2016年7月30日土曜日

抜いた後に



 うずら豆が大風で倒れてその後の雨続きに莢も泥まみれになって、心配していたけれど梅雨明けした日の午後に、豆を採りました。この中から良いものを選り分けて、冬のストーブの上で煮るのを楽しみにします。山梨に来て大雪の後、最初に行った西山温泉への途中で売っていたうずら豆の数粒を取り除けて、煮豆一回くらいの収穫でしたけれど、今年の一畝からは笊一杯。
 選り分けると言えば、今年は全然トマトが上手くいってなかったのです。買った苗はどうも調子よくないと抜いたはずなのに、その草だらけになった後に、脇芽なのでしょうか残った根のヒコバエなのか、また一本生えていました。それだけで、数日嫌な知らせに気持ちが塞いでいたのが、まだまだ頑張れると、思えたのです。庭には、昨年のこぼれ種からなのか、ミニトマトらしい苗も三本も生えています。思いがけないものは買った苗より丈夫そうなのです。
 小さな喜び、それだけでうれしいものです。


2016年7月26日火曜日

叫ぶしか


 
 この50年、どう変わってきたのか。今マハラバの声は届くのか。
今日の殺伐としたニュースに、きっとさまざまな論評が出回るのでしょう。
 まずは、障害者自身が、自らが殺される、否定されるいのちである事を告発していかないとならないのです。
生存とは、自らの叫びなのだと。再度。いつまでも斗っていかなければ。
 収容施設型福祉、施設介護を福祉政策としてこなかったか。安住していなかったのか。施設に入って安心。それは大きな間違い。優しい家族が居るから。それも言い切れない。社会をありがたいものだと、楽観して来なかったのか。
 障害者の事だけを言っているのではないです。健全者と言われる側も同様じゃないですか。
 自分たちの生きる権利とは、自らを晒し、その姿をどうしようもない在り方を観えるようにして、自覚したところから掴み取っていくしかない。
 

2016年7月13日水曜日

クレマチス



 クレマチスと百合を飾ってと、あったので植えてみた苗が、今やっと咲いています。白花のは少し種類が違って4月頃にはたくさん咲いたのに、それ以上のびなくて、このマッチ棒の軸みたいだったものは、気を持たせていながら、遅くなって伸びて、思ったよりもたくさんの花が咲きました。
 東京に居れば新暦のお盆なのですが、今は旧暦で、地域の組のやり方を外さない様にしながら、季節行事が回って行きます。
 茨城の山に咲いていた山百合や、檜扇。今年も無住の庭に咲いているのでしょうか。
 

2016年7月6日水曜日

7月6日になって


 先ほど茨城森林管理署からの電話があり、まさに今日なんだと偶然ではあったけれど感慨深く思ったのです。また、閑居山の一隅を借りることになっています。
 この先がどうなるかも解らないあの山を借り続け、生き死にも解らなくなった兄からの連絡を待ち続ける意味などないかもしれない。何の供養なのだろうかと。
 生きてきた証。(写真は次女の修学旅行のしおり)そんなものに執着してはならないと、父が考えていたとして、全然父の持っていた知識にも、思想の地点にも到達できない不肖の文庫番は、ただただその書いたものを、世に問うだけです。
 母の生涯について、足りないなりに俯瞰する本として、出しながら、それは父の資料を纏める里程だとしたのに、遥かに父の思想は高みにあったようで、数人から、和尚の本は大変だと言われています。沖縄にも父は行った事があると、それも西表に行ったのだと母が教えてくれたことがあったけれど、それを辿るにはどうするか。それは何を目的としていたのか。歳月は過ぎていきます。