2016年12月25日日曜日

一陽来復2016


 地上に陽の注ぐ時間の短い、そういう日が過ぎていき、次の日からは新しい太陽が生まれてくる。春の再生を祝福される。
 それでも、一年が過ぎると言う事は往ってしまったものは、山の向こうに、会いに行かなければならなくなったのです。
 本日の、さまざまな人の投稿で、電通過労死自殺の女性のお母さんの思いを読みました。なんて哀しい一年を、そしてこれからを送るのでしょう。娘を亡くした嘆きに浸っている自分を思っても、この事件のお母さんは、さらにさらに突然に娘という存在を、それも互いに支え合って来た娘さんを亡くされて、自分から選んだ死だなんてとても思えない追い込まれた状況を、現代社会を告発しているのです。朝起きたら夢であって欲しい。
  この、癒えない哀しみ。私も、気を取り直さなければと、看取りに充分付き添っていた昨年の今日を思い、月日を戻るようになる自分を、奮い立たせなければとまた思います。
 今日、12月25日。それは、世界に幸せと平和をもたらす約束された日に。

2016年12月22日木曜日

竹循環プロジェクト



  竹の循環プロジェクトを、障害者地域生活支援に組み込んでいる、NPOおおぞらさんの取り組みが今の自分にすっと納得できて、そして、理事長をされている秦さんが今年の7月に相模原であった事件に対して、出されたコメントを読みながら、牛久に立ち寄って来ました。
 古くからのお付き合いでありながら、茨城の生まれの私でありながら、牛久の地に行ったのは初めての事。いろいろな事を思いながらの訪問でした。
長い年月を茨城の地で、障害者がともに地域で暮らして生きていけるように地道な活動を続けてこられて、若き日の秦さん御夫妻は度々閑居山に来て、竹の生い茂る山腹の道を上がって父と母と話していたのも、思いだされます。
 あの頃から、社会はどれほど許容性が増してきたのでしょう。「障害を克服して」「健全者社会の中で」という方向だけだったのではないでしょうか。大部分の人が、努力しても報われることが無いと思うような社会になった時、よりハンディのあるものに刺のある言葉や、排除しようという力が向けられていく。そして、施設が開放型にはできない事が多くあるままで、地域の中に障害者の姿が見えなくなってきて。地域とはさまざまな人がいて、おおらかに、包含される感情も精神も歴史も多様にあることが、文化を育むのに、一面ののっぺりした均質なものであることが求められる時代へと、進んでしまった結果の今年の事件であったのです。
社会の許容性は狭まれてはいけない。それは、誰しもの生きる意味を狭めることになってしまうから。そうはならないために誰しもの持っていることを少しずつ寄せ合うプロジェクト。しなやかな思いを再確認しました。
 

2016年12月11日日曜日

日和見です



















 ひよってるんですよ。切り干し大根をしっかり干すには、前に2日、干し始めてから最低3日は欲しいので、その上家の影にならないように、あちこちに移動させて風も下から通るようにして。
 お陽様追いかけて、日を過ごしてまだ数日かかりますね。
 この世に生まれて、もう来た道の方が、往く道よりも長くなって、自分の言ってきた事、やってきた事に変節があったのか、それとも一本道だったのか。寄り道、近道。いろいろしたけれど、お陽様はいつも一緒に来てくれています。
 故郷での読書会は、思いがけずに自分も作中に入ったかのような、懐かしい方々との再会の場でした。父や母の生き方に全然追いつけないままに、その生き方を問いかえす事だけを投げかけて、自分はいったいどんな生き方なのかとまた思います。ただただ懐かしいだけでは、駄目。ただただ暖かい思い出を語るだけでは駄目。じゃあ、今をどう生きるのか。言い切れたのでしょうか。
 そうでなくとも、自分の性格について、言い当てる事の出来た日でした。「無頓着」。そう親が実刑に服していても、全然気にせずに、伸びやかな思い出しかなく、兄とはそれぞれの暮らしと割り切るしかない自分は無頓着。
 当事者って誰?そう言うことによって、自分は余所見でいたのではないだろうか。その意気地の弱さが、時に右顧左眄している己を知っているのです。
 反体制も体制も、どちらも側も大差ない。そう言う理屈を見知って育ってしまった、という横柄さでしょう。
 東日本大震災以降、これ以上の原子力利用を人類はしてはならないと、地球という母星が叫んだのだと、人間の手に原子力を置いてはいけないと、せめて、この国の者は考えるはずだから、権力をもつものも虐げられている者も、どこかで、その合意の持ち方を、つくっていけると考えたけれども、この5年と9ヶ月は、そういう道を見つけられていないようです。1%と99%の話ももう聞かなくなってきています。むしろ排他的、武力的な物事に従う決め方を正しいと言う。そればかりが目について。
 お陽様のエネルギーがこれほど大根干してくれる。それを忘れてはいけないでしょう。