2017年10月26日木曜日

亡国



 亡国に至るを知らざればこれ即ち亡国
祖父は田中正造の演説を聴いたことがあると、母に聞いたことがあって、晃雄(こうゆう)さんもいろいろな事をしていたというから、そういうこともあったと考えています。でも、それはきっと、今回の衆議院選挙で大勢の群衆が立ち会った演説の群衆の一人と同じような群衆の一人だと思っています。何かで確証があることではないのです。
 ですから、今また、それらの時代について書かれたものを勉強中。
最後には、菅笠と頭陀袋だけを枕辺になくなったという田中正造。およそ江戸末期の天保十二年に下野の国で生まれたものが見てきた開国、維新、そして・・・文明開化と言われた明治の、その底辺の暮らしをいかにできるかと、常に民衆とともに居たという。
この逞しい精神を祖父は肌で知ることができた世代だったのだけれど、今私はどうだろう。そのことを断片でも確かめていくことくらいで、得意げにしてはいないだろうか。そしてその息子であった父が生きていた時代も、すでに遠くなったことに、今、いまをどう生きるのか。
 今回の選挙は結果もどうしようもないけれど、それ以前に立候補するものの志が育っていない社会であって、少しずつ良くなっていると百五十年前の人たちに胸をはって述べられるでしょうか。
 それでも、抗うとはリベラルであるとは、勝ち負けではないと、だから残されている志を確かめていかないと。
・・・・・蜘蛛の巣を透かし見るバス停と、空き家の庭

2017年10月19日木曜日

貴重な夜明け



 昨日は、何ともすっきりとした爽やかな夜明けでした。新月前の細い月と明けの明星を見て起きて、デジカメ写真を撮っておいたのです。このところ雨降りばかりでしたから、布団を干したり、夏のタオルケットを洗ったり白胡麻のあとの黒胡麻干したり、晴れ間の畑にも行ってみて、防虫ネットを剥がしてみたり、何故かネットの中で虫食いの白菜やキャベツに嘆いたり。
 そんなばたばたしたところに、宅配で高山久子さんの著作。午後からは短歌のお茶のみがあるのでひとまずおいて、出ましたが、戻ってこの「青い芝の会」・生みの親からの伝言を読みながら、今求めていた多くの事が符号して、夜明けから、就寝までが、思い悩む日々を取り払った風が抜けて行ったような良い日でした。ご報告。

2017年10月13日金曜日

千代田PA



 先日、いわきを中心とした福島被災地ツアーの帰りは、車中の寛ぎ時間を経て休憩が夕方の千代田パーキングエリアでした。高速降りたところは、歩いて閑居山にまで帰れるところ。カメラの電源無いから写真は撮れないし、。。恒岳先生の絵葉書の秋があったかな。
このところ、神奈川で開催される、父とマハラバ村の写真展の説明文作成中の福島行だったので、なおさら高速を降りていきたい、様々に昔を確かめたい人たちが居る。と、そんな事を思いながらでしたが、山梨の文庫に戻ったところ、恒岳さんの恋瀬山荘から、硲杏子さんから昨年のお約束ということで、母に由来する、閑居山からの水仙の球根が箱にぎっしりと贈られてきました。なんという嬉しいことでしょう。上手く山梨にも根付いて欲しいです。もう元の地には生えていないかもしれないものです。
硲さんは、園芸上手。昨年山荘を見せていただいた時も素晴らしかった。あの時は、恒岳先生もご健在で一緒にワインを楽しんだのに。小幡の秋の絵をアップさせてもらいます。今年の秋は、そして来春は、季節を彩るのは何でしょう。

 そして、一緒に語った画廊「橋」の事。住井すゑさんの息子さんと、父と恒岳さんは同じ学窓で、そんなご縁もあった茨城の風景。母の持っていた「水平社宣言を読む」をあらためて読んでみるのです。一世代、二世代前の人たちに、顔向けできるような腹構えが私にあるのだろうか。。ただ故郷恋し、母恋しと言っているのでは、意味もない。