2010年4月25日日曜日

美ゅら海に


 昨年12月に行った読谷の海でサンゴの養殖をしている金城浩二さんのお話。どうも映画が撮られているという事は訪問の際にはお聞きしたのですけれど、その原作本。
 海を守りたい。

2010年4月21日水曜日

旅人


月日は百代(はくたい)の過客にして 行きかふ年も又旅人也・・・・と読みだして、昨日は、朗読の会の発表会でした。おくのほそ道。旅人への尽きぬ憧れを多くの人が持ちながら、それを作品とするまでに、この書き出しに五年松尾芭蕉はかかっているという、先生の講義に、一語一句読み取りながら声に出し、耳で聞いてまた、身体にそのリズムを埋めていき、自分の朗読とする。上手下手ではなくて、自分なりの読み方を創っていくのだそうです。
 日光の開基は空海じゃなくて、徳一太師ではないかとか、ふっと疑問を感じるとそこで言葉につっかえリズムが乱れ、旅へのいざないも、文の道への楽しみも崩れるので、ひたすら、音と身体のリズムを合わせ、呼吸を整えやっと、一節を読み終えると、読みこんでそらで言えるようにとさらなる指導が・・・。
 ひとは皆、旅人。

2010年4月17日土曜日

カムイの言霊


常磐線の時間を有効にと本を携えて乗ります。チカップ美恵子さんの本は初めてになるのですが、彼女とは、「ときわ路」に父の文章が載った号に「私は生きたアイヌである」という題名でアイヌ肖像権裁判への文章を書かれていたので、コンタクトをして二度ほどお会いしたのです。母も母自身の活動の中でお会いしていて、この本を読んでいるのよと見せると、「あら、確か亡くなったのよ」というので驚いて検索すると、今年の2月5日だったようです。この本の後書きにも闘病についても書かれています。
 私は生きたアイヌという内容には、その当時、障害者と健全者という二項対立でしか考えられず、どちらに自分は位置を定めて社会を観ているのかなど、僅かな語句の中でわけがわからなくなっていた私への大きな衝撃をもたらしたものだったのです。お嬢さんともその時にお会いしたはずと、今残されてどうされているのかと思います。
 極めて、はっきりとした自己存在についての筋道のある言葉をいただけたと、今さらに思います。

2010年4月7日水曜日

もう少しカラッと


花見の天気も湿りがちです。呼びかけのあった座り込みも冷えそうで、気にはなっても行かなかったのです。そんな、連れ合いの休日に揚げた天ぷらは、読谷漁協からの帰り道に頬張っていた「もずく天」ふうに、玉葱・人参を入れました。
 自分たちのおやつ代わりだったんです。と運転しながら話されてました。うっかり食べてしまって、上手く撮れていなかった文庫番は、今日は、食べる事は主張だ!!と作っているのですが、もずくを刻むのを忘れました。もっとカラッとしたものを御馳走してもらったのになぁ。
 恩納村もずく、多く戻したので、お味噌汁にも入れました。これは写したら湯気で曇ってしまいました。
小鉢物も作りました。茨城の母の近くにある、JA直売所で買ったエシャロットの酢味噌和え。・・・茨城のは、官民共用でしたっけ。