2009年12月25日金曜日
風邪を引いている
茨城の母は、12月初旬から風邪をひいています。苺を持って寄った時はそうではなかったのですが、そのあとからガラガラ声ですが、「来たら、怒るから。」と強がっていました。強情な系図です。
年末にかけては数度、様子を見に行っています。配食サービスもディサービスも年末年始は休みです。
愚痴の聞き役が、主なのですが、なかなか、ガラガラ声なのに、負けない会話です。
その前から、アミノ酸についての、やりとりを母と続けています。「アミノ酸のどこが悪いの?」と尋ねられました。「身体の中にも、自然にあるものでしょう。」うーん。そうだけれどもね。ここで言うのは合成の旨味調味料のアミノ酸のことでしょう。母たちの世代には栄養改善運動の盛んであった時代。簡単には引きさがりません。
あのね、こう言うのは、均一に機械的に、味覚をごまかして習慣化してしまうけれど、本当の調理は出汁をとっても、素材から引き出してもそうそう、毎度同じにはならないでしょう。(あれ?私だけだろうか、母は調理に自信があったのだったけ)だから、時間のない、忙しい時にあれば便利と勘違いしてしまうけれど、もともと、時間がかかるものじゃないのに、どこかで言い訳にして使っているでしょう。
「安いということは、悪い事じゃない。」
それよりも、どんな素材を使っても、いつも同じ味にできるということは、作物の生産者の状況も、産地の様子も想像できなくなって、生産の場と食べる場を分断してしまうのが、一番いけないところじゃないのかしら。
「結局、所得の低い者は、アミノ酸が多くたってありがたく、食べるし、そんな理屈を聞いていられる機会もない。」
そこに、話を持っていったら駄目じゃない。所得が低ければこそ、自分の健康も子供の成長も守らなければならないからと、病院に行く時間も取れないのだから、きちんとした食材がいのちを守ると言う人もいるわ。
「まだ、納得できない。」
どうしてか、母のところに様子を見に行くとどっと疲れます。優しくはない娘だと思っているようです。
クリスマスだと言うのに。
2009年11月20日金曜日
2009年11月15日日曜日
そういうものなのかしら?
いつもの、歯医者に健診ついでに行って、治療台に座っていると、「この頃なんの本を読んでいるんですか?」と訊ねられます。いつも治療中も何かしら読んでいたのをご存知なのですね。「この頃あまり読めなくなって、先生も本がお好きですか?」「自分は月に今でも20冊くらい読んでます。どちらかといえば硬い方のものですけど」「そうですか、こんど私の書いたもの持ってきますね。柔らかいものですけど」
この様な場でも、少しは営業できてるのかと、次の診療に「きなり歳時記」を持参して、お渡ししました。「頂いていいんですか?」「・・・。」「どうぞこれをお使いください。70まで健康な歯で居られますよ。」
お互いにそれぞれの得意分野を交換できる幸せ。金銭には換算してはいけない。
売り上げはすべてを癒す。というのは迷言になったのだと思う。・・・・・。いや?。
母は預けた冊数をきちんと売っているという。
2009年10月30日金曜日
2009年10月19日月曜日
原則論母娘
母のところに行くのは、なぜか配送日が多いけれど、母からは、細かいところにも目の届くヘルパーさんたちと違って、ぶらっとしか寄らずに、あら探しをしているような娘に思われるらしいです。少しばかりの本の片づけをして、お茶のみ話なのに、「この辺りで、生協とっているというだけで、贅沢していると思われちゃうから。」と言うので、猛然と反論をしてしまうのです。本来の協同組合の役割は持たざる者同士が手を携え合って、貧困から社会を変えていこうという運動よ!「だって、そんな事配達のお兄ちゃん言わないし、・・・。ヘルパーさんは生協で購入しなくてももっと安いものあるから無理に買わないでって教えてくれるし。やっぱり生協は高いもんだとこの辺じゃ思っているんだよ。」
そこをね、みんなで助け合って、良いものを安くできるしくみが生協だって説明してほしいな。生協にだって配達に来る人も説明できるように教育の充実を言ってもいいんじゃない。そこにお金を使うことが大事だって利用している組合員だから言えるんだから。「アンタだったら言えるかもしれないけれど、私には良くわからないもの」そんな事じゃあ困るな。生協は責任を持つ意思のあるものによって成り立つ組織なんだから、お母さんもお母さんの責任で言えるはずなんじゃない。そうでないと、なんのためにユニオンまでやっているんだか、言えるはずじゃないの?
「・・・・・・そうやってまた、苛める。」これじゃあ、高齢母虐待娘の典型になってしまう。
生協は、高いものを売り付けていると、生活保護の家計では利用するのは贅沢だと、周りから思われてしまうのでした。
そこをね、みんなで助け合って、良いものを安くできるしくみが生協だって説明してほしいな。生協にだって配達に来る人も説明できるように教育の充実を言ってもいいんじゃない。そこにお金を使うことが大事だって利用している組合員だから言えるんだから。「アンタだったら言えるかもしれないけれど、私には良くわからないもの」そんな事じゃあ困るな。生協は責任を持つ意思のあるものによって成り立つ組織なんだから、お母さんもお母さんの責任で言えるはずなんじゃない。そうでないと、なんのためにユニオンまでやっているんだか、言えるはずじゃないの?
「・・・・・・そうやってまた、苛める。」これじゃあ、高齢母虐待娘の典型になってしまう。
生協は、高いものを売り付けていると、生活保護の家計では利用するのは贅沢だと、周りから思われてしまうのでした。
2009年10月17日土曜日
八十路の抵抗
春からディサービスに行っている母が、びっくりして話してくれたことです。
いろいろと、季節ごとの行事で通所者も楽しんでいるんだけれど、名月に大きな花瓶に薄の穂を飾って、その後ろにね・・・。満月の代わりに日の丸の旗を壁に張っていたんだよ。あら黄色くないのねって言ったけどね。そしたら今週は運動会で、フレーフレーって声援するばかりじゃだめで、国歌斉唱までみんなでするんだけど、その辺りではもう疲れて口が開かなかった。職員さんたちは、さっきまで元気だったのにって不思議な顔していたけれど、もっと不思議なのは、周りのそれまでぼーっとしていた人たちが大きな声で歌った事。私は歌わなかったよ。だそうです。年とるのも楽じゃないようです。
いろいろと、季節ごとの行事で通所者も楽しんでいるんだけれど、名月に大きな花瓶に薄の穂を飾って、その後ろにね・・・。満月の代わりに日の丸の旗を壁に張っていたんだよ。あら黄色くないのねって言ったけどね。そしたら今週は運動会で、フレーフレーって声援するばかりじゃだめで、国歌斉唱までみんなでするんだけど、その辺りではもう疲れて口が開かなかった。職員さんたちは、さっきまで元気だったのにって不思議な顔していたけれど、もっと不思議なのは、周りのそれまでぼーっとしていた人たちが大きな声で歌った事。私は歌わなかったよ。だそうです。年とるのも楽じゃないようです。
2009年10月11日日曜日
秋日和
昨日は、1964年開催の東京オリンピックを記念した、体育の日。それは、晴れの特異日だから選ばれたということですが、近年は、天気もまた固定観念では語れなくなって、台風18号の残した落ち葉を片づけて、出かけていました。それでも、秋日和。
午前中の話し合いでは、東京オリンピックの年を語れる人の集まりで、あの年に、スーパーマーケットというものが始まった。とか、それまでの瓶牛乳を牛乳屋さんが配達していたのが、紙パックの牛乳の登場した年だとか、清掃のボランティアをしたけれど、あの頃にはボランティアという言葉はなくて、「ご奉仕」と言っていたと、投げかけた話にこんなにも語れる内容があるのだと驚きながら、その会議は閉じて、青山の国連大学前のファーマーズマーケット@青山。
若い交流は何かを生み出している。
渋谷が今農を語る場なのだと、そして、知っている顔の生産物。「顔の見える関係」という言葉も変容できる仕組みを今創っている。
2009年10月8日木曜日
2009年9月26日土曜日
2009年9月23日水曜日
2009年7月27日月曜日
アニタ・ローベル
毛皮姫の作者。繊細な線と、歯切れのよい話運び。意思を持ったお姫様はブランコ乗りと恋をして・・・。
そのお話は確か松井るり子さんの訳だったのでしょう。子供たちの本をしまってあるところにあるはず。
だから、この「きれいな絵なんかなかった」は、ポプラ社の2002年11月第一刷りのものです。
訳者は小島希里装丁が丸尾靖子1600円。
ポーランドにユダヤ人として生まれた女性だったのですね。あの戦争がはじまった時は5歳。弟は3歳。ばあやはカトリックだったし、収容された施設はスウェーデンのプロテスタントのところ。
何が、人を支えるのか。そして、子供という生きづらい時期と書かれている時代。そうでなくても誰でもが生きづらい戦時下。ユダヤ人であるということの欧州。キリスト教文化圏での意味。
何が、人を支えるのか。水、寝床、食べ物、衣類を描くことがこんなにも、私に歴史をさまってくるのかと人間を迫ってくるのかと。
何が、人間を支えるのか。・・・・・・・・。
2009年7月21日火曜日
2009年7月19日日曜日
2009年6月27日土曜日
2009年6月23日火曜日
2009年6月20日土曜日
2009年6月13日土曜日
後家のヤモリ?ヤモメ
文庫番のベランダの田んぼ(今年は夢の谷のほまち田)の横は雨戸になっているのですけど、先日その雨戸をあけるとヤモリがいました。生き物の珍しい東京の下町。瞬間、その気配に吹っ飛ばされそうになるのですけれど、こころを鎮めながら、カメラ付き携帯電話を部屋から取ってきて、写そうとしたら、逃げられました。なかなか、咄嗟には気持ちの準備ができていないのですが、以前、もう一匹がうろちょろしていて、雨水バケツに浮かんでいたのを発見したときには、実に神妙な気分になったのです。でも気を取り直していつか、この連れ合いなり子孫なりが来ればいいなと思っていたら、季節が一廻りしたら、やはり出現したのです。
先日その話をしたら、後家さん?と言われました。後家のヤモリ。これまた意味深と思いました。
今晩も、小さな田圃の稲の葉先には水玉が吸い上げられ、都会の街灯を中に閉じ込めています。
先日その話をしたら、後家さん?と言われました。後家のヤモリ。これまた意味深と思いました。
今晩も、小さな田圃の稲の葉先には水玉が吸い上げられ、都会の街灯を中に閉じ込めています。
2009年6月10日水曜日
2009年3月12日木曜日
2009年2月21日土曜日
2009年2月12日木曜日
2009年2月5日木曜日
2009年1月26日月曜日
2009年1月17日土曜日
2009年1月2日金曜日
2009年になりましたね
まだ、こちらのブログの使い方全般分かりませんが、様々なリニューアルができるといいなと思います。
できれば、ここに一本化した情報発信ができるようにめざしているのです。今年もよろしくお願いいたします。また、皆様に取りましても良い年でありますように。
できれば、ここに一本化した情報発信ができるようにめざしているのです。今年もよろしくお願いいたします。また、皆様に取りましても良い年でありますように。
登録:
投稿 (Atom)