2016年7月6日水曜日

7月6日になって


 先ほど茨城森林管理署からの電話があり、まさに今日なんだと偶然ではあったけれど感慨深く思ったのです。また、閑居山の一隅を借りることになっています。
 この先がどうなるかも解らないあの山を借り続け、生き死にも解らなくなった兄からの連絡を待ち続ける意味などないかもしれない。何の供養なのだろうかと。
 生きてきた証。(写真は次女の修学旅行のしおり)そんなものに執着してはならないと、父が考えていたとして、全然父の持っていた知識にも、思想の地点にも到達できない不肖の文庫番は、ただただその書いたものを、世に問うだけです。
 母の生涯について、足りないなりに俯瞰する本として、出しながら、それは父の資料を纏める里程だとしたのに、遥かに父の思想は高みにあったようで、数人から、和尚の本は大変だと言われています。沖縄にも父は行った事があると、それも西表に行ったのだと母が教えてくれたことがあったけれど、それを辿るにはどうするか。それは何を目的としていたのか。歳月は過ぎていきます。

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