2020年8月29日土曜日

空は広く


 


8月27日は、父大仏尊教の生まれてから90年。記録上ではそういう事です。東京府荏原郡上馬、その地もその頃は田舎の風景だったというのですが、私が撮っているのは山梨の中央市の空。今年の遅れていた蕎麦の種も蒔いたのですけれど、どうなるかは未知数。
 そう、どうなるかは未知数でいいではないですか。

2020年8月9日日曜日

お味噌の息吹

 
  今年の味噌のできはどうなのだろうかと、桶を覗き込み、梅雨前の天地返しは功を奏して、黴の一つもないものです。本当に初めての木桶仕込み、自家栽培の大豆。ミートチョッパーで挽いた豆。そして滅多に手に入らない玄米糀。自分としては極上の若味噌になっています。秋になって本格的に食べ始めるのも期待できます。味見は今が爽やかな柔らかさのある新生姜で、夕餉の前の一皿になりました。
 そう、この味噌は長崎の海水の天日干し塩。この木桶は福島の麹屋さんの桶。それが山梨産の大豆を仕込んでいるのです。甲州の暑い夏は味噌の熟成は進みやすいので、悩ましいのですけれどこの滋養が育てるものを考えます。
 この仕様が準ずる味噌のプロジェクトは、秋月医師の二度と繰り返せない実証を下地に、少しでも免疫力を高め、新たな被災者であった飯舘村の人たちの味噌造りを絶やさないために続けているものでした。
 本日に何をなすべきなのか、何に抗い、何に賛同するのか。ただ味噌桶を覗き込み、そこに新たないのちの香しさを確かめるのです。あの松川の仮設住宅での収穫祭にもらった言葉、お味噌がお腹の中で生きている。そう飯舘村のお母さんのお一人は言ってくれました。それは、秋月医師の本を読んでいたとはわからない、純朴な一言でありながら、お味噌の可能性を教えてくれたのでした。
 だから、私は今年味噌を仕込むことができたのです。そして、8月9日にまた味噌の息吹を聴き取ったのです。生きたい!と。

 本日は91年前に文庫番の母が生まれた日でもあります。
 

2020年8月6日木曜日

夏の幻影 


 夏の少女の包は8月6日に届いて、いろいろな動物も緑濃い中に描きこまれて、文庫番は山の中の開け放された畳に寝そべって眺めていた大法輪の中でみた、平山郁夫さんの玄奘三蔵西域行図を思い出します。
 あの開け放たれた空間はもう戻ってこないけれど、西域に行くこともないだろうけれども、ざわついていた気持ちに落ち着きを取り戻せます。
 兄と語らった内容を反芻しても、今日の自分を思っても、本当は気持ちは安らがない。兄は一方通行の、自分だけで組み立ててしまった理論を話していきました。それは父の講義テープを聞いている文庫番に、父と息子とのどれほどの隔たりを感じさせ、そしてなおかつ同じように在りたいという話にも聞こえたのです。
 文庫番は、寄る年波には抗えず、田んぼの楽しさにちょっと休みをしています。
それはそうで、仕方がない事ばかり、別に新型インフルエンザでもないし、新型…新型爆弾って、あったのですよ。
 言葉は、どう使うのか、情報はどこから来るのか落ち着いて自分は自分自身でなければならないのです。75年前であっても、現在でも言葉は難しい。
 一枚ずつ、CDに焼き直したテープを聴き取り文字に起こす作業を進めながら、父の年譜を直していって、今、落ち着いた気持ちでマハラバを生きる事を書いています。
 本当にお盆前には書き上げ、茨城に送ることができるでしょうか。

8月6日 広島原爆忌