2012年1月29日日曜日

夕陽


 空港で、娘の友人夫妻を見送りました。三泊四日、この数日異世代の他国の者の目と考えに自分が染まっていた事がわかります。日常とは違う目線を持ち、思考を部分的に体験するというのが、来客の時間の意味なのだと、あわただしかった数日を想います。きっと同じ国内で同世代の人が来たのであれば、来客による非日常の客体化は無かったと思います。
 定例の会議は無かったのですが、打ち合わせや、多少用事があったり、まずそれ以前に義父母の生活を普段通りにして、そこに来てもらうという状況で、はたしてやりきれるのかと思っていましたが、私以外の歳経た人も、若い世代も柔軟に生きているのだということが解りました。
 それこそ、ちゃんぽんな米語と日本語とタイワニーズが行き交いながら、物事が進んでいきます。
ITは共通です。そして食べるという事、楽しむ事、眠るという事。皆共通なのだから、なんとかなるものです。こういう中で絶対に自分の在り方を変えない義父は「オ、ジイチャアーン」なんだか海軍時代の同輩に居た高雄の人の話になりそうでしたが、たまたま長岡の叔母さんからの電話があって話がそれたのに、母娘でほっとしたのが可笑しい。さて見送られてダラスへと帰る彼ら、また行く日も来るかと、この娘たちの時代にも、アジアの姿はどのような連帯ができるのか。そういえば、昨日今日は、別な旅の計画があったけれど中止だったのかと見送ってやっと思いました。

2012年1月20日金曜日

寓居


 金柑の甘煮。安穏朝市で綾部の自然なものよと、中川誼美さんから、生の金柑を買ったのですが、以前知り合いから聞いていた四回煮含めてという甘い作り方。秘儀伝授していただき、我ながら初めてにしては満足のいく出来でしたが、煮あがった夕方。佐須の菅野栄子さんの仮設住宅への訪問が、次の日となりました。お土産に得意気に持っていく事にしました。 仮設住宅の事、今の東京電力への事、国に対する事。またあとで、文庫番的に書こうと思っています。
 母が、山を降りた時、仮住まいに大佛寓と、表札代わりの竹札を持ってきてくれた人がいました。所詮この世は仮住まい。そう言っちゃあ、お終いよ。
 昨日、あの震災以後初めての仮設住宅訪問。この悲しさ、怒りをどうしたらいいのか。仮設住宅のおこたでも笑いながらも、許してはならない事と、理不尽さを受け止めるのです。その一方、自分たちも享受してきた便利な生活を皆も解っています。
 味方でないものは敵だとしていいのかという問いが、SNSでありました。これは大変深い在り方に対しての問いなのです。単純に、切った張ったで、敵味方を言うのではない。敵は殺せと最後になる事を、回避していく智恵を持たなければならない、今世紀的問いかけです。
 「まず悪より遠ざかれ」これが「善は急げ」の対句なのですが、善は急げは人口に膾炙していますが、悪より遠ざかれというのを、言い淀むのは、善は、判りやすいのに、悪というものが、判然としない事だからなのかもしれません。多くの人が自分の中に抱えている不条理。そこから解き放たれたいと、数世紀。食べるということを弱肉強食でもなく、単純な採集物の分配でもない、経済行為で道筋をつけようとしてきた、人間社会。我が国。そこで、マネーゲームの中をもっと知るべきと、ムネオさんにも言われるけれど。その上で、私たちが撰ぶべき道筋。やはり道は拓いて行かなければ歩けないのでしょう。誰しもが、利他を願いながら、苦しんで。人がこの世で生きていくのは仮の姿。いつかはきっとより良い社会になっていく。
 まだ、数世代かかっても、新しい融和の在り方を探っていきたい。味噌の里親は儲からない。けれども互いに無理をしない。そこにも答えがあるはずです。丁寧に食べるという事。

2012年1月15日日曜日

事の真偽

水曜日は、口座開設やら、その往復やらで結局丸まる家を開けていた訳です。そのまま夕食になると、母のところには連絡をしないで過ごしました。水曜と日曜はヘルパーさんが来てくれる日としてあるので、電話しない時が多いのですが、木曜の朝仕事の途中で気になって、電話をすると、珍しく留守電になっていました。配食サービスの日の午前中は、あまり外出しないのにと思いながら、お昼を用意していると地震。それも、幾カ月被りの緊急警報を携帯電話が鳴り響かせ、義父母の観ているテレビのニュースでも茨城と言っているのです。こういう時も繋がらないだろうと、電話して、やはり留守電になっています。??。
 正月、初稽古には行かなければと思いながら、稽古袋に携帯電話も入れて。夕方、帰り道を歩きながらもう一度母のところに電話しても出ません。毎日母のところに行っている知人に連絡してみると、「今、病院だから、帰ってからまた連絡するから」と!!!。
 ?!。あの大動脈乖離の時がよぎります。再発は助からないかもしれない!!。

 火曜日、二回電話で話をしているのです。その前日辺りに、「お正月疲れらしくてくたびれている、」と言っていましたが、火曜日の午前中には、お正月に連れ合いが、私の母にも、「そのうちに一緒に山梨の家に行きましょう。」と言ってくれた事について、話していたのです。
 母は、「勤め人がやっと一軒の家を持つ事ができたのだから、とても良かったと思っているのよ、今までずっと自分の父親の家で辛かっただろうと思っていたし、これから家に居るようになったら、普通、男二人が同じ家で居るというのは耐え難いもの」「墨田の家はおじいちゃんの代の家で、やっとあなた達二人の代の家が持てたのだから、それで良い」「私はまだ当分は行こうとは考えていないのよ、そのうちにどうなるかは考えていないけど」やけに、筋道通って、きっぱりとしていました。
 午後、母に再度電話をして、「今まで、こんなに話をしていて嘘の無い、真実の話と感じられる事はお母さんに限らず、さまざまな人の言葉の中にも無かった」と感じたままを何故か伝えたくなったのでした。「どうしてお母さんはいつも、本当の事を話せるの?」
 さあ、どうしてなのかしら。自分でも損をしてきた事も多かったとも思うけど、だいたいは本当の事しか話せないわ。「・・嘘をついていると本人は思わなくても、真実って、とる人によって違って、真実にもいろいろな面がその人によってあるでしょう。それでも、さっき話してくれた事が、相手も思って自分にとっても本心を語っているということが解ったの。」 世間虚仮 唯仏是真。
 世間虚仮 唯仏是真、それが私には、いつも呼吸するようにあるのに、母の気持ちがありがたかったからか、もしかしたら、これが一生涯でも、連れ合いにも伝えなければならない事だと、帰宅した連れ合いに座を正して伝えたばかり。
 母に万が一があってもと、木曜夕方に向けて、いくつかの会はキャンセルしました。金曜日にしばらくぶりで出ようと予定した新年会も、連絡機関には、お断りとさせてもらったのです。
 娘二人と、余計な事は考えない、気を回さないといいながら、不安であったところに来た、先ほどの知人からの電話!「何だか、掃除のせいで・・、お母さんは元気だから。」??代わってもらうと「ヘルパーさんが留守番電話のところを押してあったらしい。」と・・・どうやら、病院には知人本人の事情で行っていた様でした。顛末が解ると、緊張したこの間のこころがへなへなと崩れるような声です。
 事の真偽は解りませんが、一旦キャンセルしたのを、また復活なんて面倒で金曜はいろいろな整理事に集中しました。それで、良かったと思っています。私にも、真実を語るこころが欲しいものです。

2012年1月12日木曜日

無心帰大道

今日は、新年の初稽古。床に掛っていた軸のことばです。
先生含めて、四人の曜日。そんなに気張ったものではないのですが、新年のめでたさを表す金銀のお茶碗での濃茶。薄茶は鶴亀の模様。真台子。また席入りのところから教えてもらうはじめの一歩なのに、すっかり昨年教えてもらった事を忘れ、新しく教えてもらっている気持ちです。
 無心で続けていけば、いつかは、しっかりできるように何事もなるのでしょうか。

2012年1月9日月曜日

講というもの




 年末年始は、文庫番には怒涛の様に過ぎて行きました。半月の間に茨城に二回、山梨に三回日帰りで行きながら、墨田での正月用意をする台所番。初詣は、住んでいるところの白髭神社へ。まず次女と私ですませ、年番を引き受けることになった連れ合いと、長女夫婦と。そして、三が日のうちに、義母の育った佃の住吉神社へ車いすでの参拝でした。
 何も追いつかないと、2012年ははじまり、まだ、昨年の遣り残しも背負いながら、松を外すのです。
 昨日は、山梨の中央市の庭の掃除。行きの首都高速道路からは、富士山も雪を被ったまさに秀峰の姿を、普段と違った趣で見せていました。山塊によって気流が変わってと話しながら、人間の生活圏のものは山で遮られるからこそ、山の意味があるのだと、知っていながら視覚として解るのです。
 山を、尊ぶ由縁。人の力の及ばないものが、地形としてもあるのだと、この世紀であるからこそ考えなければならないのです。兄は、またあの山中に戻ったのかと、茨城では母と話しています。何もないのではなく、そこにすべてがあると。
 人間界のものは人間の中に戻る。これからの地域での暮らしを想うと、できる限り地域の中での経済循環を取り戻したいものです。山梨の方では町内は「組」に入るのです。こちらへ、現在の住まいの方で引き受けた役割から徐々に、基盤を整えながら、委譲し移行していく事になるのでしょう。
 小さいコミュニティでの講。12月に二か所であった講演の際に考えていた、経済の循環と世直しは、諸説ある幕末のええじゃないかとお伊勢講を考え、やはり手元に自治としての金銭を持つ活力を取り戻していく事なのだろうと、考えるのです。それは、信仰という生きるすべのもう一つの表現でしょう。海の講、山の講。

2012年1月1日日曜日

新しい幕開けに




 生息域を広げていくということは、地域と関わらなくなる、途絶する事ではなく、より深い意味での地域との付き合い方を学び実行していく事となりました。めざせ自給的消費者。
 そして、家の機能もまた、地域にあるだけでなく、個の生息だけのものではなく、共有できる幅も広げていかなければならないのでしょう。生きていくという事。ただそこに在るという事。