2018年4月12日木曜日

デジタル化第一歩


 父の講義テープ音声をデジタル化はじめました。と言っても外注。そして、これだけを文字打ちしていっても、どうなるかという事になります。今までの資料は紙ベース。活字になっていたものでした。推敲も重ねられた、鏨で彫金を形作るような、一つ一つの言葉に角度と力の配分があった文章になっていたのです。
 講義テープをそのまま起こしても、人となりを知らない人には、べらんめえの東京弁に茨城のイントネーションの上、相手に応じながら、ダジャレも得意としていた語り口で、差別からの解放を説くのに、差別用語というものが幾らでも出てくる。部分だけを抜き出せばいくらでも、誤って流布されることが考えられるもの。そして既に50年半世紀を経ている中では、新しい解釈で、社会に通用している事例や、現在では反証されている考え方も引きながら話しているものです。そう考えるのですが文庫番も身近に居ない時期のもので、全容はこれから聴くことになります。またこの母がスペアを用意していたものが、オリジナルなもののスペアなのかどうかも、もう少し時間をかけていかないと、手内職のような仕事では、解き明かせないのです。やることの厖大さに、ここまで来ながら道の遠さを思います。やはり、アナログな作業です。
 自分一人の思い込みかもしれない、父の思想を整理していくことを事大にしているのかもしれない。それでも、他の事はさておいて今求められているはずだと、今の時代にこそ必要とされていることばなのだと、するのです。

2018年4月8日日曜日

水仙

 4月7日の朝は、6時前から目が覚めて、その日の朝を思います。兄に手紙を書かなければ、母の亡くなった日の事を。そう思いながら遅れ遅れになる連絡事項を片付けていると、いつも兄妹という間柄をぬるま湯のように、甘えていて筆が執れません。
 誰にも、看取られることをせずに、その覚悟で逝ったはずの母を、兄に伝えたとしても、これからの私たちの最終章が描けるものでもなく、いつかは人も死んでいくというそれだけが定めであることの再確認です。
 ギリシア神話の水辺に映った自分を見つめた青年のように、自分の姿を知っていくというのは人生の学びであるのでしょう。自尊心を大切にしながら、自己陶酔に陥らないようにたしなめる事の難しさ。自分で自然に習得できる者もいれば、諭しの中で理解が可能となる者、自己肯定ではなく、劣等感だけになっては虚しい姿をみるものもいるのです。
 八郷の硲さんから贈られてきた水仙だけでなく、元々あったものに、買い足した日本水仙、先日いただいた水仙、短歌の先生からのもあれば山野草の好きな斜め向かいのおじいちゃんからもらったティトティタ。いろいろな水仙が咲くようになりました。それぞれでいいのです。咲く時期もバラバラでいいのです。その都度にお供えします。