2015年7月25日土曜日

造花に思う


 東京に出る用事が続き、都内で夜遊び。六本木・麻布・目黒、深夜でも早朝でもお食事できるお店があるんだよ。と連れて行ってもらうと、その道筋に見かける女の子?たちは娘よりも若い世代。
 長く垂らした髪は色を染めて、細い身体を締め付けるような僅かな衣服に包み、薄物をひらひらさせています。ああいう子はお店に行っても自分ではお金を払わないのよ。と教えられます。
そして路傍に、そういう子たちに、光る視線を向けているのは、筋肉を誇るような褐色の肌の異国の顔立ちの男たち。
 その間を抜けて、入ったお店の壁には桜が飾られていました。さくらの国の文化なんて、いつも異国とのやりとりを続けながら、造られてきているのでしょう。吉原には、桜の樹を伐って活けた一夜の仇花だったと読んだことがありました。
 同じ夜に、官邸前に行く事もできたかもしれない時間。造花の桜を見ながら、歴史を遡りふけります。この道筋の若い男女は、国籍も定かではありません。お金は、どこに生まれだすのか、この華やいだ不夜城のヒルズの下で、一人ひとりの事情を抱えているのでしょう。集団的・・も安全の保障も関係ないその夜のひさぎ。
 それが、人類史の一角に在るのが現実。そうやって続いているのでしょうか。確かに「和食」を食べながら、パルっ子は、化学調味料の味を残念がります。都会でなければ生きていけないと、自分の故郷を探しているのです。
 実家の親は田舎暮らしを楽しむとして、どこに行きつけばいいのか、未来は。
 

2015年7月20日月曜日

梅雨が明け



 とても暑い都内を歩き回って、シノブの吊下がった庭に戻りました。昨年、道の斜向かいのお爺ちゃんにもらったものです。今年はあと三個の材料を貰ってまん丸いものを吊り下げてありますが、このように多くの葉は出ていません。
 梅雨明けしたので、またせっせと水をやらなければなりません。
 梅雨のお便りで出した文庫番のお願いに、懐かしい方々が、お返事を下さっています。毎日、有難さに泣きます。
 そのお便りにまだまだ自分の知らなかった事をみつけては、また胸が詰まります。
もう一頑張りしなければならないです。
 自社出版と言ったって、小数点以下の零細会社。それも、自分のしたいことだけを事業とするという我儘さなのに。今の若い世代にも伝えたいから。なんにも無いところでも、始められると言う事。人が人を信じ、そして裏切りがあって、そして、それも含めて、伝えられる事。
 混沌の中から形ができてくる。その通りだった。あり得ないことじゃない。誰かがしなければならないことだったら、自らがするというしかない。
 そういう姿を目の当たりに見てきた人たちの、今更ながらの励ましが、響きます。
自分にはできないと思わない、どうやったらできるのかを考え、考え抜いて、やっていく事。
都市を見ていた、町を見ていた事を、村から見られるようになって、意味が分かったこともあります。くらしという深さ。この吊りシノブが、青々と夏を越して欲しい。
 

2015年7月16日木曜日

虹の立つところ


 
 この道の向こうには、虹の立つところがあるように見えます。雨樋の職人さんが早く上がったので、夕方の畑に行こうとしたら、空の低いところに虹があったのです。
 いつまでも追いかけていく夢だから、旗印にできる。
 この虹の沸き立つところに、母が居る。そして父も居るはずです。
 畑から見える山の方に向かって、この国のゆくえが平和であることを、世界が平和であることを願います。文庫番は、ことばを綴ってきました。そしてお便りをして、どれほど励まされた事でしょう。
 一通ずつ、その人を思い浮かべながら、短い文章を書き足しました。
 あの頃を、今の時代に問うしかないのです。社会の中にモデルがあったわけではない。誰が一番になる訳でもない。もちろんお金で動く運動ではない。身を寄せながら、語り合いながら、その先が見えていたのです。



 2015年7月6日
                           株式会社 マハラバ文庫
                           代表取締役 増田レア

各位

                            
 仮題「大仏照子(あきこ)=無縁の地平に出版販売基金のお願いについて

 気象の不安定な梅雨が、近年は当たり前になってきました。皆さまにおかれましてはご健勝のことと拝察しお慶び申し上げます。
この度、2012年4月7日に没した、故大仏照子(あきこ)の生涯を俯瞰して、その行動と思いの真髄を一冊の本とします。
 関係される皆さまのお手元にお渡しができ、また、より多くの方に知っていただくために出版・販売に関してのご協力をいただきたく基金を立ち上げることとしました。
 北海道での生い立ちから、富良野での洗礼、電気も水道もない茨城の山寺へ嫁いでからの障害をもつ仲間との共同生活、山寺を離れてのちの平和と人権を守るための活動を続けた一生を、現時点で確認できた資料と故人からの聞き書きをもとにあらわしました。
 文章としては身内の綴った拙いものです。しかし、これまで語られてこなかった面を多く出せたのではと考えています。
今回の、出版・販売についての充分な資金がありませんが、この本を出していく事は、多くの方の縁で結ばれていた大仏照子の生き方を、また皆さまに理解していただき、後世に伝える一助とする機会と考えています。

2015年秋の出版を予定しています。
装丁本  230頁 2,000円前後 を現在考えています。
ご協力いただいた方にはお送りいたします。

 基金につきましては一口2,500円をお願いしたく思います。
   個人二口から
   団体五口から

お問い合わせ先
  • マハラバ文庫
  • 2015年7月13日月曜日

    身の程を知る



     取手の家に、一番上の子が生まれた時に三人で持って来てくれた体重計。あの時の二人はもういない、ぼくちゃんとやすぼん。
     あれから、何年も我が家のいろいろな重みを測ってくれている、いまだに現役。きちんと0を示していてくれます。
    それなのに、その年数を活かすことが出来ていない文庫番。
     まだまだ、こなしきれない言葉の世界に居るようです。ぼくちゃんのことも、やすぼんのことも、典ちゃんは?あの時代をどう書けばいいのか。そうは言いながら一段落としたいところなのです。もろもろの作業。梅雨の湿気のせいかと思ったプリンターの不調もあるけれど、それよりも踏み切れないお願いごとの数々を投函する重さ。それも、だいたい終って、始めれば終わりに近づくという事。この二ヶ月は、自分の寄って立つところの不確かさを乗り越えてきたのかもしれないです。
     幸せを感じると、言われることが、自分の幸せだったんだと、やっとわかって。
     自分に可能な事なんか何もなくて、他の人に手助けしてもらわなければできない事。情けないくらい恥ずかしい。誇らしくもない事情。それらも、曝け出して、0だから、測る事ができるのだから。
     

    2015年7月6日月曜日

    念仏

     念仏には無義をもて義とす―歎異抄の十―

    人間を救うもの それは理性ではない ただひたすらに行動すること。おのれの理性(はからい)で行動するのではない 理性では解決しない呪いが、憎悪が行動させる
    それだけが自己を裏切らない 唯一の道だ

      それをこそ、真の念仏と云うのだ


    本日は、父大仏尊教の命日 
    私は、逡巡のままに一日を過ごしていたように思います。すでに地平に立っているのに。
     親を切り売りして生きていくしかない。そう思うのに。