2015年2月26日木曜日

まだ、開かない


 風信子(ヒヤシンス)雨になった一日でした。夕方の曇り空の下の写真です。うちの庭はご近所のおじいちゃんが分けて下さる植物で彩られています。山野草もあれば園芸花も。
あっという間に、うちの義母に続いて、斜向かいのおばあちゃんも亡くなったのですから、この球根はまだ、昨年の春に貰ったものだったのですね。今日もまた芽が出て来てしまったからと、幾種類かの球根を分けてもらいました。今年の春の花になるでしょう。
 雪にはならなかった日でした。あの年の春も雪が多かった。そう今日は2月26日。
若い人たちは、世界中で生き急いでいるように言われます。そして切ない。
この数年で、社会が劣化したように思ってはいけないのです。まだまだ私たちが伝えられる種はあると!確信しています。いつの時代にも。
 もう、老い支度の身は、その若さの憤りをきちんと受け止められないのでしょうか。
同じ苦しみの中にくらしは在っても、解決への向け方が違うとしたら、もっと賢者らしい答えを示していきたい。話しても解らない奴は解らない。それでは、それこそお話にならないでしょう。
 間もなく、暖かい日差しの中で蕾が花になります。待っていく力を蓄えています。

2015年2月23日月曜日

縦横



 庭の畑にしていたところにも、新しい土が盛られています。これから均して春蒔きのものをあれこれします。川の向こうのハウスは雪害にも耐えられる細かい骨組みになって再建されています。他人事ながらほっとします。藤棚はそのうちにキウイ棚になるのでしょう。
今は支柱ばかりが目立ちます。脚立に登って何が見えるのでしょう。
物事が垂直に見える?それとも水平に?どっちが正しいという事があるのかしら。そこに立つ点の問題でしょうね。
 土を均していくと言うことは、地面に平らにしていきます。
地面を平らに地表を均していくと、果てしなく水平に、または地平に沿って、このまま伸ばしていくと言うことは、よくよく極めれば、それは球体に沿っていくのですから、地球の裏側に回っていって真下にもなることです。
 言葉遊びでしょうか。垂直思考だけの人、水平な目線の人。脚立のどの高さに登っても、その人自身の大きさでしかないのではと思えるのです。
 お得な事に、造園屋さんからもらったこの新しい土の中に、自然薯が入っていたので有難くいただいて食べました。石ころや、根っこが在れば曲がっても自ら然らしむ。

2015年2月17日火曜日

いのちの尊厳



 もっと、食べるという事、いのちに謙虚でありたいと願うのです。今日は雪降りだから、思い出して胡桃餅を作ってみました。藪川で買った胡桃を擂って味付けして、焼いたお餅に絡めて食べる。そんな三時を連れ合いと二人。
 一粒の木の実も、また命であり。
 冷蔵庫に入っているのは、昨日持ち帰って来て、処理した鹿肉。チャーシュウになるでしょうか。豚肉と同じレシピで作ってみます。鹿肉カツもやってみます。
 寺に生まれたものが!!と言いながら、水洗いし部位別に切り分け。そうは言ってもいただき物。連れ合いはまだまだ数撃ちゃ・・の数にもなっていないので、同行の先輩方からの分け前なのですが、毛付き蹄付きであると、いかにもワイルド。スプラッターの現場が台所にも出現します。
 一番苦手な場面なのに、どこかで落ち着いて、きちんと手早く処理しないと、調理に向かない。どう食べきるかを考えて黙々と20㌔近くを捌いていかないとなりません。あなたも男の料理教室に行っていて良かったわね。人任せじゃないので助かるわ。。
 仕留めてすぐに認可されている人が第一次の処理をしてくれたのですが、薄皮や筋を外しながら、朝まで生きていた命が、形を変えてここにあるという重さを考えます。どれほど、人に優しくと言い、生き物を大切にと言っても、いざ殺生が日常にあるという事。味噌を造る大豆を育てるという事からどう転変していくのか。生のいのちに触れ、いただいて生かされるしかない事を思います。そしてどうすれば、誰も餓えない社会が来るのかもこの凄惨にも思える台所でいつも考えるのです。
生半可なええ恰好している、食の楽しみとか安全などから解決が導かれるのでしょうか。野生獣を食することのリスクもいろいろ頭をよぎります。それでも、生死一如。自他一如。


2015年2月13日金曜日

見えざる手


 一晩水に漬けた大豆は、今年は圧力鍋で蒸して潰しています。5分の蒸し時間、余圧を10分。
充分に柔らかい感じにできます。今日は二回目。
 東新宿で仕込んだものと合わせて、2010年の大豆から継いでいる秘蔵の種味噌も足して。
合計9㌔が現在今年の仕込みです。そもそものパルシステムの味噌仕込みから考えて、どんどん新しい試みを足して来て、いつもここで最上ということがなくて、毎年が新しい。
 何がこれほど、わくわくするのかといえば、人間以外のものが作用してできていく繋がっていくという不思議さがあります。
 人との関係もそうです。多分、当人同士ではない力が作用してあり方が作られている。そうです。明日はバレンタイン。でも、糀の袋の上にはご飯が入った容器。どうやら甘酒か、イースト加えればまた別な発酵文化。
 チョコレートもお豆の仲間。いうなれば醗酵食品です。
チョコレートも、お味噌も、その土地土地、人人の在り方を継いでいるはず。それは、人智を超えたものの作用によって。
 同じでなくて良い。一つの在り方に統制していくのとは、逆向きのこれからを過ごしていきたい。
おっと、うっかり、お味噌にかまけて宿題が溜まっていました。

2015年2月6日金曜日

凍結注意は



 雪は思ったよりは積もらなくて、一年経ったねと連れ合いと二人籠りの家で話していました。
昨年の2月5日も、さっと雪が降って。・・・・。
今朝も路面の凍結注意などを、ニュースでは言ってました。でもね。植物たちは、そこそこにこの冷え込みも凌いで行けるのですね。却って人間から見れば美しい。
 雪降りの明けた朝の木々は、葉っぱにとどまらせた水分をそれぞれに装いとしていました。
 それ、恕かと。講和ではなく、そういうことばが私たちの思想の中にあるという事。
忘れないというのは、どうすれば赦せられるのかを、問い続ける事。
穏やかだった義母は、いつも私が外に行く用事があると、失敗しないように拝んでいたと言ってました。お墓参り、雪だけど。と連れ合いとの会話。