2014年3月28日金曜日

不埒な生き方を

 朝起きて、窓を開けその日の作業を考えます。庭畑にはじゃが芋と豆が伸びるでしょう。蕗の董、野萱草、植えて三年経つ果樹も少しは実が付くでしょうか。そう、里山畑も起こしていこうと余力と相談しながら考えましょう。そういう穏やかな日常。・・・それを普通の暮らしと言うのであれば

 私には、生まれた時から兄が居て、生まれたところは山寺で、父母の教えは常識には捉われないもので、周りの人々は愛と正義を否定して。。
 ああ、だからと言って、矛盾はなかったのに、なぜ同じことの解釈に違いが出てくるのだろうと、解決していくものではない状況を思います。断ち切ることが簡単であれば良いのに、自分の身の内の事。まさに身内であることなのです。外道というのも埒外というのも、それは一つの枠をあらかじめ決めてしまうから。それをこそ徹底して疑わなければならないのだと。それなのに身内からの矛盾でもろく崩れていくとして、覚悟もない文庫番には、袴田事件のお姉さんがまぶしく見えるのです。
まもなく桜も満開になるのでしょう。先日の雪で山の桜も折れたと言っていました。それなりに寂しい。もう一度、許すということを厳しい許しであったことを教えてもらいたい。
 この世の中でたった一人の母を否定する自己弁護をして、身を守ろうとすることが少しずつ他の人とずれていき、話が通じなく粗暴に表れる。それを逆手にとってしまう。生き辛い下降のスパイラル。
確かに引きずられてはダメだから、より強く踏ん張れる力を持っていないと、ただの、くらしの力。
 

2014年3月11日火曜日

手放していくということ


 まるで、両手をあげてバンザイをしているように見える野萱草の芽が出ています。母が神立に移してあった閑居山の萱草。
 母の庭から山梨の庭に持ってきて、雪が融けたら小さな芽が出ていました。わすれ草です。
忘れるために、この草を見る。それほど人の執着。こだわりというのは、強い情念なのかと万葉人の思いを探ったのでした。こだわりを捨てる。執着を手放すということが、気持ちを軽くするということを見かけるのですが。。
 手放していかなければならないのでしょう。兄には、その身の立つ在り方もできないし、一山を維持し他のものに渡らないという事もできない。それは、極幼いころから薄々は解っていて、どこかでは覚悟していたかもしれないのですけれど、それだけに切ないものです。母の思いも通じないまま、そして、自分のやりたい事を通したいのだから、こちらはこれ以上は関係はないのだよという連れ合いの考え方。あの昼餐は、永訣の宴になるのでしょうか。
もうあの山に、私が呱々の声をあげたあの山の中に、行く事はないのでしょうか。
 この三年間、どれほど別れを重ねてきたのかと思います。拠り所であったものは、残らない。こだわり、執着というものが、人を果てさせるので依り代を万葉人は考え出したのかしら。
 食べて忘れるというのが、一番文庫番には似つかわしい。酢味噌か天ぷらなども。ああ、そういえば、文庫番を続ける意味すらこだわりなのだから、思い直したらどうなのかと。存在事由が見えなくなりそうで、ぐらぐらとします。
 そう、戻れなくなる故郷を思い、別れてしまった肉親に涙し、自分の存在が揺らついて。全国で幾多の人々が、その悲しみをまた確認した日であったのです。それなのに、一日、故郷のメロディーが聞こえると、こぼれる涙に、さらにやりきれなくなって。
 ちっぽけな私の感傷などを重ねてはならない。3月11日。昨日のこれ以上のことはできないという投函は届いたのでしょうか。

2014年3月10日月曜日


 風が強くなってきました。冷たい風なので毛糸が縮むかと思い洗えません。義母の編んだセーターです。今日は、風の強い3月10日。昨日はこの地域の粗大ゴミ収集の日だったので、衣類の大半は処分しました。これらの晩年の手作りのものは手放せないものです。お彼岸にあたった49日までには洗って、来た人たちにも見てもらいます。
 機械編みのものは、お店に頼まれた手内職のもので残っていません。そうそう、うちの子どもに編んでもらったものも仕舞ってあったのを並べてみましょう。引っ越しの時に、もっと手の込んだ編み物を捨てたのも思い出します。
 戦後、つましい家計でも、楽しみながら日々を送って、連れ合いたちを育てた義母。あまり多くは語ることはなかったけれど、東京下町大空襲の惨禍は実体験として伝えられました。それを今年から学べないのです。でも、語ってくれた人が居た事は残るのです。そして、69年前の大空襲に墓も名前もなくなっていった人についても語ってもらいました。
 ぐーたら嫁の文庫番。仕事らしい形になっていないけれど、家計からは別にやっているつもりでも、技はない。これから、さまざまな縁も薄れていってしまうのです。できることはやらないと。

2014年3月8日土曜日

春遠き山の中

脚立に登って、もいでくれた夏みかん。今年のは苦いが皮を風呂に入れると良い。と渡されました。連れ合いが電話を受けて、話を聞きにまた茨城の山に丸一日の往復でした。
 こちらは、お昼にかけて麓の部落にある新しい蕎麦屋で話をしようかと思って山に上がったのですが、飯が炊きあがっている食べていけ。という事でした。
 町の中では薪で炊いた米の飯など食べられないだろう。と納豆と天日で干して自然塩だけで漬けた梅干し、七輪で炙った海苔。残念だが、味噌汁はインスタントだ。と。
 庭だったところに、茣蓙を敷き、ブロックで囲われて見えなくなって、ブルーシートが垂れさがっている昔の流しあたりから、古びた茶わんを汲み水で洗って、用意された長膳でした。
 三人で陽だまりでの昼食。すぐ陰ってしまう山の中。
 確かに、この欧米中心、ある意味キリスト教的な考え方で今の生活の基になる法律ができている中で仏法が伝えにくいというのは理に適っているでしょう。それを説くには場と相手が必要であり、親のやっていたことはその時代では通用したかもしれないが、自分が同じにしても同じではないというようなことも、その通りです。多分、気がする、・・のような。断定はしません。相手に促すことば。民主主義というもの自体が、本来の日本の考え方と違うというのも、かなり解るし、この兄は、私の鏡。鏡合わせで、前後ろを見ているような自分とどう違うのか。また、思います。自他との間。生まれた時から、背負っている命題。
 つまるところ、禁じ手である駅頭での托鉢をしたい。と言うのですが、托鉢はやったらいいじゃないですか。何も駅ではなくて、辻説法でも。と連れ合いは言います。
 親を大切にするという在り方、物を大切にするという姿をこの山の中で、来る人に見せればいいと文庫番は言います。
 今、多くの人が制度の行き詰まりの中で、「あいだ」が拡がっている事を感じているのです。高邁な物言いで、説くことでは、身勝手なだけになることは、背負わなければなりません。自尊は劣等感の裏返し。世の中が間違っている、だとしても自己解体をした上で、同意を求めなければ伝わらないでしょう。ここで、自分というものを見えなくしてしまうのはダメなのです。
 
 

2014年3月5日水曜日

雨、あめふれふれ


 こんなに雪が降るようになって、温暖化の所為ですね。これからはこういう気候になっていくんですよ。そんな電気屋との会話が午前はありました。今年になっで何回目の積雪でしょう。
 お昼頃からは冷たい雨に、氷雨。みぞれ。水分の多い地面の上はもう融けて氷面になりそうです。明日朝には、凍結の注意報。
 この地面にたくさんの砂利を運んだのになんの甲斐もない。またぬかるみに沈んでいくのです。
 雨水探検隊の事を思い出していました。誰が上も下もなく、意見を言い合って、阿吽の呼吸のようでもあったのに、定例の事が進んで行って、それなのに毎年冒険が増えていく。ちょっと先輩方のやりとりを見て言わず語らずに、なだめるところも笑い合って、隊長は世話人代表に従うばかり。
私たちスタッフは仕方ないなぁ。と助力を惜しむこともなくやってきていたのかもしれない。いろいろ状況に応じての変化はあっても良く長く続いたものでした。有為転変は水の諸相も同じでしょう。
 本来は雨の時期、冬じゃなくて春なのに。
水をテーマとしてきて学ぶことが多くありました。昨夕はこの庭も雪がやっと無くなって、自転車をまた出して里山の畑の様子を見に行ったのでした。
 お正月に、西も東も解らなかった自分の生きている場所。わからないという事が解って、わかるようになったという事です。やっと見渡す周囲の方角が理解できました。
 何か、自分の周りに急旋回しているものがあるような感覚がしています。巡りめぐって、、、すべてはお釈迦様の掌に帰結していくのでしょうか。
 そしてまた、まるっきり文庫番は解っていなかったことだらけになって、人生の巡りくるのを面白いと思うのです。そんなのんびりした事じゃなくって急旋回しているのは、あちこちの国際情勢でしょうか、それとも気候変動でしょうか。いろいろあるけれど、お釈迦様の掌、仏様の目からみたら、人の思いなどはほんの微塵のことです。諦念しましょう。