2009年10月19日月曜日

原則論母娘

 母のところに行くのは、なぜか配送日が多いけれど、母からは、細かいところにも目の届くヘルパーさんたちと違って、ぶらっとしか寄らずに、あら探しをしているような娘に思われるらしいです。少しばかりの本の片づけをして、お茶のみ話なのに、「この辺りで、生協とっているというだけで、贅沢していると思われちゃうから。」と言うので、猛然と反論をしてしまうのです。本来の協同組合の役割は持たざる者同士が手を携え合って、貧困から社会を変えていこうという運動よ!「だって、そんな事配達のお兄ちゃん言わないし、・・・。ヘルパーさんは生協で購入しなくてももっと安いものあるから無理に買わないでって教えてくれるし。やっぱり生協は高いもんだとこの辺じゃ思っているんだよ。」
 そこをね、みんなで助け合って、良いものを安くできるしくみが生協だって説明してほしいな。生協にだって配達に来る人も説明できるように教育の充実を言ってもいいんじゃない。そこにお金を使うことが大事だって利用している組合員だから言えるんだから。「アンタだったら言えるかもしれないけれど、私には良くわからないもの」そんな事じゃあ困るな。生協は責任を持つ意思のあるものによって成り立つ組織なんだから、お母さんもお母さんの責任で言えるはずなんじゃない。そうでないと、なんのためにユニオンまでやっているんだか、言えるはずじゃないの?
「・・・・・・そうやってまた、苛める。」これじゃあ、高齢母虐待娘の典型になってしまう。
生協は、高いものを売り付けていると、生活保護の家計では利用するのは贅沢だと、周りから思われてしまうのでした。

3 件のコメント:

bianca さんのコメント...

そうなのです。
そこなのです。
組合運営の中でさえ、共有できない
もどかしさを
このところ持ち続けています。

増田・大仏・レア さんのコメント...

biancaさん
 コメントありがとうございます。
すでに、創設者世代からは、かなり経っている協同組合運動。利用することから参加していると言いきっている、ぶんぶんこですが、出資・利用・運営の三つの力のバランスが見えないのでしょうね。
 そのすべてに対して組合員は責任と意思があると思うのですが、社会全体が主体性を持たない個人を喜んでいるので、協同組合の組合員の在り方以前の事もおおっきいかなと、地域に住む一人は思いつつ。母と論争しています。

bianca さんのコメント...

お返事ありがとうございます。
共同購入や仲間づくりを戦略と説いたゆえの
日本の生協全体の代償でしょうか。
また、おっしゃるように
社会の構造変化がすすみますが
市民が本当に心の奥で求めているものって
昔と違わないかも。
などと勝手に考えたり
脈々と繋がっている細い糸に蝋を塗って
火を消さぬ努力をしたいと考えたり
しています。

それにしても、お母様を苛めないで。

しかし、私も母に意見を言ってばかり
ですが。