2014年11月8日土曜日

富良野から


 了承を得ておいた方が良いとお手紙した返事が届きました。一粒の麦地に落ちて。そう毎朝麦の唄を聞くと、この冊子の中の父母の姿を考えます。すでに50年を経たセピアの中。
 その出会いを、私へのお便りに書き起こして下さった名取志津さん、母は金井さんとも呼んでいました。その事も大切な記憶。
 ここまで来ると、オムニバスのようになっていく、私の文章で時制をどう定められるのか、またきなり歳時記を描いていた頃のように、いったりきたりの時間の幕間を私らしく楽しまなければならないのです。あくまでも文庫番自身の責任なのだから。
 それにしても、それこそひとりよがりで、私信を公開はできないと思うので、一つ一つの確認の時間が筆を進めるよりも厖大な作業量になっています。それらの事務的なことが苦手だから、あくまでも代表然としているのに。
 この貧乏会社がそれでもやっていけるのは、符牒が読み解けてきたからなのでしょう。資金も無し、事業計画にもならない遅々とした経営の学び。そこにあらためて、事業ではなかったマハラバの思想を書き重ねられる読み解きができました。

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