2018年8月27日月曜日

テープを起こしながら



 父の講義テープは、1983年のものが先に電子化して、起こしている途中なのですが、その他に大雑把に2バージョンありそうです。まだ全容がわからないので、どこまで文字とするか、マハラバ文庫の事業規模に見合うのか、手作業で進めています。
 1930年の8月27日に生まれて1984年の7月6日までの一生であったのですから、晩年のものです。これが聴いていて面白い。西暦とか元号とかを、どう考えるかという改元についても話しているのですが、ちょうど今年、今の元号のうちになどと大騒ぎしている人たちに聞かせたい中身です。そう、音声で聞いていると、語り口、親しみやすさ、すぐそこに傍証の引き出しを持っている知の集積。だいたいは、インターネット上に討議資料として出していることと重なっていますし、それは解放理論研究会の中でも述べられているのです。インターネット上の解放理論研究資料が、画面操作の未熟な頃だったので、枠が重なっていることを直さないとならないと、改めて見直して知りました。あの頃は兎も角アップすること、どうして父の理論が生み出されたのかを公開していくことに追われていたので、またの作業です。
 この1983年の講義は閑居山の中ですが、テープを録音していたのは母か、その頃通っていた石岡の写真家の男性かなのです。少しずつ確証としてきたことなども、臨場感とともに聞き取っています。ダブルであるので、母がダビングして確実に何度も何度も聴き直している事だと思います。それは眠られない夜でもあったのでしょう。
 今の山はどうなっているのでしょう。笹を刈り込んでいるのは文庫番の庭です。小さな部分でも、根が入り込んでしまって切り株は切っ先を尖らせて危険です。父の死んだあとテープがありながら、母には母の生きるたつきを作らなければならなかったし、期待した一冊は、どうも思うようではなく、さらには母に父の遺稿をまとめることを憚る思いがあったのでしょう。それが何であったのか漠然と考えるのは兄の道を邪魔しないようにと居たためではないかと、今は何も訊ねることはできないので推量します。どちらかが、根の下に潜り込んで、元を枯らしてしまう。そういうことをしたくはなかったのだろうと思うのです。
 人が、個として生きていかざるを得ない世の中で、なおさら自立を求めあった遺された者たちは、互いに上手く伸びる事が出来なかったのですが、笹竹は、はびこっているのが2018年です。人が、個として生きていかざるを得ない、そうなのです。父の言う事は、その生きるという事が差別の根源だと帰結する筋道の理論なのです。そしてそのことを自覚するのだと。
 かぼちゃがまた採れました。分け合うにも難しい事が出るほどほどのお付き合い。明治の開国は、第二次世界大戦後の高度経済成長、市場経済への流れは、ほどほどにお付き合いできた農村をそして都市をも壊しています。今、庭の笹を刈り込みながら、または茨城の山の中を思いながら、この世界に生きる道を見つけるのが困難であることを思い知るのです。
 生きる事に必死で、、、その言葉は、他人を蹴落とすしかないという事を意味します。お釈迦様の時代でもそうであったとしても、そうではない人らしい在り方を選ばないと、ただ、講義テープを起こす作業をしながら、政治について何か言うでもない、今は自分の主張も行動には結びつかない文庫番は、父のいう絶望を、また掘り起こすのです。
 

2018年8月7日火曜日

立秋に


 昨夕は台風13号の先走りになるのか雷雨があって、夜の気温が少し下がって楽に感じました。
 今朝も、天気図が伝える不安はあるのですけれど、台所を優先課題として夏野菜を揚げたり規格外でともらった桃を煮詰めたり。少し温度の下がった台所に居る立秋です。文庫番の母は長く、8月7日生まれだと言っていたのが、免許証を取る時に再確認し8月9日生まれとなりました。祖父が立秋の生まれだから照子(あきこ)と名付けたといつも言っていたのに、日にちがズレてまたさら、親たちのいい加減を思ったのかもしれません。
 私の親世代は、身支度良く、潔く皆逝ってしまったけれど、お盆の時期に日本の各地で、長男の嫁やら、同居の嫁やら、娘と言う立場やら、子ども世代を迎える母たちやらは、台所で思案するころ、投げ出したくなるような毎日の調理の積み重ねが、実は家族の寄り集う喜びももたらしてくれていると奮起するのです。嫁、母、家内、自分たちを縛っているくびきは何なのかと嘆息をもって台所に立つのです。
 そうではなかった、同じ基準で社会ができていなかった、都会での勉学に送り出そうとした娘が、下駄を外されていたのだと知ったら、我が身の事として怒らなくては。
 まだ、「男に生まれてなんぼ」の世界を作っていくのですか。
むしろ、そういう逆差別をおいて踏ん反り返っているものが構成する社会の不自然さを、恥じて欲しいものです。
・・・・・・
 それは、別稿に書くべきかもしれないと思いながら、この日にちをどう考えるか。
今、同居、遠距離での親世代と生きている人たちは、この夏の期間に、8月の6日も9日も15日も語る機会があるのです。
 なんと貴重な時間を共有しているのでしょう。記憶もあいまいなのか、言葉が出ないのか、または感情がうまく伝わらないのか、それは聞きづらい状況かもしれないけれど、今語ってほしい、73年前を、そして続く時代をどう生きているのか。それは受け止める世代も、ともに居る今だから。親世代の介護をしながら、台所の支度をしなければならない、それは、男女にかかわらず、受け継げるものを大切にしてほしいのです。
 台所は男女にかかわらずいのちに直結する場。歴史が積み重なる場。それは、あらためて聞き取っている父の講義テープでは母性原理なのだと言う舞台でもあるのでしょう。「この社会は母性原理で成り立つのだ」と。
 今、文庫番の居る国は、母性原理を見失った社会になってからの150年余の中に、刻む日にちとして73年前の8月6日、9日、15日を持っているのです。
 
 


2018年8月5日日曜日

地域の中に


 ペチュニアは切り花にしても、綺麗だという事を、昨日短歌の勉強というお茶のみのついでの話に聞いて、今朝庭から家の中にも。
 お付き合いではじめているつもりの短歌だから、なかなか上手くは詠めなくて、自分の言いたいことを、相手は思った通りに伝わるとは限らないと、少ない語彙をあれこれ思案します。だから、お茶のみと称しても他の人の意見を聞くのは、一首を仕上げるのにとても役立つのです。そしてこぼれ話は宝物のように、しまって置ければ、いつかは輝く言葉になってと励まされます。もちろん真面目に月例会の歌を詠み合わせしています。
 歌は手元を離れたら読者のもの。先生はそう言いますが苦闘。自分の言いたいことさえろくに詠めていません。
 地域の中に、なかなか喋ることのできないお兄さん(中年)が居ます。思春期のどこかで、気持ちが沸騰して、他の人とのコミュニケーションを取らなくなったとも聞いていますが、お母さんも片足が不自由。この半月姿がみえなくなっています。ある朝電動自転車ででかけたまま行方が分からないと最初は危機管理の防災無線は流していましたが、まだ発見はされていないという事です。
 地域の中で、このお兄さんの他にもやはり言葉を交わすことの少ない人がいます。地域に住むという事の難しさは、移住してきた者は、当然にしても、世代を重ねても、異質なもの、大多数に溶け込むことのない住み方があります。そういう様々を包含して地域はあるのです。これを簡単にコミュニティという言い方にしてはつまらないけれど、人間存在の根の部分なのでしょう。ことさらに荒立てて追い出すことはしないけれど、助力もしない。淡々と、生きていく場。 難しくもある反面優しさとも思えるのです。誰も調整できる訳ではない個々人の生き方を、放しおいてあるのが、地域の奥行なのかもしれません。
 この、猛暑の中を行方知れずになって、どうした事でしょう。お母さんもやるせないだろうに、そういうお茶のみの噂話ではあるけれど、組にも入っていないその家の存在も地域の一員としてみているのです。
 朝、庭に出て草花の世話をしていると、自転車で行き来していた姿がまたみえるようになるでしょうか。