2019年10月19日土曜日

台風の後で

 





週末雨も上がった庭で、秋の芽生えを楽しみます。だって、中央線復旧したって、各駅で相模湖乗り換え、高尾乗り換え、、、行きつく先までは一体乗り換え幾つ。時間も連結できているのに合わせるには大変。高速バスだってそうです。不要不急の移動は・・。籠っていようと思います。
おぎのやの釜飯の釜、ご飯を炊こうとしたら水漏れしたので苗床になっています。忘れな草が芽を出しています。私を忘れないで、その声は。先日の台風でのさまざまを考えさせられます。  避難所にまで行ったのに、立ち入りを断られた人。避難所に行くこともせずに溺れて逝った路上の人。  防災って誰のため、地域って誰のため、安全って誰のため、いのちって・・。 数年前に閑居山に行った時、ブルーシートを張って暮らしていた兄はこう言いました。「いのちを大切にしなければと言うのも間違っている。」そうなのだろうと。彼は父のしたことを追いながら、彼の論理で説いているわけですから、私も肯くところがあります。その兄は、10月に我が家に顔を見せに来ると、人を通じて連絡がありましたが、来ることを取りやめました。  この秋の台風で、命を守る行動を!していた者は、他者を排除していなかったのか。敢えて、地域の輪に入りづらい日常を作っていなかったのか。私の日常は、兄が訪れられないものではなかったのか。  ここの地域の防災訓練は、8月の25日にありました。そう、マハラバ文庫の夏期学習会の当日だったのです。地区の人たちは、参加者の出入りも見ているので承知と考えていましたが、行政にある生活支援体制整備推進協議会、云々。でその後あった会議で防災って訓練に出てこない人に出てくるようにする前に、もっと歩み寄れるようにできないか。との主旨(議事録は来ないので、自分の記憶)で実際に防災訓練当日、車椅子の人も遠くからくる学習会の企画をして、身近にある用具で出入りできた。という事も話してみたのですけれど、自治会長を終えて防災担当をしているという、上から、下からと、くらしの中の情報を表現する人物から、「そういう特殊な場合は専門家に任せて、我々は我々のできる範囲で・・」という切り替えしがありました。言っていることを聞いていない。伝え方がまずかったのだろう。状況は知らないのだから仕方ない。でもおかしい。「地域とは特殊な事の集まりじゃないのですか?。」とその一言で良かった。  まだ、私にはそれを伝えられる機会もありそうだから、相手の経験はそれとして、私の考え方をもう少し言ってみようと思っているのです。  自然災害から、どのように生きていくのか。それは日常の中にあるはずだから。 「私を忘れないで」忘れな草の苗が上手く育ったら、家の道路向かいの地域の避難集合場所になっている診療所の空き地にも植えてみます。  谷田部の収穫祭で買ったシクラメンは夏越ししたようです。ついでに、セロリ、コリアンダー、フェンネルなどが、ぎっしり芽生えている香草のコーナー。

2019年10月1日火曜日

やれやれと




 半年、6月の田植えからだと約4カ月になるのでしょう。初めての米作りはようやく脱穀し籾の状態にまでなりました。5年契約の田んぼはまた来年も米作り。
除草剤不使用天日干し。生き物多数。
面白し。(語尾の変化は終止形ではなく、甲州弁=村の言葉で同意のような促しのような場合・・・・この場合は動詞に着けるそうです。)用法は間違いでした。面白いものです。いまさらながらに、地道な手作業にほど近い、小規模自家用生産。実体験の無かった田んぼの秋までも、体験できます。
 田植え、草取り、稲刈りツアーだけではない、その間、あいだにある作業の組み立てで、主食ができていく。水の抜ける石地の田んぼ、猪が周囲に潜み、スズメは木の上から見ている田んぼ。そういう中で、この土地にあった作業が工夫され、くらしは営まれ。
ネズミや虫や雑草の種がこぼれる事を考え、稲藁は庭と畑に必要な分を取って、すぐに燃やすことにしたのです。脱穀に続いた日に燃やす作業も、やはり夫婦二人で午後の時間を目いっぱい使いました。消防にはちゃんと連絡して始めました。結構な煙が立ち上るわけです。収穫に続く作業も保管の仕方も、やってみて学ぶものでした。水の守りの黒いブロック石は引き上げてきました。