2020年8月6日木曜日

夏の幻影 


 夏の少女の包は8月6日に届いて、いろいろな動物も緑濃い中に描きこまれて、文庫番は山の中の開け放された畳に寝そべって眺めていた大法輪の中でみた、平山郁夫さんの玄奘三蔵西域行図を思い出します。
 あの開け放たれた空間はもう戻ってこないけれど、西域に行くこともないだろうけれども、ざわついていた気持ちに落ち着きを取り戻せます。
 兄と語らった内容を反芻しても、今日の自分を思っても、本当は気持ちは安らがない。兄は一方通行の、自分だけで組み立ててしまった理論を話していきました。それは父の講義テープを聞いている文庫番に、父と息子とのどれほどの隔たりを感じさせ、そしてなおかつ同じように在りたいという話にも聞こえたのです。
 文庫番は、寄る年波には抗えず、田んぼの楽しさにちょっと休みをしています。
それはそうで、仕方がない事ばかり、別に新型インフルエンザでもないし、新型…新型爆弾って、あったのですよ。
 言葉は、どう使うのか、情報はどこから来るのか落ち着いて自分は自分自身でなければならないのです。75年前であっても、現在でも言葉は難しい。
 一枚ずつ、CDに焼き直したテープを聴き取り文字に起こす作業を進めながら、父の年譜を直していって、今、落ち着いた気持ちでマハラバを生きる事を書いています。
 本当にお盆前には書き上げ、茨城に送ることができるでしょうか。

8月6日 広島原爆忌




 

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