2014年11月28日金曜日

五里霧中


 三台先の車はカーブを曲がると靄の中にと消えていき、笛吹川を左手に見ている車の前方座席で、本当は川から上っている朝靄の濃さを撮りたかったのですけど、それらしいのは上手く撮れていないので前向きに。カーブの道路に沿って左側が笛吹川です。昨日の朝、笛吹ラインから平和通りを通って甲府駅に送ってもらう途中です。
 少し余裕を持って家を出るのと、曜日や時間で道を選びます。やっと朝の甲府発に乗れる時刻表と出かける段取りが結びついてきました。それでも、昨朝も企画担当者ですから、あとから駆け付けるという無様はしたくないけれど、全体にノロノロ走行。そりゃあそうですね。視界の利かないこと。川中島の合戦をふと思うのは甲斐の国に住んでいるからなのだと、解ります。
 一回は雨の朝に通学通勤の多い道を通って、結局相手先に待ってもらう事があったのを思い出します。都内であったならば、路線を変えてなんとか言い訳できる時もあったのですけれど、そうはいかないド緊張ですから、運転してくれている連れ合いもいつも、私以上に時間を気にしてアクセル踏みます。迎えの時も、なるべくロスタイムは入れないのです。そのうちにこの関係にも慣れやらさらなる方法やらが出るのでしょう。今の所、駅近くの終日駐車をしないで日帰りでの行き来を考えています。
 やっとの思いで、南大沢セットセンター見学をこなしました。事務局はじめ皆さんに助けられてです。追いかけるように、春の南三陸・石巻応援ツアーが振られてきました。
 間には味噌仕込みもあるし、ちょっと確認を詰めなければならない事項も文庫番に増えています。何とか、すべてが今の住い近くでできる事だといいのですけれど。やはり先行きは五里霧中。

2014年11月23日日曜日

洗って干して


 まるで農家の庭先みたいになったね。と薪作業から戻った連れ合いが言います。
連れ合いは山に薪作業に、私は(川ではないです!)流しで胡麻洗いに。
大豆の代わりに白胡麻はこんなに採れました。
昨年の何倍でしょう。さて一冬手選別した昨年の胡麻。今年は箕の大きいのをいただいたので、第一歩の篩と箕で払うのは楽にできたのですが、それから先の作業が、量に見合った智慧が増えていないので、前回と同じ水選別をしようとしても思うように比重が活かせません。
量とは、作業なのだとしみじみ理解。手づくりでできる事とそれを超えた量についてどう考えられるのか、農家ではないですから、自家消費。もっと言えば自分の食べる分をさも事大に騒いでいます。もらった種から実って増えた胡麻化しの術。
 昨日朝のテレビはなにやらいい夫婦の日とか、騒ぎ立て、また何やらの宣伝のために日ができたのかと、言っていた連れ合いが、お昼か夜は外で食べようかというので、もしや、いい夫婦のプレゼントでもと期待はしても、持ち帰ったのはお手本夫婦の物。
それはそれとして、以前の仕事から、百貨店の方が何かと動き回りの判断しやすい連れ合いと、先週と今週と地域一番店に行ってみたのです。 どのフロアーもギフトセンターも、三連休初日の土曜日なのに閑散としています。並ぶ必要もなくお会計でした。
 二、三日前の朝のテレビで福井の百貨店さんが、外商ではなく、地域貢献みたいに、お年寄りのご自宅に出向いて注文受けていたのを見たは、と来る途中の車の中での会話だったのですが、一歩店内に入って、地域貢献になっちゃってるね。と連れ合いは言いました。先週は平日の昼間のうちに、県庁あたりから歩いてみて、地方核(この字か!)都市の役割の荒廃をどうすればいいのかと、自分たちのこれからの暮らしを考え合わせ、なんとかならないかと思います。
 外に出て夕食をとろうとしても、繁華街と呼ぶには、少しさびしい。ちょっと気持ちの浮き立つ外食を、新宿、渋谷をイメージしてはならないのでした。冬のギフトシーズンの商店街が三連休初日の土曜日から、シャッターになって。と話しても。じゃあ、文庫がお店を出したからって。。。
 ここで、いろいろと世の中の何にお金がかかるのかを考えてみます。自分で食べる分と、歩ける範囲のものは物々交換。土地で採れないものを得る時や少し遠いところに送る物流は掛かります。医療と教育とよく言われるけれど、薬とマッチポンプの検診とか、競争を学ぶ教育とかを公的のみにされても困るし。解散したといっても政治の向く先はどうしても、その範囲にではないかと思えてしまいます。政治の汚れも洗って干して選り分けたいものです。
 庭先や里山畑で作業をしていると、地域の人たちは良く見ているのです。そして何かの折にちょっとだけ教えてくれます。それを素直に学んで、育つ。それも良いけれど、競争でない生き方を教えるアカデミックが体系としてあればよいのでしょう。本来のお寺の機能なのですけれどね。
 スカイツリー下塾の学びは、自分たちがやってきたことは間違いないのねという発言に勇気づけられる、自分たちの学びだったと考えています。
 現在の学制が、明治以降のものだから、税金で建てられるのが前提で、それにお金がかかって、税金が必要で、地域の防災や開発も、信玄堤にしたって棒道にしたって、軍事絡みなのは、どこの地域でも同じ。修験の道が実は隠密道でもあったのだし。
 もっと原初の共同体だったらどうなのかといつも思うのです。それには、もう少し仕組みを改めるかして、今の集中・分散の歪みと荒みを選り分ける作業をしないとならないのです。社会がめざすものを描きなおすということを。
 
 

2014年11月18日火曜日

葉書き



 柿の葉の色を描いたのは、自然の絵描きさん。大豆の収穫作業は野生の猪。
 金・土・日と、つくばの里山の再生と食の安全を考える会の企画に参加、渋谷での知り合いのパーティ、築地での安穏朝市と、つくばエクスプレスや、スカイツリーのような、またはターミナルステーションの人工の光と速度の中を行き来しました。
 まだ、その中に長女夫婦の住いもあり、渋谷からすぐのところには長男も居て、やはり東京で育った子供が皆残っているところも、足を止める時間もあると嬉しい。それでも、今の住いに戻ると、里山に向かい、家々の並びの間を通る時に志筑の小池からの坂をあがる記憶がいつも湧き上がるのです。懐かしさを重ねて、山梨の家に戻り、翌朝かかった電話に里山畑に行ってみれば、出かける前にはあったはずの大豆が収穫済。味噌用種用と考えていたのに残念です。
 大鳥居で大豆を作り始めて三年。庭の中ならなんとか実るけれど、そんなの大豆の一年の消費量のどれくらいでしょう。一家族の分くらいまかなえるという暮らし。私の育った時代にはと考えると、その頃の農村がどれほど、暮らしの基盤を備えていたのかが解ります。だからこそ、成り立ったマハラバ村であり、障害者解放運動の揺籃であったと考えられるのです。人間とは、何であるのか。そういう問いが身体的に土から離れることなく、ありながら、都会との行き来が可能であった。
 富良野にしても、志筑にしても、そして今居るこの地でも、兄の居る閑居山の今でも。何もないというのは、それはすべてあるという事なのだと。
 都会の生活の中で、浮遊しそうな心と暮らしをしているとしたら、繋がっているのだよとこの葉っぱを風に飛ばしたい。何もないところからはじまるのだと。

2014年11月8日土曜日

富良野から


 了承を得ておいた方が良いとお手紙した返事が届きました。一粒の麦地に落ちて。そう毎朝麦の唄を聞くと、この冊子の中の父母の姿を考えます。すでに50年を経たセピアの中。
 その出会いを、私へのお便りに書き起こして下さった名取志津さん、母は金井さんとも呼んでいました。その事も大切な記憶。
 ここまで来ると、オムニバスのようになっていく、私の文章で時制をどう定められるのか、またきなり歳時記を描いていた頃のように、いったりきたりの時間の幕間を私らしく楽しまなければならないのです。あくまでも文庫番自身の責任なのだから。
 それにしても、それこそひとりよがりで、私信を公開はできないと思うので、一つ一つの確認の時間が筆を進めるよりも厖大な作業量になっています。それらの事務的なことが苦手だから、あくまでも代表然としているのに。
 この貧乏会社がそれでもやっていけるのは、符牒が読み解けてきたからなのでしょう。資金も無し、事業計画にもならない遅々とした経営の学び。そこにあらためて、事業ではなかったマハラバの思想を書き重ねられる読み解きができました。

2014年11月5日水曜日

まだ早い・・


 麦踏にはまだ早いのに、毎朝猫の足跡が増えています。
ここは川に近い区画の落花生を抜いたあとですが、土を篩って小石を除いて、大麦を蒔いたところなのに。、お隣の家からの境なしの部分、河川敷とも言えるところなのです。地続きの庭の丸石の囲みの中には、いろいろな葉物野菜が防虫ネットに覆われて芽を伸ばしています。
 里山畑の胡麻も刈り取ってきているので、脱穀しなければならないのです。夏の間に処理でききれなかった大麦・小麦も蒔き時になってきました。自分の所での種だから、発芽するかどうか解りませんが、種取りを続けていくには、まず育てなくちゃ。でもそうすると残りをどうすればいいのかと。
また飴づくり、もしくは炊き込むかしら小麦はうどんにしかできないけれど。その前に粉にしたい。
 石臼が欲しいと言ったら、そういう余計な事を考える前にやることがあるだろ。。と。ハイ。
 猫の手も借りたいくらいな手作業での麦の処理。庭の中の石の置き所も整ってきたけれど、時間がこんなに早く過ぎるなんて、忙(せわ)しないのは人間だから。
 どの輩(やから)は猫らしい侵入者は己の時間を弁えているようで、なかなか現場で立ち会えません。逢えたならばその野良の生き方と話し合いたいのですけれど。ここまで労力かけているのだから、ここは、私たちの地面だと考えてくださいな。
 でも、猫含め動物たちに言われたことないですからね。ここからが、貴方の地面ですよなんて。同じ大地の上を共有しているし、同じ川面を楽しんでいるし。そういえるとこまで開き直れることができると良いのですけれど。自他一如。
 もう少し近くに手作業でやりきれる畑が在ったら。そんな夢のようなことを考えています。小豆とニンニクをどこに植えましょう。小麦は早かったかもしれないけれど、胡瓜を片付けた後に蒔いてみました。この秋に増えたゲンノショウコとサフランは根付いたようです。福寿草もいただいたのです。梅の落ち葉に埋もれています。冬遅くには輝かしい陽だまりに咲くでしょうか。
 少し、一段落したような気持ちです。薪も今週は焚くばかり。仲間の方々は本格的な脱穀日和だったようです。物々交換経済も、手造り礼賛もできる範囲に無理のないようにしなければと、昨年秋の、病院通いを思い出します。ケヤキの紅葉の中を車を走らせながら母にも充分な事ができなかった娘だったけれど、義父母には充分できたのだろうかとも思ったのです。
 そして、今。その分は、これからの生き方としたいです。ただ生きていく。私がここで生きていくという。めざせ経済的自立。家制度からの脱却。連れ合いとの互いの領分。そんなことはまやかしの言葉。
 自立とは結局なんなのでしょう。新聞もとらなくなって、インターネットの中は、自分の修行ではあるけれど、双方向という囲い込みは気に入らないし。それよりも、猫と語らう術や、鳥の話が聞き分けられたら、難しい自立についての答が教えてもらえると思うのです。