2011年8月27日土曜日

数えてみれば

 本日、8月27日は、父の誕生日。とは言っても53歳で死んでいるので、今年の私と同じ年齢だったのです。この数日父の文章として、アップしてあるものを読みなおしていますが、7月6日の文章や、父からの手紙のような小文の中で、簡潔に言われている事を実際に“生き方”としてできる人は少ない。
 実践があって、思想となり、思想があって実践が可能であったのです。その事に賛嘆するのはできても、同じ生き方はできない人が、ほとんどであったのです。父の死の前の絶望、マハラバは絶望の思想なのだと言いきっている事は、生きていた間の、家族として目に見えていた個人にかかるさまざまな苦しみ、悲しみも言っているようでもあるのです。
 そして、残された私は、至らない娘だから、希望を掲げる事を選んでいるのだろうと思っています。どこまでできるのか、自分の意思を貫けるのか。
 この年齢になって迷いながらも、一つの意思を守ると言う事が、相対するものも守る、もっと言えば他者を守る事なのだと考えるのです。
 いくつもの、小さな産地や技が、今消えていきそうです。ですが、そこに貫こうという意思、守っていく拘りがある時、その事が他者の希望となり、他をも守る事になるのだとこれからも言っていこうと、私にできる事をするしかないのです。父の年齢を超える、時間という不可逆な流れに生きていくのです。

2011年8月21日日曜日

ショウジョウトンボ


 昨日、8月20日は、雨水探検隊の活動日。都立水元公園での半日野外観察。ほっとするところ。ホットスポットなんて探検隊は考えない。
 沢山の生き物との触れ合い。自然の不思議に引率の子供たちも親たちも大喜び。蚊に刺されたら、ドクダミ擦って、かゆみ止め。これもまた、大事な知恵も学べました。
 沢山のトンボの交尾の時期でした。この個体の傍に番がいます。残念なことに二頭一緒の写真は撮れませんでした。こころが吸いつくような、緋の色に人間とは違う生き物のいのちの美しさを思います。
はたして、人間のいのちの在り方はこれほど美しく彼らから見えるのでしょうか。

2011年8月15日月曜日

並々ならぬ決意で

 そう言われると、そうではないですよ。8月15日が株式会社マハラバ文庫の設立日であるのは、この記日を選んだのでは全然なく、2006年から2007年にかけて自宅の水周りの改装をして、ようやく6月過ぎに会社の定款作りをし登記手続きをしたら、たまたま8月15日という日にちになったのです。
 肩に力を入れて、終戦なのか敗戦なのかという論議をしていたのとは、訳が違いますね。創立記念日。あ、来年になったらいよいよ5周年・・・・。持つかな。

2011年8月13日土曜日

流星も見ずに


そう言えば、遥か昔の高校時代の私は科学部とかに居た記憶があります。天文部には合宿もあったのですが、天体の事、宇宙の動きは父の興味からか、良く会話にありました。合宿するのはあまり好まなかったので科学部だったのかもしれないです。
 私はあの空に観える星が一体本当は何色なのかも知りたい。そう言った時、星は星色なんだ。と変な説明に納得してしまい、地上に居続けることになったのかも知れません。
 この一ヶ月間で走行距離は1200㌔。車を買う前の中央線での往復も入れると、どれほどの行き来になるでしょう。連れ合いは山梨に入り浸り。そのほとんどに同行しながら、二地域居住など現実を見てない話だと、こけつまろびつ夏休み。義母からは保養所と言われるけれど、私は行けば掃除に炎熱の草むしり。そして魂を置いてある茨城の山の中でのあの会話に、もっと慎重に思慮を働かせられる経験があったらと思い返すのでした。

2011年8月10日水曜日

茨城行


八月九日は母の誕生日でもあるのです。なんとお誕生日手術!ということで先日の白内障、左目もするということでした。右目の手術がうまくいって、鏡をみたら皺くちゃ婆さんがいたの。と言いますが、これで両目が明るくなったら、娘の衰えも分かってしまうでしょう。
 所詮、人のしていることには、限りがあってもっと大きい摂理の中での惑いなのだと、考えています。この母の手術の間にも茨城に来ましたが、その時は午前でしたので、土浦から神立の間の蓮田に大きな白い花があり、ピンクのも混ざって、大きな緑深い葉の波が風に動くなかに、その垂直の茎の上の花が揺れるのを見ると、今年の震災・津波で波に巻き込まれてしまった魂が、お盆月に何かを語っているようにも見えるのでした。これは、何回もこの蓮田を見てきて今年初めての感覚でした。その日は、帰る事など一生のうちには無いと考えていた、ふるさとの山に行き承知はしていたけれど、物事には留まる事はない、無常ともいえる寂寞感が蓮田の花に感じたのでしょう。この葉や花の下。水の中、泥の中で育つ今年の蓮根。丹精込めている生産者のためにも、出荷できることが望ましいのですが、それも願いながらも、どこかでやるせない眺めだったのです。遅れて昨日の午後の常磐線から撮った写真です。昨日は長崎原爆忌。

2011年8月7日日曜日

分裂を招いたか


バケツの稲は、出穂しました。この一株だけは先に火鉢から直に生えて田植えをしなかったもの。その他の稲も順調な様子でゴーヤのカーテンに負けず伸びています。間もなく全体に穂がでるでしょう。検査はしません。またお正月の〆飾りにする分とします。今年は二つ作る事になるのでしょうか。夏休みになった連れ合いは山梨のところと行き来をしてます。義父母は、今のところで死にたいと言います。子供たちはそれぞれ。私は今は兄との音信が繋がり、茨城での責任も感じるところ。この先どういう形が望ましいのか、順調と言えるのか。すべての要因が、見えません。

2011年8月1日月曜日

実ると言う事


ゴーヤの実は案外早く種を実らせるのだと解りました。しかも効率良く地面に(ベランダに)落ちるのです。順番に、全部食べきれないうちに、下部が膨らんで色が変化したら、気がついたらもう種は、集まって落ちるようになってました。この下に落ちた種の周りには、どこから来たのか蟻が黒く群がっていたのです。
 この苦瓜、全部を適時に収穫されないものとして即効無駄なく種を落とすのが面白い。