2011年4月29日金曜日

いちい


『山仕事讃歌』のはじまりだった、岩手県軽米町。山根林業さんの炭焼き窯の裏に生えていた小さな苗木。
我が家玄関先に来て二度目の春。また、芽を伸ばしています。
新緑の清々しさ、健気さに申し訳ない気持ちと励まされる気持ちです。
 来年も芽を付けて欲しいと願っています。

2011年4月22日金曜日

自立性志向と協同

 まだ、退院三日目の義母、介護用具で来た杖をついては家の中を移動しています。あまり、急に動きすぎるとまた無理が来るのにと、思っているのですけど、言っても無駄であるのは解ってます。
 今までも本人たちの意思が第一。そして私たちも私たちの自由を確保して。しかしながら、良くコミュニケーションがとれていないと、難しい局面も出やすいのです。個々の自由自立がかならずも生活の調和に立っているものではないです。これは、同居世帯の事だけじゃない。
 協同とは不思議に自立がなければ成り立たないものであるのに、何かに依存する在り方で協同に置き換えてしまう場合が出てきます。
 元も子もない、自己責任とは言いきらない、同じ家の中での自立自尊を保障するには、鬼嫁のままでいるのがいいかもしれないです。
 茨城の母と電話で話します。テレビを見ながら怒っているようです。東電が節電の呼びかけをテレビでするなんておかしいというのです。テレビだって電気を使っているからですし、いかにももっともらしく、被災地の復興の後押しやらの放送しながらだと言うのです。ほとんどテレビは見ない私にはそれも解らないですが、時々義父母の見ているニュースを見る時もあるので、今日のニュースでの天皇皇后の避難所訪問などが映っているのを観ました。あの人たちも必死なのだろうと考えるのです。元号では表せない有史以来の災害なのです。この東日本大震災と原発事故は。古書では祀りごとの長とは、首長、祭司とは、天変地異の際に民に代わって首を切られる役割です。なんとか今まで続いた日の本の体制は残したいわけです。最初は皇室典範などという明治からのを、替えて男女別なくすればいいと思ったのですが、この禍は、そのような近年の間違いの糺ではないのだろうと思うのです。
 いいえ、もっと本来の無駄の無い、家すらも建てないで、(洞穴に)暮らし、灯りなどは太陽に任せる暮らしになる事を、今、よりスマートに考える時代なのかもしれないです。そこにエネルギーでも自立と協同の調和がありそうです。
そう今日はアースディ。母にはおめでとうと伝えます。私の兄の誕生した日です。
 

2011年4月20日水曜日

本日の義母の退院

お赤飯でお祝いしました。
自立性の強い人ですから、本人の意思に任せるのですが、できない事できる事それぞれあります。
入院中とはまた違う大変さがやってきそうです。
まずは、めでたい事です。家族相互の自立自尊の気持ちを損なわず、それが自分にとってもベストであるはずです。

2011年4月17日日曜日

低級日

わが社の休みは、連れ合いの定休日に合わせて週休二日にしているはず。はず。そのはずですが、日頃の業務が人からは、お休みではと思われる自宅会社。ここに、無報酬、非選任、常勤会長のような立場の義父。この常勤というのは、いつも居るという事ですから、ありがたいと思っています。ほっつき歩く嫁を暖かく送り出してくれていた義父母の存在を、今まで通りと考えられるのかどうかが、これからの体制になるなぁと思います。
 もしかしたら、月一の稼ぎところだった朝市出店を今月は義母の退院日かと、見合わせていたのですが、その分しがらみから、今月も築地まで行く事になりました。義父の朝食は7時半。お雑煮でいいのですけれど、誰が作るって、今朝まで考えてもいなかった文庫番。自分は朝食抜きで朝市に出ますから従来通りに朝起きてみたら、そうだ、お義父さん自分で煮えるように出汁と調味しておくからとは言ったのに、今煮てくれて良いよとなって、一時間早く済ませてくれましたが、想定外だったので、結局あたふたと、朝市手伝いになりました。これからもこうなるのであれば、出店できるかなぁ??と事業計画。
 それでも、顔出しただけで戻るしかなかったのですけれど、仕事もすすまず調子が出ず、やはり社長業は、なかなか休みが取れないものだと文庫番社長は思うのです。営業日はなかなか無いのですが、休みも無い。
水曜日に義母は退院できることになりました。明日は地域包括支援センターに介護用品についての相談に行く予定です。

2011年4月13日水曜日

なぜか畳替え

 文庫番家、全室和室。日曜日思うにかなわぬ事が、連れ合いに発生したとばっちりのように、この時期に?畳替えをすることにいきなりなって、昨日は都合が悪いと言って今日となっています。
 朝食後一番に畳屋が来て、二部屋の畳を持って行きました。床板の上に座っています。明日はどうなるのでしょう。義父は自分たちの部分はいじって欲しくないと言います。それもどうなるやら。
 

2011年4月10日日曜日

誰のものかと

 こういう日曜日は、薄曇りで、桜は満開で、どうでも良いから洗濯物は外に干して。
義父の食事は確保して、なんて午前中は忙しいのに、小学校の体育館の投票場へも出かけます。
まだ選挙ポスター掲示板は、知事分あって、すぐ区議選もあるようで隣に設置されています。
知事候補全員が貼られている訳でもないですが、選挙民としての義務感があります。
でも、義母は入院中で誰も一言も触れていません。義父も歩くのも面倒と投票しないし、若い世代も誰も良いのがいないと言います。
 有権者って重いですね。民主政治は、選挙からなのでしょうか。選良であればいいのですけれど、消去法で当選する人が勘違いしたまま数年を経るなんて事を繰り返して。これほど選びようがない、どれをとっても期待はしていないのに投票用紙は実効しなければならないのかと思うのです。
 有権者は政治に期待しているのでしょうか。何を・・・・??。

 坂本竜馬が、アメリカの将軍は入れ札で決めると聞いて、民主主義を納得したというような話を聞いた覚えがありますが、入れ札で民意があらわされると考えられたのは、将軍家も世襲だったのと違いを知ったからです。さて、まつりごとは、常に民意を得なければならないものです。いろいろな時代にいろいろ体制で、まつりごとの仕組みが考えられ、常に民衆を味方にする事で行われるのでしょうけれど、今民主的な政治は選挙という方法で表せているでしょうか。選挙をしなかった頃の人々の暮らしの中での社会としての決めごとは、地域の中での顔役たちや、いわゆる実力のある人が担っていたのでしょう。
 
 現在、もしかしたら多くの人、有権者が、選挙で選ばれた政治家がしてきた事は、評価していないけれど、自分たちの選挙民であることの義務行使で投票しなければならない事が先にあって、人物はあまり選べない中で投票が行われているのではと、思うのです。それほど、与野党どちらと入れ替えても政治家が機能しないと言う事を思い知ったこの数年なのです。区議選もはじります。宣伝カーは自粛して欲しいです。

2011年4月7日木曜日

泣けてくる歌です

母は、ディサービスでは、声も出るし、会話を楽しみ意欲的になるべく居るようにしていると言います。一人暮らしゆえに入ったようなもので、利用者さんの中では意識明瞭、理論的思考の人なのですが、カリキュラムが団体行動になっていますから、体操の時間、歌の時間。四季折々の行事などになっているようです。カラオケもあってね、古い歌ばっかり、軍歌ばっかりの時もあるの。歌いなさいよ、なんて職員さんがマイク持ってくるんだけれど、絶対嫌だから歌わないでいると、症状だと思うのよ。みんな口を開くのもかったるそうな人達だから、この間朧月夜を思いっきり歌ったら、歌えるんじゃないと言われたわ。と言います。
 本日、私は地域の中学校の入学式に顔出してきました。こういう式は面倒です。音痴な私でも斉唱などあるのですよ。一斉に歌うというのです。息もつづかないような、君が~~~で途絶えそうになるのですけれど、音痴であるのは代々の役員さんたちも知っているので気楽です。でも、向かい合わせで地域の人達と、教職員とが対面するような起立で歌うので、互いに誰が口を開けているのか、口を結んでいるのかを、窺い見るような位置で、牽制しあう「式」は子供たちへのお祝いには、残念な感じです。この歌が無ければ、喜びの場になると思うのです。
 それを言えば、小学校の頃に制定された県民の歌がありました。その頃から音痴でしたし、なんとなく三番に疑問を感じたのですが、今あらためて泣きたくなります。茨城県民の歌です。http://www.youtube.com/watch?v=-_OVs_J1HoA
 

2011年4月5日火曜日

奥の細道

 朗読の稽古の発表会は、繰り延べになっていますので、本日が最終稽古日となりました。「外郎売」「原体剣舞連」「奥の細道」すでに一年になる演目もありますが、先月開催される予定だったものが、稽古日も含めて、今月になったので、参加できる人数も分担も変更が今日になってです。
 この一カ月、お稽古はなかったのですけれど、家での練習ができる時間もありませんでした。皆さん同様です。それでも、自分の箇所をしっかり読みこんでいる人は上達が見えるのです。朗読なんて、ただ読むだけだとはなりません。お稽古のあるものは必ず回数で内容が深まるし、それが技術となるものです。
 子供の頃は自尊心が強かったのか、人に教え込まれる事がうっとおしかったのですが、今は、かなりありがたい事だと思うことが増えました。教えてもらえると言う事、ともに学ぶと言う事が、必要だと解ったのは、周りも、セカンドステージになった方々になってからです。やっと素直になったようです。
 「外郎売」も、指摘指導される事はなるほど、「原体剣舞連」は組み合わせがかなり変化ができました。「奥の細道」には泣きそうです。この平泉までの前半部、名勝旧跡と、奥の細道で読まれたところの多くが、被災地であることに、情景を思い浮かべながら、こころを込めるという朗読は、どうもテレビで報道されていた災害がオーバーラップされてしまいます。皆さんの中には昨年訪問もされている方もいらっしゃるので、惜しむ声、そして今回の地震・津波の話になってしまいます。あと二週間で、この演目も仕上げていかなければなりません。稽古二時間半。帰宅し母とは今朝もあった余震について電話し、義母の病院に寄ります。

2011年4月4日月曜日

花のいのちは


短くて、そんな言葉を書けるほどではない文庫番。ベランダで育てたフリージアを活けてみました。
花を育てていながら、切り取ってしまうのは、と思いながらですけど。今盛りと咲いてくれていて、ベランダの小さな三枚の田んぼ!の脇だと、あまり見る人は多くないし、和みたい気持ちの時に、花があると、力づけられます。義母の病室に持っていくには香りが強いようです。
 ここらへんで、少し力づけられたいわけです。考えても解決できない事はいつまでも考えちゃ駄目と、母には言われました。そうやって、気持ちを整理するしかない人生を経てきてくれたのでしょう。
 今の時代にでも、この空の下で、花々は懸命に咲いて、生き物たちも懸命に生きて、ベランダの小さな田んぼのミジンコたちも元気です。