2011年6月30日木曜日
恐れていた事に
我がベランダのゴーヤに実が付いていました。
物干しの中にネットがあるのでつかえています。この大きさのものは三個発見しました。まだまだ花芽はあります。雄花はすぐ散りますが、雌花は実と一体の時間が長いように感じます。これが全部大きな実になったらどうしましょう。そんな心配をしています。野菜中心の食べ方になったと言っても、連れ合いの好き嫌いは、食卓でのお箸の進み方で感じるので、工夫すればいいのですが、あまり手はかけたくないのが本音。
実りは嬉しいけれどです。
また一方でこのゴーヤの蔓は私の大事な火鉢田んぼの稲の葉に絡みついていたりします。誘導して絡まないようにしなければなりません。これも、最初にベランダゴーヤの話になった時からの恐れでした。
2011年6月27日月曜日
小麦価格
それも、気にならないわけじゃないけれど、どうやって美味しいものとして食卓に出せるのか。大人ばっかりの世帯には、毎日が難しい。朝のパンが無いようだと分かった日には午後、乾物のところにパンに焼ける小麦粉や酵母があれば、家で焼くようにしたい。出不精な自分。
今日の焼きあがりはまずまず。焼きおにぎりもあります。人参と、夏 ミカンのサラダ。昨夜おかずが多いと、見向きもされなかった小鯵のエスカベーシュ摺り胡麻。大根おろしを主としたドレッシング。ピクルス。お皿は焼き魚用のものでした。お鍋はジャガイモとホウレン草のスープ。これはパン皿と揃いのスープ皿にいれました。なんだか、写真を撮ったのでアップしておきます。しかし、文章が形になりません。葉書も書かないと。
2011年6月21日火曜日
二地域居住宣言
父の日に連れ合いは、集まってくれた、長女、その相手、長男、下の娘。三人の子供にも、二年後の退職時までの、二地域居住を宣言します。車も買うとか。義父母は、私の母は??そして兄は・・・。私は三地域への通いになるのでしょう。全員一緒に来たら良いとは、構想したようですが、高齢者にはそれが通じるか難しいです。連れ合いは、セカンドライフを考えていたのだと。あらためて、できる限り傍に居ようと思うのです。先行きこの二年間どうなるかは解りません。
土いじりができるようになりたいのだと言う事すら、仕事第一だった時には解らなかった妻だったわけです。なんだか夢の先を越されたのが、嬉しいのですが、家族それぞれハレーションを起こしています。わくわくです。
土いじりができるようになりたいのだと言う事すら、仕事第一だった時には解らなかった妻だったわけです。なんだか夢の先を越されたのが、嬉しいのですが、家族それぞれハレーションを起こしています。わくわくです。
2011年6月16日木曜日
2011年6月15日水曜日
所詮この世は
仮住まいなのだと思う。この数日間、実にめまぐるしく動いていたと思います。どちらにしても、義父母とのくらしを中心に組み立てるのに、土・日は岩手盛岡に行き、始発で帰り、その翌日には茨城県南に朝のうちに着くようにし、兄の土浦駅内での托鉢に伴う、暴行事件のなりゆきを見に行き、次の日は、新宿の京王プラザホテルでの総代会のなりゆきを見、水曜日には、山梨に連れ合いと行き、人生のなりゆきを見る。その合間には、娘たちとのリレーで、義父母の食事があったのです。
所詮この世は仮住まい。そういう思いに浸ったのです。これだけ移動していると、しっかりと、朝からご飯を炊いて留守宅用にはおにぎりを置いてでるのに、自分は駅で買ったおにぎり。
しかし、日本の食事は、薄っぺらな味になってしまったのだと、思わず涙が出そうになるのです。この兄とも行き来せずに、ひたすら食べるものを追いかけてきた間。社会への働きかけができていなかったのだろうと、消費者としての自分の家庭の食しか考えてこなかったのだろうと、外で買おうとすると、単純なおにぎりですら、これほど、添加物にまみれているのか、鬼嫁になりきって、義父母の分を減らして、自宅で炊いたお米でつくったのを持って出る方がどれほど納得できるのかと、思うのでした。
おかしい。なんのために。
兄は、実刑でした。行為は行為であっても、通じない理論の中。いづれ茨城の朽ちた寺で死んでいく覚悟であることは確かめられたのです。言葉を交わしたのは四半世紀ぶりでした。
所詮この世は仮住まい。そういう思いに浸ったのです。これだけ移動していると、しっかりと、朝からご飯を炊いて留守宅用にはおにぎりを置いてでるのに、自分は駅で買ったおにぎり。
しかし、日本の食事は、薄っぺらな味になってしまったのだと、思わず涙が出そうになるのです。この兄とも行き来せずに、ひたすら食べるものを追いかけてきた間。社会への働きかけができていなかったのだろうと、消費者としての自分の家庭の食しか考えてこなかったのだろうと、外で買おうとすると、単純なおにぎりですら、これほど、添加物にまみれているのか、鬼嫁になりきって、義父母の分を減らして、自宅で炊いたお米でつくったのを持って出る方がどれほど納得できるのかと、思うのでした。
おかしい。なんのために。
兄は、実刑でした。行為は行為であっても、通じない理論の中。いづれ茨城の朽ちた寺で死んでいく覚悟であることは確かめられたのです。言葉を交わしたのは四半世紀ぶりでした。
2011年6月9日木曜日
2011年6月8日水曜日
葉っぱいっぱいあさひや農場の箱
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