2018年12月31日月曜日

2018年大晦日



 はじめて、ささかみのお正月飾りを買ったのですけれど、年末のカタログに続けざまに出ていて、タイミングが難しかったと感じています。短歌の先生も同じカタログ利用の90歳一人暮らし。近所の短歌の集まりがあればなんとか互いを補って、ともあれ年越しを迎えます。家前の白い小砂利はこの秋の作品。一粒づつを集めおいて白く見えますが、色とは絶対的なものではなく、相対的なものなのだとぶつぶつ言いながら庭に居た日々なのです。裏に回るとここは一体どこだろう、この吊るしものは何だろうと。
 いろいろとあった今年もいってしまいます。それは時空をまたげば、何も変わっていないという気付きであればとも思うのです。

2018年12月18日火曜日

依然として



 依然として、繰り返して古い録音を聴いています。なかなか文字として起こしていないのが歯がゆい年末。味噌の甕を用意してあります。今度の寒仕込みではどれくらいを仕込むのか。
 本当は木桶にしたかったけれども、機会を逸したような年であったと思います。
取り敢えず、暑い夏を甲府盆地でどう超すのか。短歌の先生の夏の歌は「盆地沸騰」そうでしょう。私は脳内沸騰したような2018年の夏でした。もう一歩で熱中症になったような気がしてました。当然味噌の熟成も進みすぎるので、早めに冷蔵庫に移したり、または合わせ味噌を試みたりでしたが、今は落ち着いていろいろと楽しんでします。
 そういう味噌会議が昨夜はあって、いよいよ榮子さん芳子さんも飯舘村に戻るということに、この8年間の味噌仕込みを思います。
出かけていた間も煮込めるようにと、天板の上は鍋だらけ。スチーマーの縁は白くカルシウムらしい結石。自然エネルギーの利用も体力が伴わないと長く続かないのだから、人手は得られないこれからの暮らしで、このテープの公開をどうするのかの余力を文庫番は持たなければならないのです。佳境ともいえる歎異抄の読み解きに、ネットで見つけた、大仏尊教を、浄土真宗の僧と書いてある間違いに、一刻も早く、父は何かの宗派、宗旨によっていたものではないということを明らかにしていかなければと思うのです。依然として理解もできないうちにことばを書き綴りそうな自分を情けなくも思うのです。どれほど、父はこの講義を楽しんでいたのか、それを聴いている、竜史君、准ちゃん、良平さん。。皆の幸せそうな雰囲気を、どう表せばいいのだろう。



2018年12月13日木曜日

八郷の便りは


 八郷の硲さんから、朗読会の報告とともに送られてきたのは、本日より始まる小林恒岳追悼展の案内。そしてパルシステム茨城 栃木のニュース報道。
 父母の代からのお付き合い。横田弘氏の詩集の表紙もお願いした小林画伯の追悼展は茨城県天心記念五浦美術館で本日12月13日からの開催です。あんこう鍋も美味しい時期。
 会期中に一回は行きたいと考えています。そして硲さんは、ちょうど2年前のかすみがうら市での講演会のご縁で、パルシステム茨城 栃木へ加入したという事を大変喜んでくれています。私にとっても、思わぬ縁の繋がりが嬉しい。昨年植えた母の水仙も咲き始めています。どこも分断されていないと思えるめでたさで、2018年の師走は過ごせそうです。
 私たちは新しく「分断」という綻びを、綺麗にほどいて仕立て直せる。

2018年12月5日水曜日

黙々と



 黙々と夫婦が蟹をつつく、北陸路をはるばると来た蟹だから、身の一つも落とさないように、会話の少ない夫婦がいつにも増して黙って食卓に向かうのです。
 そして甲羅やハサミの殻はスープの素として、再度利用して。
だまっているけれど、この一年の採れたものを振り返り、採れなかったものの原因を考え、決して互いの責任にしてはいけないものです。責任のなすり合いの始まりは夫婦の事でしょうか。対話が・・・対話も、会話も相手もともにあって成り立つものですね。
 10年ほど前に買ったデジカメに曇りが映って、サービスセンターに出したのですが、もう8年前に製造をやめたそうです。部品の一部分に不具合があります。次にそこが使えない時は部品がないです。という事。そうやってデジカメもスマホなどにとって代わっていくのですね。クラウドもいいかもしれないけれど、雲の上からどこか監視されているような気がするのです。
 この蟹はブツブツも言いませんでした。ただ出来栄えに満足できる暮れのやりとり。
そう、お歳暮を見繕いに甲府に行ったら、なんと沖縄のシークワーサゼリー。娘と約束しながらなかなか行くことのできない沖縄にも、また蟹もいる事でしょう。