2018年4月8日日曜日

水仙

 4月7日の朝は、6時前から目が覚めて、その日の朝を思います。兄に手紙を書かなければ、母の亡くなった日の事を。そう思いながら遅れ遅れになる連絡事項を片付けていると、いつも兄妹という間柄をぬるま湯のように、甘えていて筆が執れません。
 誰にも、看取られることをせずに、その覚悟で逝ったはずの母を、兄に伝えたとしても、これからの私たちの最終章が描けるものでもなく、いつかは人も死んでいくというそれだけが定めであることの再確認です。
 ギリシア神話の水辺に映った自分を見つめた青年のように、自分の姿を知っていくというのは人生の学びであるのでしょう。自尊心を大切にしながら、自己陶酔に陥らないようにたしなめる事の難しさ。自分で自然に習得できる者もいれば、諭しの中で理解が可能となる者、自己肯定ではなく、劣等感だけになっては虚しい姿をみるものもいるのです。
 八郷の硲さんから贈られてきた水仙だけでなく、元々あったものに、買い足した日本水仙、先日いただいた水仙、短歌の先生からのもあれば山野草の好きな斜め向かいのおじいちゃんからもらったティトティタ。いろいろな水仙が咲くようになりました。それぞれでいいのです。咲く時期もバラバラでいいのです。その都度にお供えします。

 


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