選りながら、さまざまな記憶が空中に舞いあがり、土に沈んでいきます。
 文庫番は、もう身体で覚えられる世代ではないから、聞きおぼえた事の実証、追体験ができるだけですけれど、何も猛々しいマシーンを使わないでも。。でもその風選別をしている反対側の軒下にはチェーンソー。私たち三人、メンテナンスしながらの暮らし。連れ合いの軽手術は義母の大手術とは違いあっけなく。二日三日の様子見で、わ・た・しの運転で、この庭に戻ってきます。しばらくは薪割りも文庫番仕事になるかと。。なかなか金曜日も土曜日も出かけなくなりました。ここに抗いの在り方もあるのだと。抗い続けるのだと。
 それより、大豆の収穫後は、何らかの機械力も 春に備えることも考えないと、また来年も手で石を拾いカラスに学ぶばかりになるのです。今持っているのは菜種に大麦、小麦、胡麻に綿。栄子さんのニンニクは、庭の木の下で芽がもう出ています。綿の作業もしなければなりません。種を採るために必然に繊維なのですが、綿、育てた事もなかったのに種があったからと植えて、日照りも台風も来て、今霜の頃まであったのを無理無理小さく押し込んだら乾燥していた萼や軸が砕けて繊維に混ざってしまいました。これも取りのけて・・。
 

 その摘み取りは、大所有の綿畑にいた逃亡奴隷たちにとってどれほど辛かったのか、その片一方で自動織機ができたときに手織り職工たちの暮らしがどう追いつめられ、資本と闘い、闘い、抗ってきているのか・・・。学ばなければと。
 

 私は、陽だまりで、胡麻を選り、ストーブの横でで綿からゴミを除きます。

集全學文衆大界世
ンビケ・スムト・ルクンア
ウトス
朗次律氣和
社造改
年三和昭
 
 
黒いランプ
ピーター・カーター
犬飼和雄
ぬぷん児童図書出版1979年
 
 
アンクルトムの小屋については敢えて書きませんが黒いランプの中を少し
1819年のピータールー虐殺事件が描かれています
言論と集会の自由を禁止した法律がどれほど労働者を苦しめていたか
そんなことばも書かれています
 
 

2013年11月15日金曜日

たきぎだ たきぎだ おおさわぎ

 あたろうかあたろうよ。と高齢者対応の暖房になるのでしょうか。薪ストーブは、11月に入って本格的に使い始めることになりましたが、まだまだ、用意した分では足りないよ。と。ご近所さんも心配してくれます。
 果樹、その前はシルクの産地、桑の古木もあるし、と6月後半からは二、三年分はすでに確保して里山再生にもなる薪造りをしましょうという仲間に連れ合いはすっぽり入って、河川敷にあったアカシアを払下げてもらったのを好きにしてよいということから、薪づくりをしていたのです。その間も良い廃材が出たら薪小屋も作るという話しがあったのでした。その廃材が届いたという知らせで、この数日は薪切りをしている山宮の大欅下に行って、今度は廃材からの釘抜き作業に、これまた文庫番も!
 だから、、私はパソコンで御託を打っていたいから、資料整理をするはずだから、でも運動不足。今、冬に近づき日が短くなったのと、義母の朝食が少し遅くなってきたので、全般にリズムが取れない文庫番稼業。外で身体も動かせるし、整理していた写真の中には、山育ちそのものの写真。父の作業風景などを見て、さまざまに思い出し、これもいいかと廃材に足をかけ腰を引きくぎ抜き数日。
 仲間の皆さんも、朝に昼に夕に、見ながら、それとなく手伝ってくれます。連れ合いには、どうも私を容赦なく、片割れと扱うように思えてきました。まさにパートナー?ならば良いのですけど、さすがに五寸の釘を抜くのにはもともと膂力の無い私。できる限り相手にも負担はかけたくないので、踏ん張ってみるのです。汗がたらたら、腰がばりばりになりそうですが、そこにこれ運んで。と柱材。梁材。いそじの女心はどうしてくれる?何と言ってもご長男の連れ合いにはお義母さんを寒くさせない冬を過ごしたいのが第一。
 薪小屋づくりは、連れ合いは大工さんに手間でお願いすることにしました。無理はできない何事も経験不足の私たち一家。その事を、薪仲間に話したら、そうなんですよ。このあたりは皆お互いに知っているから、助け合って生きていくのが当たり前なんです。と言います。大工さんは彼のお父さんと同級だというのです。この家のもとの持ち主も確かそうでした。そういう地域の中での助け合いが続けられれば、高齢社会にも対応できるのでしょう。地域が声高にいわずとも福祉を担っているのです。だから村だったのです。マハラバも。いづれ、私たちも、どちらか、片割れになるのですから。そして、今や体〇も連れ合いに並ぶ私はこの薪作業に追われて、畑に行くのは昼間のほんの短時間。もう霜が降りて、土も凍るとは言われるけれど、本心はパソコンより畑のカラス大先生に学びたい。
 樹々からの声もまた火の声になるのだから、そこからも学ぶしかないです。火は水の巡り。
そして、庭の半年を輪にして、飾りながら今のところ置き場の無い母の大切にしていたものも並べました。藤蔓、綿、ベニカナメモチ、菊、アイビー、松ぼっくり。

2013年11月9日土曜日

この人生の、、

並木道~

 
 またまた市立病院に向かいました。大きな行事は一段落した文庫番、三様メンテナンス。連れ合いもまた同じ総合病院で点検修理の年代。すでにセカンドライフに入っている我が家では、調整しながらあれこれ畑も家の直しもするわけなので、重大事項なのですけれど、まずもって市立病院に向かうまでけやき並木に入るまで、私がハンドルを握っているのですけど、え?対向車線に注意してないですって、そんなことは無いです!大回り過ぎるですか、、あなたほどでは!方向指示器、、出してます!あなたは一緒に動くしかないでしょ!。。この関係のメンテナンスは誰ができるのやら。
 先日、深く突っ込まれました。忘れないという事は、何ですか?少しアクセントは仏語でした。で私は大仏語で答えます。忘れないという事は許すという事を、どうすれば許せるのかという事を自分に問う、問い続けることです。
 この人生もフィフティフィフティ。けやき並木を一緒に走る連れ合いと、それでも、秋の葉の色を楽しみます。
 山梨の我が家からの道は、茨城の山の中へも続いているのです。その道端には芝が青くあちこちへと根を延ばしているでしょう。