2017年9月22日金曜日

秋彼岸になって


 やっと、今年の曼珠沙華は咲きだしました。子供のころは、ちょっと敬遠していた花。
故郷ではお墓に咲く花と言われていたり、緑の茎から突然長い蕊を立てた花びらが反り返る姿は日陰でみると、妖しいというよりおどろおどろしくも感じていたのです。
 その頃は、じゃあぼという葬儀はまだ縦棺の土葬でもあり、村の中の墓場に行列を作って人々が歩いていくのを、学校帰りに見たりして、閑居山とは違う、葬式宗教というのがあって、異界もあると感じたのかもしれません。
 2011年の春の彼岸には、文庫番の家には墓が無いと書いたのですが、今では家から歩いていける墓所に四柱の骨を納めてあります。相変わらず父の墓は、閑居山全体という兄の考えのままのようです。形にとらわれるものではないとした父の考え方を、正統に受け継いでいるのは、やはり兄の考えなのです。そしてどうしても社会と相いれない行動をしているように取沙汰される事も、読み解けば理解できる事なのですが、翻案者がいないと通じないままでしょう。
  写真展パネルの説明文を書かなければと思いながら、なかなか書き進まないのです。文庫番は、兄がどのように父の事を、そして母の事を考えているのかをゆっくりと話し合いたいと思うのです。同じ父母に対しても受け止め方は違うのは当然だから、それぞれが補完できれば、お互いが楽であるのにと、一つの事実というものが語るものの立場で異なるものなのだからと、機会のない照合を残念に思っているのです。
 現在の文庫番には、小さいころには不気味でもあった彼岸花、曼珠沙華が律儀にお彼岸をたがえずに咲くことにこころが休まるのです。励まされる力をいきなり、土の中から宙に放っているごとくにも見えるのです。
 自分の姿で、賢明に生きて行こうとするときに、多くの人が力を差し出してくれるのだと、学んできたのでした。

 文中、書き足し

2017年9月16日土曜日

角出せ


 幼いころから親しんでいた、ドリトル先生漂流記に大きな海カタツムリの殻にドリトル先生の一家?が乗り込んで航海をする巻があったのを思い出したのは、雨上がりの芝生に大きなカタツムリを見たからです。
 どういう種類なのかよく解りませんが、この近辺には居るようです。
家を背負ってその生涯を生きていくのですね。実家とか婚家とか出家とか、考えなくてもいいのでしょう。
 知人が、またその知人から兄からの連絡があったけれど、公衆電話だったらしくすぐ切れてしまったという事を教えてくれました。電話のあるところに居るのでしょう。私にはもう連絡するつもりがないのか、どうかも解りません。
 何を背負ってしまったのか。自身と一体のものが、生きている間は離すことができないのです。その心の中を推し量る事もできないのですからしょうがない。
 ドリトル先生は、ほぼ万物との会話もできて、こころを推し量る事も出来た物語でした。