2015年6月29日月曜日

実践編 山仕事讃歌




 今月は、山梨に引っ越してから行きたかったところに、行く機会ができています。
上野原の中川さんのところを再訪しました。
 薪仲間の人たちが、炭窯を造りたいという、男ロマンをああだこうだと言って、山梨県内で炭窯作っていた話をしたのと、懸案であった、在来種の蕎麦種も欲しいと言うことなのです。
 上野原の中川さんの家までは東京方面に中央高速使って行っても1時間半。
さて2枚の写真の説明は炭でも、蕎麦でもないものばかり。
 「やた」東京の西の方でも言うそうですが、野菜の支柱。実際に家の前の胡瓜に使ってあったのは竹ですが、小枝の出ているものです。寒い間に集めて置いて、藤蔓で束ねておいて在りました。
 朝の「野菜の時間」を観てから出かけたので、解りやすかったですが、今では、資材店で売っている螺旋支柱なのです。枝に伸び上っていく植物が絡まって、小蔓も支えられる、そのための用意を冬の樹勢の静かな時期にしておくという、暮らしと季節の知恵。プラスチック資材じゃないものです。藤蔓、、同行の人たちは、麻紐でとか言ってましたが、これを教えて貰った事の幸運。
 そして、土地の高低を活かした、味噌蔵。中の温度の一定したこれぞ味噌蔵。直したばかりと言うことで清潔な中も観させてもらいました。私の仕込んだ味噌菌も残っているかしら。
 さて、私の関心とは別に、炭窯造りはどうなるのでしょう。こういう事に話が繋がっていくとは考えもせず、あの本を書いていたのだと、その成り行きがまだ続く事に驚きます。

2015年6月27日土曜日

束の間に


 時間が無いないと言いながら、渋谷に出たついでに、ボッティチェリ展を覗いてきて、話題になっている大きな壁画の受胎告知の図ではなく、この個人蔵の受胎告知の丸い額に収まったものに感慨深く見入って来ました。子供の頃に、基礎的な名画物語として読んでいた河津千代さんの解説の少年少女教養文庫聖書名画ものがたり新約編に入っているボッティチェルリの受胎告知に良く似た構図だったのです。
 このBunkamuraで28日まで開催されている企画展はボッティチェリとルネサンス、副題としてフィレンツェの富と美という題になっています。
 文化芸術と富は一体なのだろうか。というのが、その会場で考えていた事です。そして富の源泉はメディチ家のもとは薬種、そして海運交易の中から生まれてきたもの。・・・・なぜ今、渋谷で、この数年で、明らかに町づくりから変容していくところで開催されているのか。蒸し暑い街路を歩きながら、普段の川風を受ける庭にいるのとは異なる美を考えたのでした。
できれば、短時間でそういう景観や、文化の変容を考えるのではなく、人類史の長さで考えたいものだと、一緒に歩いた娘と話しながらでした。
 
 

2015年6月23日火曜日

栗花落


 夏至になれば、これからは日が短くなります。一年の半分が過ぎました。栗花落。
残りの半年、仕上げることができるのか、今手紙を毎日数件書いて、返事をまっています。
母の生涯を綴ったものは、さまざまな人の縁であったので、随所注意が必要な書き物が遺されているのです。単純に書き写しはしたけれど、相手先へのお尋ねなどは個別にしていかないとならないし、万全を思っても、手記というのを事実としたときに、それを第三者が別な意味で使い、そのまま流布していくことが多々あります。
 今迄に、マハラバについて、閑居山について書かれているものへの、私は触れたくない思い。
どうして、事実をここまで変えていくのかと、落胆するばかりなのです。
逆に、自分で文章として表したときには、そこに書かれている人達や事柄が、事実となっていく責任。まずは、それぞれのお断りをしておこうと思いながら、4月末から、いろいろな状況変化に対応しながら、手紙をぽつりぽつりと書いているのです。 連休から毎週のようにお客さまを迎え、草取りにも追われながらです。気付けばもう夏至だったと、「ついり」も過ぎて文字通り小さな栗の実がなっています。この実が大きくなる頃にはと封筒に切手を貼ります。

2015年6月20日土曜日

食は地域にあるのだと・・・

                        浅川伯教・巧記念資料館の味噌甕
あさひや農場の小蕪のスープ

 ちょうど、泊まりにきた寺下さんたちと、我が家から足を延ばして、一日目に北杜市高根町の浅川伯教・巧記念資料館と二日目にあさひや農場へ行って来ました。
 浅川兄弟の資料館は、山梨での家を探し始めた頃から行きたかったところでしたが、近くまで行っても寄る事が出来なかったのを、寺下さんが韓国の友人を伴ってきてくれましたので、立ち寄りポイントの提案をしじっくり見てきました。
 戦前の半島での林業普及にあたって、若くして亡くなった巧ですが、兄とともに朝鮮文化への深い理解が、祖父の訓育の流れも含めて解りました。帯水の文化は世代を超えて審美に繋がるのです。この数年浅川家のような家庭での訓育素養の途絶が排他的な社会も招いている要素も多分に在ると考えます。人として育つ過程において文化への目を開きくらしの審美を共有することは、排他にはなりようがありません。
 これからの世代も違いを知り、他者を認められる生き方を選んでほしいものだと思います。そして林業・薪炭業は窯業と近いところにあることを思い出しました。
 資料館の出入り口近くに置かれたのは白磁ではない、この大甕。なんと味噌・醤油用だというので、撮りました。
 二日目は、久々振りに隣県長野の佐久穂まで行ってあさひや農場を訪問。
有機多品目の経営栽培をしているところを見てきました。韓国からの客人は有機農家さん。いつの間にか私達四人も蕪畑で黙々と草取り間引きを小一時間。圃場をあれこれ見るよりも、草取りが一番の学び。この季節に迷惑を省みず訪問したわけですからね。我が四畝の畑も草取りは他人事じゃないのですが、ちゃっかり引き菜の小蕪をたくさん持ち帰り、いろいろ食べる楽しみに。
 小さいので皮むきは一手間ですけれど、この蕪の香りを楽しみながら別の友人からもらった手作りベーコンを足して、スープ煮。この加工の段階が、産地でできるといいのにとつくづく思うのです。

2015年6月8日月曜日

ほ、ほ、ほたる


 ホタル観賞の夕べが行われました。小さな川沿いに1㌔弱川の両岸を行って橋を渡って戻る小一時間。
 今までに何か所かで、ホタルを観る夕べがありましたけれど、現在住む地域で蛍の里づくりの会まであるとは、繋がりを深く感じます。そして、ここも堆肥を地域内循環させていこうとしています。
 集合前には、蛙の声にも耳を傾けます。一段高いカジカガエルも聞き分けられたでしょうか。
4秒間隔のホタルの灯りが水の流れに沿って、目線の下を高低飛んでいます。草に留まったままの光がメスだということです。参加した子供たちの手の平の中に居るのはオスのホタル。
 カワニナの放流をしたり、河川敷きの草刈をしたり、水質検査も継続していると言う事です。ここに居る蛍は地元ホタル。放流した観光目当ての物ではないですよ。だそうです。
 暫くぶりの自然観察会に、墨田の荒川河川敷にヒヌマイトトンボの観察会に行った頃を思い出します。
 水を大切にしていきたい。そういう活動を住んでいるところでしていくこと。
次の日に防災訓練が行われ、はずみで参加して配られた水。
知らなかったですが、ここの市の名前入りです。
山梨ですからね。富士山でもなく南アルプスでもない、水
 こっちのみ~ずは。。

2015年6月5日金曜日

梅雨になる


 今日も、良い雨降りになって、まだ水の足りなかった大地が潤っています。
私の、大切な「水曜日のクルト」この中のある水たまりの一生という児童文学を読んで育っていたから、水をテーマとして、石けんも使い、くらしを語る事ができるのです。
 そして、三回忌となったよっちゃんの写っている「障害者殺しの思想」。今問う事はどれほど大きいことなのか、ただ懐かしいと読むのではなく、今に問いかけている、これからを創るために。
 大井三重子さんのパートナーの二日市さんたちと、横田さんたちとの関係。横塚さん。
今、軽々に言葉としての『障害者』を語らないようになってきています。それは社会が成熟し差別がなくなる障壁からの自由が得られている(バリアフリー?)と考えられれば良いのですが、言い換えれば良いものではない、言葉で定義するから差別が生まれるというものではないと、差別を生みだす自分を問うべきだと、闘ってきたはずなのです。徹底的な告発の姿とは。体制批判を遥かに超えていかなければならないのです。そこを、見つめるために。