2015年3月24日火曜日

休み時間



 この前の土曜日の薪作業の一休み。この鉞は仲間の物ですが絵になるのでパチリ。三軒分の薪作業をします。里山整備竹林保全も一緒になるので、連れ合いは土日は大忙しの冬でした。手が必要な時には私も参加。
  この一休みの時間は、道路を隔てたお宮で、一年間の地域の新しい氏子を迎え入れる儀式があったので、大きい音を止めています。
 地域に赤ちゃんが生まれない年でも、春の始まりの頃にある式ということで、四方張りの斎竹に神官が祝詞をあげているのですが、大学を出たばかりの女性の神官で、おじいちゃんの跡を継いで地元の神社を守るとか。白装束で神々しく見えます。
 地域の人達には、孫・娘のような、祝詞をあげて貰うのもはじめての嬉しい事で、新しい氏子でなく新しい禰宜のお祝いのような宴席もその後に隣のお宮の中であったようです。
 おかげさまで、再開した私たちの薪作業も清らかに??進みました。

2015年3月19日木曜日

石のつぶやき



 昨日は、もっとゆっくり生きていこうと思い定めました。あれもできていない。これもしなくちゃ。毎日がそんな感じだと、自分の過大な期待に打ちひしがれてしまいます。
 また春が来て桜が咲いて。開花宣言で書いたのは三年前の春。
大丈夫、少しずつやっていけば、必ず前に進めるから。あなたの心が穏やかであることが一番大切なのよ。と。花は教えてくれます。
 ずっとカラス大先生に訊ねていた事に石がつぶやきました。
相変わらず、私は石を選り分ける事が面白い。どうして、石との対話ができるのか。とても不思議だったけれど黙して語らぬこの石が呟く声が聞こえてくるような気がします。
 花果山の下に居たのでしょうか?罪深き己自身が石を打てるかと捨てたのでしょうか。いろいろ耳を傾けていて、やっと聞こえてきました。
 この何もならない、非効率な事をもっと楽しむのが本義だと。マハラバの本義とは効率を追い求めないことなのだと。
やっと、石を選り分けている自分と、資料の中のことばが一致したのです。

2015年3月11日水曜日

悲しみを慈しみ


 山川草木国土悉皆成仏。そのことばを得てから、落ち着いたというはずの感情。
この4年間を、思い返しています。
 これは、地震で崩れた資料の写真ではなく、母の手帳や書きとめてあるものを、いかにまとめられる術が私にないかの証。
 でも、クライマックス。もう一息である感触がここに出てきました。毎日資料を読み返しまた自分の文章を直し。かき混ぜます。
 自社ですからね。人から見て駄文でも、出版していく意気はあります。
ただ、母が山を下りてからの活動の深さに、私ごときは書く筆があたらないのです。
幾ら書いても削っても、あの一途な生き方を表していない。それだけ自分の汚さ、拙さに打ちひしがれる追い込みです。
 そして、兄すら見捨ててのうのうと、食べるものを食べきれない生活をしながら自分はいるのかと。あれもこれも、日々掻き混ぜてしまっています。味噌に塩麹、醪にあたたかくなって糠味噌に。そして、連れ合いは??・・・・・案外我が道を行く。

 だから、私は味噌の様子を眺めます。栄子さんに手紙を書かなくっちゃと。本日は3月11日/2015年。

2015年3月9日月曜日

次世代を思う


 庭を均しながら、連作を避けて苺の植え替えをして空いたところに芝生を移植しました。
この庭のもともとの芝生も昨年で3倍くらいになり、母の居た庭先から移した芝生も定着したようなので、庭の雑草防止にもなるかと拡げています。
 どんなに踏まれても青い芝は伸びていく。そんなことばを言いながら。
今、土いじりから食べ物づくりがどこまでできるのか。マハラバの在った頃の農村経済を考えると、現在のこの地に住んで見える農業の姿が、次世代にまで残るのか。そこも考えます。
今日は農業を柱とした観光基本計画の委員会に参加。たんなる観光について知る事の出来る機会と参加したのですが、農業を残していきたいという明確な柱があると解り面白いです。新移住の者ですし、農業なんてわからないけれど、すべての生き物の一員として食べるという事は、ずっと続けているから、その目線での発言はできそう。
 いろいろな産地で、消費者とのしっかりした結びつきで次世代・後継者が育っていくことをお願いしてきたのですが、食べる側の次世代継承もできるか。昨日、独立した下の娘はパルシステムを選ぶようです。
 青い芝の場合。親が脳性麻痺者であっても、子供は健全者である事が多いのですが、運動としての継承は、子供へは伝えられないという側面が出てきます。そこをどのように見るのか文庫番。
音信不通にまたなった兄は生活保護の受給を受けるているという連絡が役所からありました。それは、それで、運動の成果でもあると、自分を納得させます。
 うちからへ援助はできないという連れ合いの筋道だった説明に同意するしかありません。

2015年3月1日日曜日

額二つ



 雛人形そのものは、娘たちのところにあるのに、初節句の頃に実家から贈られた額と、伯母が作ってくれて伯父が自転車でその頃住んでいた取手の家に運んできてくれた押絵雛。
 二つの額を玄関と床の間に出して三月がはじまります。
 お内裏様の並び方の右左。まあ、どちらがどちらでも良いかな。とこの二枚を見ながら思います。物事の正しい、正しくないで、ことさらに言い立てても解釈の違いでどちらもありという事もこの世の中にはあるものだから。
 問われた時に由来は話ができるようにしておけばいいかなと考えています。
 どちらも大切に長く伝える事が出来ると嬉しいのです。小林恒岳画伯ご夫妻は、父母の友人で、私にも親しみのある方。取手の伯母は、何くれとなく、姪である私の成長を気を配ってくれていた伯母。もう90歳を数えるはず。
 どちらも茨城に健在でいてくれるとなお嬉しい今年の節句です。