2013年2月26日火曜日

自分にもできるということ


この頃、何だか旧姓でも良いと思うの。。。
え、それはすごい。と思わず拍手。
箪笥を整理しなけりゃならないし、押し入れを塞ぐかもしれないけれど、ベッドは便利かしらね。整理箪笥はもう古いから捨てるしかないかしら。でも和箪笥はどうしましょう。
和服は着ないしね。と言っていた義母。そうそう、こういう縫い直しもあるから、と和服リフォーム風の家庭着を高く販売しているカタログを見ている話しの中です。
小さいものも良いのよ。と、その日にいわきの被災した女性たちの作品を買ったものを、岩洞湖のジャズフェスティバルに藪川の女性たちのお一人が売っていた携帯ケースに乗せて見せてみました。
こういうものをお義母さんが作って、私が売れば誰も来ないところでも何とか楽しいことができるかもしれないじゃない。増田寿美子の作品展示販売とか。
その文脈で出てきた言葉。
ほぇーっと思います。
嫁の薫陶よろしく?普通参政権を持つことができた20歳は86歳になってこういう事を考えていたのだとはじめて解りました。
その時一緒に居た連れ合いの表情は見てみたかったのですが、なんとなく憚られました。
あなたのお母さんは、生まれたときからの名前で良いって言っている。。。。
さて、はっきりした意識でお話してくれているのだと考えたいです。日が変わればまたとぼけるのかもしれません。
長く同居を続けるといろいろと、面白いことに遭遇できるものだと思います。これからの展開は私じゃないのかもしれません。少しけしかけすぎたのでしょうか。まだ四十九日も過ぎていないのですけれど、発奮するように、まだ手仕事はできそうだとあれこれ言い過ぎたのか誘導したのか。
いわきの仮設住宅ではじまったふくちゃん。そんな離れたおばあちゃんの言葉を引き出したのです。

2013年2月16日土曜日

これで一息

依頼のあった件    それに当てはまるか相応しいか。なんとか今の文庫番で整理できる範囲での講演下書きを作ってみたのですが、まずは封印が解けたという感じでしょうか。
私達の側から話すことじゃない。と母に言われてきたのです。
世に広まる、人様の口。
まだまだ、守っていかなければならない幾人かがいるはず。
その、相克の中に居たのだと思います。だから多くの、そのあいだを見た人たちは口を閉ざしてしまって、運動は砕けてきているのです。
それは人間の歴史そのものがそうだとも考えられるのです。どのような事柄にも、どちらか側からの見方、考え方があって、他方から言わせるとすれば違うじゃないかと、煮えたぎるような思いを抱えながら、さらにはもっと深く傷つき、怨念にまみれながら息を詰めている鬼と化したような者を生み出す、人の世。鬼は外界からの来訪ではないのです。鬼は内に居て。
今日もニュースでは、祖父が体に障害のあった孫を・・。と、それは、この数日、文庫番がまとめていた資料の中にあったことから何も変わっていないかもしれないのです。あれほど、過激と言われる、世に疎んぜられるのを承知で、闘い取ってきたというのは何だったのか。いや、なにも求めてはならない。
でも、文庫番の仕事だから、集めてあった資料の整理は、はじめの手を付けただけですが、真実というものの相即性とでも考えれば良いのか、歴史は語る側に都合よいように語られる。それを承知で自らも語らなければならない時に至った。そこから逃れてはならないのが生きているという事。
今の現実を観るのです。過去の遺物ではないものなのです。まさに今語る責任があっての事なのでしょう。
マハラバ村の夢
それは私などにに語りつくせるものではない事を、まずお断りしなければならないです。
そして、やっと資料整理がはじまったところですので、未整理な段階であることもお詫びしながらとなるのです。ただ、東日本大震災後の今、新しい夢としてあるのだと。
本箱  整理状況

2013年2月14日木曜日

いよいよ資料に埋もれて

 先日、片付けていたじゃない。と言われれば何も言い返せません。・・・・・いや、言ったかな。だって、何十年前のまで、探してだして、移動しておいたものも持ってきて読み直しているし、コピーは取らなけりゃならないし。「マハラバ村の夢」。そういう題でくるとは!それこそ7年前からスタートしていたことだから、充分に準備ができているはずだと思うと、食べるだけ~。消費者だ、か、ら、、。協同を語ってもらえれば。。。そういう事にかまけて本筋を弱くしてきていました。
文庫番の第一の仕事を、ほったらかしで、あちこちしていたらしい。インターネット上に新解放理論研究会を立ち上げてから体系立てて出してきたはずが、家族から見てと言われても、ただ当たり前に、そこで暮らしていたわけで、ことば化していなかったような、自分の思い。まさに当事者への疑い。そこが言い切れるでしょうか。
自信が無いものほど資料に頼る。パワーポイントで見せれば事済むとしがち。
虚仮嚇しのはったりは、寺の者としては得意かもしれないけれど、それでは企画してくれた人に申し訳ない。
 何のために時間をいままで確保できるようにしてきたのか。集めてあった資料を繰りながら、必要主題を抽出しています。
わくわくと、これこそ、この事をするために費やしてきた数々。またとない機会を与えられたようでもあるのです。そう思うと集中して関連したお便りが舞い込んでくるのです。

2013年2月8日金曜日

頭が痛くなるほど

 読み込み、読み込み。判別し破いて捨てては、まだ遺して。電子上に取り込める世の中になっているのに、実物で持っていたいという執着。
小学校の時の作文から、となると箱は幾つもになります。でも新しい事務所でも置くスペースは限られているのですから。
 自分の執着の強さにある意味あきれます。幾人もの故人となった人たちの財とは、ただ生き方なのだと知っていても。
友人知己からの消息。母が何かの折節によこした切り抜き。子供たちの成長記録。連れ合いとの結婚以前の、やりとり。
早く、捨てて!。ですって。
 昨秋に一回整理してあったので、筋道は着いてきましたが、今週は月曜からこの作業にかかりっきり。
おかげで、文庫番がたどった水の道も、これから先に続いていることが、自分の中に落ちてきました。そして、活動してきた組合員としての取り組みと、事業の関連。生協の時代史
それはスカイツリー下塾をして、他の人に語ってもらって見えた事。協同は一人じゃないという確認も一部分あります。
これをデーターベースとするか。それとも、物に価値付けするか。マハラバ文庫的には個人と会社という行き来のあったものが、役割を“仕分け”できたかもしれません。
一歩前進。まだ、文庫番一人量の資料なのです。運び込んだ母の雑資料(冤罪関係と平和)父が山寺に置いてあったもの、これも雑資料を引き取れるには、まだまだ体力とスペースを必要とします。
でも、見えた。少しずつやっていけば大丈夫。そうです。

やっと探していた、「揺すりながら」それが出てきたのも、作業の途中。薩摩忠さんが紹介していた詞華抄の一篇でした。

 ガブリエラ・ミストラルの揺すりながら 田村さと子 訳
  たおやかに海は
  いく千の波を揺する
  やさしいその音をききながら
  わたしは抱きあげた吾子を揺する

 夜をさまよいわたる風が
  麦畑を揺する
  やさしいその音をききながら
  わたしは抱きあげた吾子を揺する

父なる神は音もなく
  いく千の巷を揺する
  ひとむらの影にそのお手を感じながら
  わたしは抱きあげた吾子を揺する

初めてこの詩を読んだ時に、取っておかなければと思い、どこかで水をテーマとし、食べるものも大切で、そんな自分にも、母にも重ねていたことば。長く探していた古紙で、やはり巡りあえたことを考えると、むやみには破れないので、ひたすら集めこんでいる文庫番。

2013年2月2日土曜日

スパルタでいいのか?


まだ、一ヶ月も経っていないです。54歳初心者!首都高速、中央高速。錦糸町から甲府南まで。二時間半休み無し。
前日は、都内周辺を前哨戦と言って、葬儀以来ハンドル握っていなかったので、感覚無し。助手席からの助言の多さ、ものを言うタイミングと語調はすれ違うのです。こちらは半泣きですよ。だって高速なんて、シュミレーションだったのに、地元京葉道路での60㌔も二回しか踏んでいないのに。
 どうやって、料金所へ入りましょう。加速しましょう。怖いよ嫌だよ。って・・・。あれ?100㌔超え・・・・。びゅんびゅーん!
でも、助言は続く、首都高は坂道・カーブが多いんだから、上手く流れを遮らないで、車線変更はタイミングが、、、!!怒!!
 眠っていたかのような義母が後部座席から、うまいもんじゃない、教える方が怒っちゃだめでしょ。ほら、そうでしょ。こっちは分かっているのに、あなたの頭で、ああれこれ指示しても教習所と違うし、目線も膝のバネも、腕の回しも違うじゃない。いちいち細かい!!怒!!。!!怒!!。
笹子トンネルの対面通行、注意しているんだから、暗い中で幅見てますって!
 およそ、相手の考え方に対しての許容がないと、せっかくの助言は、功を失うばかりか、虐待まがいのものになります。そして、それが長年の夫婦であれば。返り討ちだけになりかねません。
 車庫入れ失敗で玄関にぶつかりそうですか?私の考え方と違う指示しないで、って昨日も今朝もいったじゃない。雪残っているんだから。怖かった。 さあ、おばあちゃん。着きました!。

 藤の蔓を今頃の季節に剪定しました。でも私には編組なんてできないのですが。これは自分への小さな課題。