2011年11月24日木曜日

人の愛

次世代に伝えたい


 いのちの一粒


滋養

滋養の詰まった黒豆。つややかに輝いた、

この一粒ずつを大切にします。

丹波地方に「春日の局お福」の里がありました。

誰を育てたことよりも、他の人の子にお乳を与え、

慈しみ養育するという事実を、記します。

次世代に伝えるということは、

親から子だけでなく、経験されたのです。

それは、人としての愛だったと考えます。

今年、身寄りを亡くされた多くの人々、今を生きる中に、

様々な思いの深さがあるのでしょう。

2011年の年末に「愛」と「協同」をあらためて掲げます。

人としての在り方を繋いできたことが、

いのちの一粒を輝かせているのです。


マハラバ文庫 増田レア


パルシステム連合 きなり2011年 12月2回 丹波黒豆

2011年11月14日月曜日

にわか雨でしたが


 今日は、朝市で束子を買ってもらった水天宮の遠忠商店さんに行ってきて来年の年明けの企画相談。ついでにお買いもの。

2011年11月10日木曜日

暮らしの元に

 例の山芋?。墨田区立花産の町芋?ですが、大きさはなかなかのもの、まだ食べています。アクのあるものとそうでもないものがあるので、あまり人様にも差し上げられず、嫌いだという義父抜きで、食べきるには、もう一攻略が必要です。
 炊いたご飯が、今朝は無かったので思いっ切って、すりおろした芋と小麦粉、キャベツ、カニカマ、葱、卵でお好み焼き風にしてみました。一人お雑煮を食べている義父も混ざった朝の食卓。この芋を掘り上げた、僅かな地面の話になります。ある程度掘れば硬いようです。埋め立てたガラの入ったところ。前はこの辺りも、地面があって、あの家のところなんか池のようなものだった。って、すぐそこです。いや水気の多い、そこにいっぱい土入れて、家を建てた。そこは鞄をつくっていた家だった。あっちは前は鉄を砂にいれてものをつくって・・。???。
 鋳物屋だったようです。メッキ屋もやめちゃって、金属加工もやめてもう、町工場も数えるだけになって、年金暮らしか勤め人の家ばかりの通り。連れ合いの育った頃は、周りは皆将来の社長候補が同級生だったわけです。
 そういえば、母の育った家は、万年筆屋。万年筆の商いだけで、祖父はたくさんの子供を育てたのです。その手伝いを長女であった母が帳面付けなどしていた話。それは太平洋戦争前。
 私たちの暮らしの中に技術があり、商いは子供でも理解できるものだった。
 祖父は神田から仕入れて自転車の行商で、北海道中を回っていたのです。私たちの暮らしの中にあったもの、主権は暮らしにあったはずなのです。いえ、もっと一人一人の自尊の中にあるはずなのです。
それを、失くしたら暮らしも失くしてしまいます。

2011年11月7日月曜日

週が変わって

 雨といっても、そんなにたいした降りにもならずに、日曜が過ぎ新しい一週間がはじまります。この太陽暦で日々を数えていくのも、自然の時の刻みと言いながら恣意的経済に合わせているのかなと思い、身体を労わらないといけないと考えます。朝昼晩、毎日の食事。排泄。入浴。睡眠。
 曜日に関係なくなって、今日はいったい何の日だったろうとなるのかもしれません。それでいいじゃないかと、自分の呼吸があって、生きていける。
 その人が生きていくと言う最低限の保障をするのに、今の仕組みの方が合っていない部分が幸福な老後を約束できないのです。天体は自然の運行なのに、それに付随して暦が決められ、曜日もできて、いつの間にか暮らしというものが、暮らしの範囲の他者への配慮と感謝の交わりから、もっと大きい力の動きに連ならないと、動けないように組み立てられていて、その競争をしつづけるのが人生になってしまっているのです。
 おかしいと感じていても、抜けだせないのを当然としてしまうから、何事についても自分がどう判断したのかはあとで考える、まずは大勢が決める事で世の中は動くのだからという思考形式が、正しき社会人だろうと考えるような教育だったのです。労働可能年齢、終身雇用制、年金支給年齢。それらも、意味があったのかどうか、誰のためのものだったのか、誰によって判断されるのかと考えると、生きている枠の中でもがいてしまいます。まだ、現状を変えていかないとならない事も多く見つけるのです。

 でも、一番大事なのは、自分で判断し、その事に責任を持っている生き方だろうと思うのです。もう、父が死んだ年齢の今年を迎え、父が亡くなった時からずっと、一つの節目として考えてきたものは終了して、残された時間になったのです。付録のごとき自分の仕上げの時間が与えられたなら、それは喜んでいただこうと考えています。変に加齢を嫌がりたくないのです。
 まだ若い、と若いものと競うのではなく、自分らしい歳のとり方、齢の重ね方をしたいものです。穏やかに日々を暮らしながら、芯をもっている。それを夢見ています。一週間のはじまりといつもは思うのにふと疑問を感じました。

2011年11月3日木曜日

喜び



 我が家の庭。すなわち義父の領分である階下の僅かな地面から、昨日連れ合いはなんと山芋を掘りだしました。東京スカイツリーの下とも言える墨田区なのですが、ムカゴの蔓の本には、やはりちゃんと芋があるのですね。お昼に二八そばでとろろ蕎麦にしたのですが、義父は、山芋は嫌いといい、丼から掬い出します。好き嫌いあるなら、作らなけりゃいいのにと義母と私が言い立てます。もごもご食べていました。
 お米、娘の友人が長野に嫁いで初めての今年。自分でつくって稲刈りしたものを届けてくれました。墨田から、信州の農家の嫁に、若い世代が選んだ道もまた喜びです。これからの希望です。
 そう、母と話ました。信頼と言う事を書いた、「何もないのに」の、話が違うと感じていたけれど、何もないけれど何とかなったと言う事ではなく、「御まかせした」と言う事が書かれていないという感じだと言う事です。生かされていると言う事は、信頼するとは、深い意味での御まかせしていくと言う事なのだと。
 その事は私にも分かるのですけれど、なんだか、貧乏を誇るような、良い子ぶりっ子の様な文章だったのです。未熟である事をあらためて考える日です。なんとか行き詰っている文章ができるでしょうか。秋の喜びの日。