2012年9月13日木曜日

済みません

 本日、夏休みが終わってのお茶のお稽古でした!うっかり、いえ、ほぼ直前まで覚えていました。それなのに、先生に呼び出し!そんな中学生じゃないですけど、携帯電話でお待ちしてますって。 慌てて行ってきました。まだまだ精進しなければなりません。夏風邪だお祭りだと言いながら9月に突入。昨日は一回すっぽかしてみた義母の通院日。すっぽかした理由は、義父母は近代医療をさして信用していません。病院は薬を出す機能なのだと考えているのは、ある意味市場経済に飲み込まれない、戦前生まれの真骨頂。だから、応援するのが家族として介護者として、お互いを尊重した結果なのだと、底を流れる感情では考えています。
 介護保険の制度も、女たちの自由を得るために、家制度の中に閉じ込められていた人権を広く開放するために導入すべきだったことは間違いないのです。しかし、その一面、核家族以上の自己責任に被せられていたのは、やはり一世代前の、権威とお役所任せに社会を作った仕組みだったのではないでしょうか。介護保険の問題点が利用者主体でないという事。それは義母の介護保険更新時に都度感じる事。同居家族の負い目。
 そしていつも、一人暮らしで、生活保護も、介護支援も自分の権利だと、真の意味の利用者であり社会福祉を自分で作ってきたという自覚の下に、死んでいった母との引き較べを、実母と姑との比較ではない在り方としてしたいのに、そこにもつれる感情が入ってしまう文庫番でした。狭量なのです。女だからという姑と、女だってと言い続けてきた母との違いなどを言いたくなっている自分が情けないのでした。 同じ時代に生まれながら、人権という運動の中に居た者と、家庭を守る主婦という役割を務めてきた者の違いを、社会に対して言っていながら、自分の卑近なところで考えてしまう嫌悪。それが、ぐだぐだ考えるもととなる付き添い通院について主治医からの、「じゃあ、今日でおしまいね」と言われ、ほっとしたところが大きい。さあ、これで、医療に縛られることなく、義父母との老々介護の時間を作っていけると気構えができるのでした。しかし・・・一回すっぽかした予約時間は、午後の2時からですが、終了は5時寸前で診療、会計が済むものとなりました。
 

 お祭り終って、片付けがあって。それだけじゃないひとの出入りに食事は三世代。その台所を司っているつもりの自分。それでばたばたするのとは同時進行に、マハラバ企画を入れてしまっていたのです。スカイツリー下塾。こちらは、曲がりなりにも社会的事業だとか。もう事業頭では物事の仕組みは変えられないのだとは分かっているのですけれど。構えているのは株式会社です。
 数日、資料をあれこれ見較べて、流れをもういちど把握して、自分で理解していたのとはすっかり別な視点であらためて見るという文庫番。はて当時は何を読んでいたのでしょう。それらを継ぎ合せていくと、どんどん嵌りこんでしまっていたのです。なかなか第一回の資料は進まなかったです。無いと思っていても、結構、押し入れの中から出てくる紙。そしてそういえばあれも確認しておこう、ああいう事は他の人からはどのように見えていたのでしょうかなどしていると、義母の通院介助の時間になってしまいます。やはりドタバタ。言い訳というよりは、それらのすべてが面白い。集中より分散とその統合性よと言うと、傍で見ている連れ合いは好い顔はしません。
 しかしながら、この企画に見ていきたい価値は、協同・地域・主体をテーマにしたことから生み出されたこと。きっと、周りに居た人たちにも意味があるとなぜか確信できるのです。
 5時過ぎたら、もう出かけなければならないのに・・自転車でスカイツリー下まで行くついでに買い物する予定が、午前中に作った資料の見直しです。あああ。じたばた。受付娘にも買い物頼むしかありません。下の娘が帝釈天参道で買ってきた草団子も食べている時間もなく、いざいざ、年にわずかなマハラバ企画へ。
 私は、守られている。守られてきた。守ってあげなければ。そう主体と協同、地域。
 
まだまだ、学ぶ時間を与えられたのです。そして!!すみだ価格に改定。スカイツリー下塾参加費。一回500円で大丈夫と、心強い申し出。それより参加を続けたいのだそうです。
・・・・・・・・、営利の時代じゃない。

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