2012年9月27日木曜日

自分たちでつくってきた

 今度、個展を開くのよ!と連続講座に来てくれた佐藤さんが教えてくれました。なんと84歳の先輩。
 地域の中での協同をどうつくってきたのか。秋の連続講座はくらしからの出発という大きなテーマです。事業と運動という言い方は、私の中から抜けたのです。くらしから出発している。その様々なのだから、くらしの中からの声で語る事。地域が見えていて、ひとが見えていて会話の通じる間柄が、何故?どうしてを言い合えるところから、個々が在る。そんな講座にしていきたいのです。
 最終の形は、わからないけれど、それぞれがしてきた事に今がちゃんとある。このグループ味噌の里親のおひとりが、コツコツと書き溜めてきた水彩画を仲間が押して個展開催にまで持ってきたのです。分け合いから始まった、繋がりがなかったら、一つの生協と言う場がなかったらここまでできなかったと、口々に言うのです。
 第二講座は、「繋がりをつくって」だったのですけれど、余禄のようにこの烏瓜の絵葉書をもらって、地域で生きるという事の、実際を感じます。
 講師が語られた中身も、またすごい。小さかったからできたけど、今ではは許されないという事では決してないはずだと考えるのです。そして、生協はプロじゃないと、言うのだけれど、協同組合の主体者である、地域の中で生きる主体の一人であるという事が、くらしのプロなのだから、その事を薄めてはいけないのだと、伝え合っていかなければなりません。文庫はどうまとめられるのでしょう。
 今、実存感が感じられず、自分が生きていると叫べば潰されそうになり、その潰そうとしている力を振りかざす者に、あなたは誰のために、この権利をないものとできるのかと、問おうとしても、相手に実存感が無い。
 それに較べて、地域で生きる、自分たちでやりたいことをさせてもらったから恩返しなのよと話す人たちの、なんと主体的な生き方なのか。繋がりなのか。84歳の協同。
 
 
 佐藤房子展
  日々描きためた水彩画の数々
2012年11月2日(金)~7日(水) 11:00~19:00会期中無休
 
ギャラリーアビアント 03-3621-0278 墨田区吾妻橋1-23-30-101

2012年9月22日土曜日

新鮮野菜の行く先は

佐久穂から、野菜の箱が届きました。サニーレタスはとても柔らかいので義母も入れ歯でも噛むことができるのでしょうか、無理やりの秋刀魚フライの付け合せにしておくと食べています。  前日がパルシステムの配送なのに何故また野菜の大箱が来たのかと、訝しい家族ですが、事情は、トウモロコシ最終にやはり、ここのも食べなけりゃ。
 五人の食卓で少量多品目で出荷レベルの栽培を就農者でしているのってすごいよね。とか、最初はMIXIで今はFBでの関係。という説明をします。元は北小岩で育った人。
 三人子供育てていて、子供と肥やし踏んでいる動画見たからすごいでしょ。と説明します。
 

 そして、トウモロコシの皮を剥いて茹でます。枝豆も枝からはさみで切って、茹でます。トウモロコシの皮も細かく切った枝豆の枝も、玄関先の漬物容器に入れます。朝のリンゴジュースの不揃いつがるの皮はもう蒸れてきていました。
 玄関先において!なのですが、意を決してこの夏は約40ℓほどの容器に、野菜果物の不可食部分と鰹厚削りのしっかり出汁とったガラを入れています。一回、蛆だらけも見ましたが、土をかぶせていたらいなくなりました。蛆虫あんなに居たのにどこ行ったんだろうね。と言うと連れ合いが、蛆虫は蠅になって飛んでいったんだろうというのに、納得してしまいます。でも小さな園芸用シャベルで、拾い上げて、眉根に皺寄せながら何匹も踏み潰していたのは私だったことは忘れることにします。
 毎日この肥やしの様子を見ているうちに、匂いは気にならなくなっています。我が家は和式水洗トイレですけれど、それぞれの個臭が、外に匂うし、生ゴミもたい肥も、人間を巡って一環した同じ匂いだと、いよいよこの夏は思うようになりました。
 6月最初に山梨に持って行った時より順応したのでしょうか。夏を越す温度が高くて、上手く熟成もしているのでしょうか。
 そんなに大袈裟に言うほど生ゴミが出ないのです。三角コーナーから、野菜や果物の皮を除けば残りのほとんどはラップや包材容器。プラスチックです。そして毎日、だからイシハラが!!とぶつくさ言いつつ、生ゴミを資源にすると、残りほとんどが、石油系の家庭では始末できないもの。
 先日首都高から中央道にと高速道路を車を走らせながら、残暑に路面の方が温度は高いよねと、連れ合いと話していました。アスファルトだし、保熱性ありそうな材料だよね。と言った時。道路は石油精製物の余り物で作られているんだ。と、だから道路に利権が付くように仕組まれて、ゼネコンからもっと裏にお金が動く仕組みだったんじゃないと連れ合いと話ました。私の先輩は、まず人が居て、それから道ができ、鉄道なんて最後にと教えてくれたのよ。と。
 道路じゃなく、道を歩いていたい。高速道路を車で走って、物も人も移動する中で、柔らかい野菜も食べることができるともいえるけれど、歩ける範囲での物のやり取りが理想。
 それでも、この玄関先の容器と中身は、近いうちにまた運ぶ事にしましょう。そう言う矛盾だらけの中で、くらしがあるという、その事をさらけ出すのが、解決に一歩近づくのだから。

2012年9月19日水曜日

情報戦って

 少し、扇情的な気配できな臭さを立てていこうというのでしょうか。それとも、どこでも民衆の声というものが、語られなければならない、底辺の人間の権利として尊重されるべきものだという人類の合意が、活かされる仕組みが出来つつある世紀になったのでしょうか。
 情報化時代と言われて久しい。それにもまた、胡散臭いことだと思う感覚を失くしてはならないのだと、やっと気付きました。情報は、早く、秘匿するよりも発信することで、自分を守れると考えてきて、他人から見たら赤裸々な部分も自分を守るために、他人の表現で語られるのではなく自己を形作るべきとしてきています。時々、私以外の人が文庫番を物語ることに、あまりにすごい思い違いに本人に確かめてよ、っと怒鳴りたくもなるのです。でも、情報そのものがお金になるからって個人情報の取り扱いに汲々とする世の中にしたのと、一緒が近頃の情報化時代の事ですよね。
 以前、インターネット子会社(文庫ではない)の発足式に招かれ、インターネットの時代と律令制について語ったことがありました。全国津々浦々に同じ書式で書かれたものが、早馬で伝えられるという事で、社会が成り立ったことと合わせて考えると腑に落ちる。という内容だったと思います。
 決して、インターネットだけが情報化ではないし、いつの時代でも、同じように情報を統制していくことの必要性があった事を語ったのだと思い出します。
 そして、今はパソコンでのやりとりだけに満足している日々を送り、本来の感謝をすべき、お伝えすべき気持ちはすれっからして、タイミングを外し、不義理をしています。
 この近年、、、リーマンショック以降でしょうか。誰からの出どころで、誰に向けての発信なのかが特定されない、個人発、世界向けの主張・ことばが多く見受けられます。インターネットの中に浸っていて、世界のすべてを知っているつもりになっている、文庫番なのですが、心強いようなうすら寒いような、現実感が有るのか無いのか。
 そういう日々に、南の海の上で、または日本海!での領土がどうとやらも、そして、大衆デモだという暴徒まがいの行進も伝わってきました。逆にその国の人々に、私の住んでいる国は、恒久的戦争放棄を至上としている国という事を伝えているのでしょうか。
 一歩も家から出ていないのが、一週間の大部分。食べ物の素材は配達されてくるし、細かい外で用事なら大人ばっかり家族の家人の誰かが、補ってくれる暮らしだからなのです。
 すべての現実感が、地に足を付けていない中で、どこの誰が発したのか、分け合い、結果評価ばかりで、その人の本意はさっぱり見えない交流を、重ねて知ったかぶりに磨きがかかっています。
 きな臭いことは大なり小なり情報戦です。誰がなんの意図をもって語ったのか。それが解らないままに、拡散させていくときに、自分の主体は薄れてしまいます。
 最終的に、情報戦の結果に巻き込まれてしまっても、そこで在り方を決めるのは、自己でしかありえないのです。時代のせい、政権のせい、社会のせい。それは結果。そこでの在り方は。自分という存在。どのように、自分を見つめられるのか、その教え、導きを誰から受けてきたのか。

 お彼岸での入りですね。少しご先祖様との交信という、情報戦も必要だと、文庫番には。

事の真偽
 

2012年9月15日土曜日

莢はできたけど

 「文庫番の勝手」に上手く画像を出していきたいのですけれど、あちらのページはコツコツソースを作らないとできないページです。まだ修行中。だから、途中経過を文庫番日誌にも出しましょう。
上の写真が8月28日。中と下のが、昨日9月14日。
8月の半ば過ぎは文庫番が都内での用事があったので、義父母と長女と連れ合いが、山梨に一泊で水遣りなどしてきたのですけれど、その際に、排水周りを家の元の大工さんからの紹介で設備配管をしてもらう事に、現地でなったようでした。
 その次のところからの写真です。6月下旬に蒔いた大豆の畝の横に大きな石がごろごろあったのは、もとは物置だったところの束石で、それを重機で掘り出し、移動し、川に向かっての雨水管も直してあるということで、束石のあったところも、畑の畝とすることができるようになりました。
 なれない鍬で、ガツガツと跳ね返る乾いた地面をうなっていきます。往復しただけで腰も強張るし、手も皮が剥けそうです。 また、抜き取った雑草を積んで置いたものを、そこに入れ踏んでから水と土をかけておきます。でももともとは建材屋の物置と、その前にトラックなどの出入りしていた、砂利のたくさん入った地面。掘っても掘ってもバラスが出てきます。気長に、畝を立てるたびに、草を抜く時々に、この砂利・小石を左右に投げていって、少しばかりの開拓体験をして、畑っぽくしていくつもりです。その作業を9月最初にはしました。
 朝市で一袋買った千葉の在来種という大豆。どうなるでしょう。9月の墨田のお祭りが済んで来てみれば、莢が豆らしく着いていました。まだ実は入っていません。日照りの中、日本一、日照時間のある土地です。ということは、それなりに乾燥し土痩せのするところです。茨城の私の育った山は朝日の上がる東を向いて、昼日中過ぎれば陽が陰るところでした。湿潤で、鬱蒼とした木々や竹は緑陰ということばを私に与えてくれたのでした。地面も、にじむ水が山に常に含まれていたのでした。関東地方とは全然日照の雰囲気が違います。いろいろ義父も楽しみに植えているものがあるのですが、今年は、試しになっています。ブルーベリーと母のところから持ってきた、ミニ薔薇と山椒は枯れてしまいました。果菜も行き来の楽しみにしたもの程度は収穫できましたが、まかなっていくには、ご近所での分け合いなどになるでしょう。本当に自給自足になるのか文庫番の勝手。
大豆の横に畝にしたところには、平田産業さんからもらって、ベランダで育てて種を持っている菜種を植えてみるつもりです。大豆が、、、たくさん収穫できたら・・・(来年の種まで収穫できるかな、味噌は仕込めるかな、枝豆で全部食べちゃうかな)そもそも、この旱魃の中で実るでしょうか。世界の穀物高騰どころではないです。そういえば、てっぱんの高橋さんが、サラダボウルとパル山梨で昨年育てていた大豆は茎ごと盗まれたと話していました。どうなるでしょう。
 いづれにしても、この畝は、また豆殻も堆肥に埋め込んでから、以前、ベランダで収穫した千葉の海上の「祝いの大地」墨田産の小麦を芽だしして蒔いてみようと義父と相談しています。この後もまだ本格的な畑ではないけれど、これで、豆、菜種、小麦で、最初の土地ならしをしていくことになります。
 なんと!昨年移植しておいた、ムラサキシキブもシロシキブも、それは今までなかったほど花を付け、実がなっているのです。恐ろしいことにまた文章を書いて見れば今度こそ、花になり実がなると思う文庫番の勝手。
 

2012年9月13日木曜日

済みません

 本日、夏休みが終わってのお茶のお稽古でした!うっかり、いえ、ほぼ直前まで覚えていました。それなのに、先生に呼び出し!そんな中学生じゃないですけど、携帯電話でお待ちしてますって。 慌てて行ってきました。まだまだ精進しなければなりません。夏風邪だお祭りだと言いながら9月に突入。昨日は一回すっぽかしてみた義母の通院日。すっぽかした理由は、義父母は近代医療をさして信用していません。病院は薬を出す機能なのだと考えているのは、ある意味市場経済に飲み込まれない、戦前生まれの真骨頂。だから、応援するのが家族として介護者として、お互いを尊重した結果なのだと、底を流れる感情では考えています。
 介護保険の制度も、女たちの自由を得るために、家制度の中に閉じ込められていた人権を広く開放するために導入すべきだったことは間違いないのです。しかし、その一面、核家族以上の自己責任に被せられていたのは、やはり一世代前の、権威とお役所任せに社会を作った仕組みだったのではないでしょうか。介護保険の問題点が利用者主体でないという事。それは義母の介護保険更新時に都度感じる事。同居家族の負い目。
 そしていつも、一人暮らしで、生活保護も、介護支援も自分の権利だと、真の意味の利用者であり社会福祉を自分で作ってきたという自覚の下に、死んでいった母との引き較べを、実母と姑との比較ではない在り方としてしたいのに、そこにもつれる感情が入ってしまう文庫番でした。狭量なのです。女だからという姑と、女だってと言い続けてきた母との違いなどを言いたくなっている自分が情けないのでした。 同じ時代に生まれながら、人権という運動の中に居た者と、家庭を守る主婦という役割を務めてきた者の違いを、社会に対して言っていながら、自分の卑近なところで考えてしまう嫌悪。それが、ぐだぐだ考えるもととなる付き添い通院について主治医からの、「じゃあ、今日でおしまいね」と言われ、ほっとしたところが大きい。さあ、これで、医療に縛られることなく、義父母との老々介護の時間を作っていけると気構えができるのでした。しかし・・・一回すっぽかした予約時間は、午後の2時からですが、終了は5時寸前で診療、会計が済むものとなりました。
 

 お祭り終って、片付けがあって。それだけじゃないひとの出入りに食事は三世代。その台所を司っているつもりの自分。それでばたばたするのとは同時進行に、マハラバ企画を入れてしまっていたのです。スカイツリー下塾。こちらは、曲がりなりにも社会的事業だとか。もう事業頭では物事の仕組みは変えられないのだとは分かっているのですけれど。構えているのは株式会社です。
 数日、資料をあれこれ見較べて、流れをもういちど把握して、自分で理解していたのとはすっかり別な視点であらためて見るという文庫番。はて当時は何を読んでいたのでしょう。それらを継ぎ合せていくと、どんどん嵌りこんでしまっていたのです。なかなか第一回の資料は進まなかったです。無いと思っていても、結構、押し入れの中から出てくる紙。そしてそういえばあれも確認しておこう、ああいう事は他の人からはどのように見えていたのでしょうかなどしていると、義母の通院介助の時間になってしまいます。やはりドタバタ。言い訳というよりは、それらのすべてが面白い。集中より分散とその統合性よと言うと、傍で見ている連れ合いは好い顔はしません。
 しかしながら、この企画に見ていきたい価値は、協同・地域・主体をテーマにしたことから生み出されたこと。きっと、周りに居た人たちにも意味があるとなぜか確信できるのです。
 5時過ぎたら、もう出かけなければならないのに・・自転車でスカイツリー下まで行くついでに買い物する予定が、午前中に作った資料の見直しです。あああ。じたばた。受付娘にも買い物頼むしかありません。下の娘が帝釈天参道で買ってきた草団子も食べている時間もなく、いざいざ、年にわずかなマハラバ企画へ。
 私は、守られている。守られてきた。守ってあげなければ。そう主体と協同、地域。
 
まだまだ、学ぶ時間を与えられたのです。そして!!すみだ価格に改定。スカイツリー下塾参加費。一回500円で大丈夫と、心強い申し出。それより参加を続けたいのだそうです。
・・・・・・・・、営利の時代じゃない。

2012年9月10日月曜日

ポスターを剥がして

 地元神社の秋の禮大祭は滞りなく終了ということになりました。洗濯干してもまだ、家のどこかから、洗わなければならない年に一度のものや、しまっておかなければならないものなどが出てきます。義父母を見ながらの家での祭り見物だった私。でも年番を引き受けた連れ合いに、若い人たちでの町内の担ぎ手の集まりを立ち上げてきた娘たちとその周辺が、この三日間出入りしていた家でした。
 その、一段落した気持ちと、秋になってまた一年があらたまっていくのだという、季節の送りの時期になったのです。それは秋生まれの文庫番にとっては、一年を経た意味を考える時期になってきたという事です。東日本大震災以降の、腰を据えて、地軸の歪みと正対しようとする思い。社会の様々なひずみも、大きく転換できるという考えを見つめる時間なのです。世代を重ねても、虐げられる人々を生み出さない社会を、一人一人が自分が生を受けたことを喜び価値あるものとして、次世代へ伝えられる社会を、創っていく意思の確認です。
  歴史の過程で、人類という種族として協調し共生できる時代を創っていかないとならない。
畢竟、戦後民主主義と呼ばれてきたものは、たわいもなく、現状では、自由主義市場のために仕組まれてきた側面が大きく見えてしまい、逼塞した気分に多くの人が覆われています。
だからと言って、ほとんんどの歴史に読める支配と被支配の関係を変えていけると確信するのに、個人としての一人は、どこかで他人と自分を引き比べて優劣、正邪、その他、つまらない比較をしているじゃないかと煩悩の大きさに、その確信が崩されてしまい、何も前に進めなくなってしまう。己の地獄は、人間存在そのものの絶望だと、マハラバは考察しているのです。
 そうではあっても、昨年の3.11以降もそうであって良いのか。
その答えを求めて味噌を仕込み、ことばを練って、旅をつづけ、家を守り、地域に関わってきて、あらたな旅もしようと思うと。間違っていなかった。これで良いのだと、バカボンパパになります。
 家に居ることの意味。国とも対峙する家。いへ=炉の辺。食べるものを分かち合う場所。醸す力。敬虔ということ。甕の蓋を開けて、そこのつぶやきを聞き取っていく力。
その、一つの形式が、地元の禮大祭であるならば、今日のこの時間しっかり季節を送っていきましょう。

2012年9月7日金曜日

獅子頭が通っていく

 門のところに年番さんたちが並んで、獅子頭に御幣を掲げて秋祭りの先駆けを走っていきます。昨年までは、まるっきり、知らぬ存ぜぬだった、ここの家。連れ合いが先輩に口説かれて年番を引き受けて、今までお神酒所のまかないにしても、娘たちの神輿にしても、一歩おいてある意味冷やかに見ていると思ったのに、今年は日々が、神社の事に追われていって、逆に、いままで、お手伝いしていた私は母の服喪が一年と一ヶ月、鳥居はくぐれないとなっているのです。あまりそういうしきたりには捉われずに、自分の気持ちの中で、自分の落ち着かせるものでの区切りを考えていますが、これは、周囲に禍ごとが無いように仕方のない事。
 でも、根は人と交わることを嫌とは思っていないのですから、そしてお祭り大好きなのですから、半分踵が浮いて、獅子頭に着いていきそうです。夕方からは、若い人たちもまた集まってきて、あと一両日秋祭り。稔りを喜び合います。