2012年9月15日土曜日

莢はできたけど

 「文庫番の勝手」に上手く画像を出していきたいのですけれど、あちらのページはコツコツソースを作らないとできないページです。まだ修行中。だから、途中経過を文庫番日誌にも出しましょう。
上の写真が8月28日。中と下のが、昨日9月14日。
8月の半ば過ぎは文庫番が都内での用事があったので、義父母と長女と連れ合いが、山梨に一泊で水遣りなどしてきたのですけれど、その際に、排水周りを家の元の大工さんからの紹介で設備配管をしてもらう事に、現地でなったようでした。
 その次のところからの写真です。6月下旬に蒔いた大豆の畝の横に大きな石がごろごろあったのは、もとは物置だったところの束石で、それを重機で掘り出し、移動し、川に向かっての雨水管も直してあるということで、束石のあったところも、畑の畝とすることができるようになりました。
 なれない鍬で、ガツガツと跳ね返る乾いた地面をうなっていきます。往復しただけで腰も強張るし、手も皮が剥けそうです。 また、抜き取った雑草を積んで置いたものを、そこに入れ踏んでから水と土をかけておきます。でももともとは建材屋の物置と、その前にトラックなどの出入りしていた、砂利のたくさん入った地面。掘っても掘ってもバラスが出てきます。気長に、畝を立てるたびに、草を抜く時々に、この砂利・小石を左右に投げていって、少しばかりの開拓体験をして、畑っぽくしていくつもりです。その作業を9月最初にはしました。
 朝市で一袋買った千葉の在来種という大豆。どうなるでしょう。9月の墨田のお祭りが済んで来てみれば、莢が豆らしく着いていました。まだ実は入っていません。日照りの中、日本一、日照時間のある土地です。ということは、それなりに乾燥し土痩せのするところです。茨城の私の育った山は朝日の上がる東を向いて、昼日中過ぎれば陽が陰るところでした。湿潤で、鬱蒼とした木々や竹は緑陰ということばを私に与えてくれたのでした。地面も、にじむ水が山に常に含まれていたのでした。関東地方とは全然日照の雰囲気が違います。いろいろ義父も楽しみに植えているものがあるのですが、今年は、試しになっています。ブルーベリーと母のところから持ってきた、ミニ薔薇と山椒は枯れてしまいました。果菜も行き来の楽しみにしたもの程度は収穫できましたが、まかなっていくには、ご近所での分け合いなどになるでしょう。本当に自給自足になるのか文庫番の勝手。
大豆の横に畝にしたところには、平田産業さんからもらって、ベランダで育てて種を持っている菜種を植えてみるつもりです。大豆が、、、たくさん収穫できたら・・・(来年の種まで収穫できるかな、味噌は仕込めるかな、枝豆で全部食べちゃうかな)そもそも、この旱魃の中で実るでしょうか。世界の穀物高騰どころではないです。そういえば、てっぱんの高橋さんが、サラダボウルとパル山梨で昨年育てていた大豆は茎ごと盗まれたと話していました。どうなるでしょう。
 いづれにしても、この畝は、また豆殻も堆肥に埋め込んでから、以前、ベランダで収穫した千葉の海上の「祝いの大地」墨田産の小麦を芽だしして蒔いてみようと義父と相談しています。この後もまだ本格的な畑ではないけれど、これで、豆、菜種、小麦で、最初の土地ならしをしていくことになります。
 なんと!昨年移植しておいた、ムラサキシキブもシロシキブも、それは今までなかったほど花を付け、実がなっているのです。恐ろしいことにまた文章を書いて見れば今度こそ、花になり実がなると思う文庫番の勝手。
 

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