2016年7月26日火曜日

叫ぶしか


 
 この50年、どう変わってきたのか。今マハラバの声は届くのか。
今日の殺伐としたニュースに、きっとさまざまな論評が出回るのでしょう。
 まずは、障害者自身が、自らが殺される、否定されるいのちである事を告発していかないとならないのです。
生存とは、自らの叫びなのだと。再度。いつまでも斗っていかなければ。
 収容施設型福祉、施設介護を福祉政策としてこなかったか。安住していなかったのか。施設に入って安心。それは大きな間違い。優しい家族が居るから。それも言い切れない。社会をありがたいものだと、楽観して来なかったのか。
 障害者の事だけを言っているのではないです。健全者と言われる側も同様じゃないですか。
 自分たちの生きる権利とは、自らを晒し、その姿をどうしようもない在り方を観えるようにして、自覚したところから掴み取っていくしかない。
 

2 件のコメント:

おさむ さんのコメント...

共感します。そもそも「障害」は、人にあるのではなく、「社会」にあると、私は思っています。
その社会を構成している、人の意識が変わらなければならない。そう思っています。

増田・大仏・レア さんのコメント...

おさむさん
 ありがとうございます。