2015年1月24日土曜日

何と呼ぶのでしょう



 まあ、いうなればチラシ寿司、ええバラ寿司とも呼ぶのですか。
先日の法事の前日、東新宿から戻って、長女夫婦にも作ってもらったその時限りのあるもので。
桜でんぶ多目にして、錦糸卵もあった方がいいというので大急ぎで焼いて、海苔も刻んで、年末商品の七宝漬けも半解凍だったのをほぐして、メカブは小皿物にして、野付のイクラと、細切のイカと、柵であった漁福丸のメバチマグロ、こんな切り方でごめんなさい。大葉。
 このイクラを箸でつまんでも、それはイクラ。イカ一筋取り出してもそれはイカ。大葉は大葉少量でもあってこその彩。
 特定多数の中の個人という事を考えます。まあ、そんな事言っちゃって、難しいことばは文庫番には使いこなせない。でもね。イクラが一粒、自分はチラシ寿司と名乗るよりは、自分はイクラだ!と言った方がかっこいいし、どれほどのイクラがあるチラシ寿司なのかと美味しさが増すじゃないですか。一パックは長女のお持ち帰りになりました。
 宮城の有機米でした。飯台は母のものだったのです。

2015年1月9日金曜日

粒粒皆辛苦

母の資料整理をしていて、吟詠の手帳に付箋があったページを開くと
李紳の詠んだものがありました。

農を憫む

 鋤禾日當午  汗滴禾下土
 誰知盤中飧  粒粒皆辛苦

というのです。資料整理の第三段階は、なおなお海の中に真水を探すような、方法の解らないもの、家を引き払う際に処分してしまったか欠損しているものなど、見当のつかないのですが、こういう付箋が点けられているものを、読み直すと今なお母に教えられている様な気分になります。
 千五百年ばかり前の唐の時代にあった農民の在り様に、国は違う、時代も違うのに、先日も、庭の楓を、どうするかとこの家の庭木の作庭をしたという造園業のおじいさんが寄っていきました。その時の話を思い出します。
もう廃業するから、木は私たちにやりたいという事なのですが、家も中古ならば、庭も中古の我が家。今ある木をどうするかも、難しいのでご相談。重機15,000円、それを運ぶトラック15,000円、操作するのに同額くらい。人にかかる費用はそれなりに一日仕事。
 もともと、里山の河川敷のところです。庭の盛り土をどこから持ってきたのか、以前は何が植わっていたのか、田んぼはもっと下がった方の土地をこの辺りの農家は買ったのだけれど、今は全然足しにもならない。昔はこの村の畑七畝で田んぼ四反になった。今は畑もやるものもいない。米なんか作る百姓もいなくなっちもう。とコーヒーなど飲みながらの話です。

このうたには、もう一首が並んであります。

 春種一粒粟 秋成萬顆子
 四海無閒田 農夫猶餓死

今の耕作放棄に、他国からの輸入頼みをさらに選んでしまったら、途絶えたらどうなるかと考えなさい。資料整理も進まないのに、母に言われたような気がします。


2015年1月5日月曜日

あっちの方角


 元旦過ぎて、これからが一年で一番寒くなります。
小高い八幡様の丘から、小さな古墳を巡って、家のある方角を見渡します。
と言っても耕作放棄の畑と竹藪が遮っているのです。
八幡様には、ここが村だったころに建てられた郷史の石碑がありました。
養蚕業が盛んであった事。田んぼより畑が多かった事。横浜からの生糸輸出の頃は村の産業も盛んであった事。そこから、高度経済成長期の産業構造の変化、農業後継者の減少。縷々書かれています。

 午後の散歩に日が差し込んで、豊かな土壌を温めています。
昨年までの里山畑も見えるはず。そしてあくまでも農業ではなく家庭菜園の延長で、今借りられないかと話しているところも見えるはず。
私たちがここですること。 新しい歌。そうなんだ、やっと実感できてきます。
 何故、各地の訪問を続けてきたのかも、そして茨城の山も風景の中でこころに落ちてきます。在って、旅して。

2015年1月1日木曜日

年明けにあたって


すべてあらたまる新年です。
 

縁側商売も楽じゃないの。。。

いいわ、なんとかやっていくから。ここで踏ん張るしかないの。