2017年4月16日日曜日

白き花に


 
 復活祭、茹で玉子一個にスズランの花。君影草と先週の趣味の園芸で放送されて、家の庭に咲くのを、誰の影を慕うのかと、白いふっくらした頬を思います。
 だいぶアイビーが伸びてきているので、今咲いている反対側の西日の当たる方に少し分けてみようと思っています。そちらはドクダミの蔓延るところ。根っ子の張りっこ合戦となるけれど、紫花大根に取りあわせて、数年計画で植え替えしてみようとイメージしていますが、半日を根っ子(地下茎)と格闘すると、それだけで大仕事をしたような気分にもなります。
 思うに任せない植物との日常が続くのです。
 思うに任せない、いろいろな先行きも考えるのですが、植物の地下茎の陣取り合戦はどのように調和していくのでしょう。イメージをしている文庫番の想像を超えた調整があるのか、恣意的に手を入れていくのか、日々庭で悩むところです。
 根っ子の合戦は、今が戦前のようだとか、まだ戦後は終わっていないとか、(これって良く同じ人が言ったりしませんか?)という人間世界のきな臭さとは違って、植物任せ。
 注意深く観察してかなければと考えます。
 

2017年4月7日金曜日

時は巡る



 女三界に家無し。。母の墓は建っているけれど、どうも、しっくりこないこの地方の石材店はカトリックの墓を知らず、花入れまで備えてしまったので、有難がって、私は時折花を供えに、隣の我が家の墓と同様に扱っているけれど、母の本心は、どこに帰りたいのでしょう。ともあれ、茨城県の森林管理署への、閑居山の極一画の借地は、引き継いでしまったから、兄が居ても居なくても、必要としてもしなくても納付書は、母の命日に合わせたように来ることになっているのです。境内に隣接した土地だったのを知らず、境内の続きとして使って物置が立っているから、それを撤去しない事にはどうしようもないけれど、遠い私にはとりあえずはそのままにしておくしかないものになっています。
 諸葛菜、紫花大根、閑居山で母が愛した花は、我が家の庭に咲いています。お墓に供えるのではなく愛でることで、今日を過ごします。

無縁の地平に

2017年4月4日火曜日

道を歩けば

何に当たるのか、電車を降りて歩いた道は、土浦のほんの僅かな区域。
そう、昨年もあった同窓会。いろいろな事情で、二年連続になりやむなく副幹事をしました。昨年末からいろいろとやりとりをして、4月の桜の頃には先生も回復されているはずと考えて日にちを決めました。これがタイトな中に入れ込んだスケジュールでもあって、心がけが良いのか悪いのか、山梨を出た時は雨模様。長距離移動ですけど、いつもとは違う理由でのお出かけに、ちょっと長閑な感じと郷愁とが入り混じります。
 ここまで来れば、共に過ごした期間も、事情も許されるところがありました。
ご実家は?潰れてます。そう応えておきます。ひろし君だったかしら、お兄さんは。。うやむやです。道を歩くのに、下ばかり見ている訳にはいきません。自分の歩く道は前をみて進んでいきます。