2019年12月23日月曜日

2019年冬至




 畑の周囲に雑草除けに植えてみたワイルドストロベリーの葉が草紅葉で畑の縁取りになっていました。畑の抜き草や、庭の剪定枝を燃やして浄めていきます。
冬至、一年が経めぐって一陽来復。
 必ず時は巡ってくると宇宙の運行は告げているのかと思いたいけれども、それはまだ未解明なのだとも考え、人は人の世を生きているのです。
その一方で刹那という瞬間だけを表すことばも説いてあり、その時々に在ることのみとも、考えていたのだと、少しばかり宇宙と教えの概念を合わせて思うのです。
 そういう、不思議な巡りの中で己であるという事。思うにならない、こころを持ち、身体を持ち、生老病死 四苦八苦を具えながら今の時がある。
 自分だけが苦しくて、他のものの苦しみ痛みはなかなか思いやれない日々ばかり。
 やっと、センゴク大豆の選り分けが終わって、食用にならない大豆も4割がたあって、それを庭に撒いて、鳥の冬の間の養いにするのか、それともまだ見ぬ鶏の餌用に取っておくか、これでともかく、年越しの用意に気持ちが向いていくのです。

2019年12月18日水曜日

只管



 私たちの味噌造りは、もう9年目に入るのだと驚きです。ただひたすらに大豆を選り分けてこの数日を過ごしています。少量です。少量だから手作業でするのに大変だけれども、機械力を使う量はないから、もう一月あまり。
 雨の多い11月、カラッと晴れる日を選んでは干したけれど、夏もまた雨が多く、うまく育っているとはいえません。
 このセンゴク大豆と、もう少しアケボノ大豆を足しても、階段下に置いた味噌桶には僅かな分量になるのは分かり切っています。そうすると上手くは熟成できないし、いろいろと面倒な事は脳裏に浮かびますが、縁の繋がってきたことはこの地域でもしっかりと繋がないと。
 単純に、選り分けて分別するだけの時間があるというのは首も腰も痛くなるまで曲がってしまいますが、自分の都合だけでできる作業。誰からも支払われることの無い、自分だけの対価。だから、ひたすら、これだけを。

2019年12月8日日曜日

玄関に


 伸びきっていた櫟の枝と、南天の実を活けこんでみました。南三陸の〝しおだまり”で買った匂い袋といわきのオーガニックコットンの綿。もう匂いも薄くなっていますが、なんとなく玄関に香りのものを置きたくて長くありました。綿はもう畑の実は開かないのでしょうか。師走になって花殻のあとは固いままなのです。もう霜も降りているからこの量が今年の茶綿の全部でしょうか。雪に見立てるには茶色いのでもうそろそろ片付けてオーナメントなど懐かしみながら出そうかと思います。
 9月以降の、台風や大雨の所為だけでなく、この4年間は10月、11月は気持ちがぐらつきながら、つい4年前を振り返る期間になっているのでしたが、12月はそれでも新しい年迎えに用意をしていきます。そして1月は晴れやかであってほしいのです。
 昨夜は、アフガンで銃撃された中村哲さんの追悼番組を観て、12月8日に日が変わりました。今のこの地上で、平和とは何をさすのでしょう。私にとって平和を願うのは、どういう事になるのか、己亥の師走。あと僅かになります。